ファッションと日本製

毎回、死ぬまで着るくらいの気迫をもって購入するヨウジヤマモトで、今季一番気に入って手に入れたニットが中国製だった。とにかく寂しくて、こみあげる悲しみを抑えられなかった。いつのまにかヨウジヤマモトで中国製が存在していたとは。

中国製だからといって糸がほつれていたり、始末が悪いという訳ではなく、袖を通すと期待通りの美しいシルエットが生まれる、大好きなヨウジヤマモトのニットだ。少しざらついてドライなウールの糸も、よくこのデザインと合っている。秋冬のコレクションを見たときから気に入っていた特別なアイテムだ。今年ならどう着ようとか、歳をとったときにどう着れるかとか、いろんな想像が広がる。

だが品質表示タグには中国製と記してある。どこで作られようが大好きな大好きなヨウジヤマモトには変わりないのに、何故こんなに寂しく思うのか。

だからと言って中国製が嫌いなわけではない。年配のおば様みたいに、日本製が大正義で劣悪な中国製品というような、ばかにするという意味で中国製のものを着たくないわけではない。こうして文章を打ち出しているiPhoneもmacも、私の家の物もほとんどが中国製だろう。日本製よりもはるかに安価で身近でたくさんの恩恵を受けているはずの中国製品を、今更けがらわしく思うわけではない。

ただ、何かを作る段階で中国製を選ぶということには、日本よりも安価な労働力などの”コスト”を優先したからだと言えるだろう。同じ価格で同じ量の同じものを作れるならば、少なからず日本人なら日本製を選ぶに決まっている。私はそこを悲しく思うのだ。なんとか苦労してでも日本製にこだわりたいという、ブランドの意地から"選ばれなかった"ものなんじゃないかと思ってしまう。これが数千円のワンシーズンで着古すアイテムなら何も気にならないけれど、少なくともヨウジヤマモトでは一生着続けられるほどの魅力と耐久性があると判断して、対価を払っている。

私が今回購入したこのニットも、なんらかの理由で、日本製ではなく中国で生産させることが選ばれたのだろう。もちろんコストだけでなく、繊維メーカーや工場との のスケジュールの都合で止むを得ず頼らざるを得なかった場合だってあるあるはずだ。

日本の繊維産業の縮小は理解しているつもりだ。繊維商社に勤める友人によると、思い通りのデザインを商品に反映させてもらうための工場の人材不足が著しいという。納期も量もわがままを聞いてもらえないという状態のようだ。

毎年、春夏と秋冬という大きな区切りをもって、新製品の提案と消化を求められるファッションメーカーは、飽きられないための努力に必死だ。1年で1番寒い2月には秋冬のセールが終わっており、今欲しい服が探しにくかったりする。まだまだ冬服が活躍する3月には、婦人服売り場では脅迫のように春夏の新作ばかりが並んでいる。今年の流行がどうだとか、海外のファッションと比べてどうだとか、目先の売り上げの為に消費者の意思を無理やり決めるつけるやり方はどうかと思う。ほとんどのアパレルメーカーが、そのような視点でしか消費を促すことができず、繰り返される流行に頼ることでしか人の心を動かせないままで、自社ブランドを長期的に支える体力もない。

このように、日本のファッション産業が不必要に先を急ぐあまりに、生産する側が日本の目まぐるしい速度に追いつかないのだ。

すべてのメーカーが大手のファッションメーカーみたいに、思い通りに服を作れる訳ではない。なんとかして製品を生み出さなければならない使命の中、あらゆるコネクションも使い切った後、今となっては他国の労働者に頼らざるを得ない。今どきの手に取りやすい価格の服は、断言しても良いほど海外製である。日本人が日本で当たり前のように服を生産できる時代はとっくに終わっているのだ。

何かを選ぶということは、悪い面も受け入れることだと思う。私は、日本で作られたものならば、事故や不具合など何かあったときも受け入れるつもりだ。日本で取れた食べ物を食べて、万が一健康被害が出るとしても、仕方ないのないことだと諦めがつく。そもそも海外でも日本でも完全に安全なものなんてなにひとつないはずだ。どうせリスクを負うなら日本のものを選びたい。

それが日本製を希望する理由だ。日本の誰かが日本で作ったものなら仕方ない。これは私にとっての”落とし所”でもある。

何もかも手に入れるなんて不可能なことだ。早くて安くて安全で希望と夢に溢れているものづくりなんて、そんな欲張りな願いは現代では叶うはずもなく、今のところどの分野でもありえない。少なくとも私が生きてる間には叶わないだろう。

日本で働いて得たお金で日本のものを買って、日本のどこかの人がそのお金で何かを買って、めぐりめぐって私たちの給料になる。外貨に頼らず、外国人労働者に期待せず、日本のことは日本でやりくりできたらいいのに。今となってはただの虚言にしか感じられないだろうけれど。

平成も終わろうとする今、いろんな産業が発展し、技術も進歩して、だんだん世界との距離を近く感じ、私たちの思想もやわらかくほぐれるような感覚がある。しかしながら、私は日本人がお互いを支え合い、日本を支える気持ちも大切だと思う。日本が日本を素晴らしいと思うから、世界から日本が必要とされる。

どれだけ世界が輝いて見えても、どれだけの年月が経っても、日本人ならではの、細やかな視点から生まれる強さと、美しいものづくりへ誇りを忘れずに済みますように。日本で生まれたものが、日本で愛され、世界で必要とされますように。

今回ヨウジヤマモトで購入したニットから、自分の中の服の生産地について初めて立ち止まって考えることが出来た。何故日本製がいいのか、何故海外製のものは選びたくないのか。私は、服について何かを語るとき、この文章を読んでくれた人が、少しでも自らのファッションについて立ち止まって考えるきっかけを作れたなら嬉しく思う。新しい服なんてなくても生きていける。だからこそかけがえない。だからこそ深く考えることに相応しい。


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