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曖昧な夢は何気ない日々に飲み込まれていく

近くにあるものすべてが大事だ。手が届くものすべて離したくない。他人からは塵や屑みたいなものが、自分にとっては骨の一片そのものだったりする。自身を支える重要な一部分で、それをなくして私は構成されない。そう信じているから、それらを必死にかき集めて拾い地べたを這い囲い込む。そんな姿を世間は可哀想に思うだろうか。無駄で滑稽だと言うだろうか。

先日、遠い存在だった韓国の歌手が亡くなり、それ以来死への思いが心の中で静かにたたずんでいる。生と死が、どれだけ近しい距離なのかを感じたきっかけだった。彼の突然の死が、死という選択を、より穏やかなものにさせた。

韓国の音楽シーンを代表する存在のSHINeeのことは、私の世代にとって少なからず聞いたことはあるグループだった。どの学年の時でもクラスメイトの何割かはK-popが好きだったし、その中でもSHINeeが人気のあるグループであることも知っていた。他の韓国の音楽グループよりも特にニコニコ明るく、優しくてかわいらしいイメージの集団に見えたので、当時は特に気を引くものはなく、感想もなかった。

しかし、だからこそ、今回のボーカルの突然の自死が、私の心に忘られぬ衝撃を残した。あんなに、ニコニコしながら、あんなに、愛や夢や安心を売って生活することを選んでいながら、死と引き換えに突然世間に浮き彫りになった彼の悲しみを思うと、心が震えた。27歳の散り様とは思えなかった。あまりにも完璧で、美しくて、残念で、少し羨ましくも思った。

逃げるわけでも堕ちるわけでもなく、彼は彼の必要なものを握りしめたまま、死という手段でなにもかもを終わらせた。悔しいけれど、彼の残した楽曲、美しい声、身体、すべて、今この時より良くも悪くも変化することがない。残りの命と引き換えに、彼はすべてを手にしながら、これから誰にも奪われずにいられるのだ。生きていては抱えきれなかったであろう大事なものを、彼は永遠に手離さずに居られる。永遠の別れとは、ひるがえって永遠の支配を意味するのかもしれない。

彼が残したとされる遺書の中に、「生きてる人の中で一番辛いのも弱いのも僕」という記述があった。27歳の輝かしいアイドルの、もはや見ていられない程の痛切な言葉の中で、ここが一番心にぐっと響いた。我々にとって辛さなんて比べようがなく、また、分かち合うこともできない。誰かと比べて得られる相対評価は相手次第で浮き沈みするものだ。自分のレベルが周囲にとってどうなのかを考えるから、余計な息苦しさが心の隙間を圧迫する。プライドや世間体だけではない。幸せや、苦しみや、我々の感情全てだ。他の誰よりも私が一番苦しいと、そう思えたなら、また違う景色が見える気がする。

彼の死が示すのは韓国の音楽業界の闇でもなんでもない。ある一つの生き様だ。
私は自死を選ぶことは悪いことだと思わない。生きてさえいればいつかは癒えるかもしれないなんて、無神経な事言う人は信用できない。残された人は酷く悲しいけれど、何もかも捨てられなかったのだろう。自分以外は。その優しさを、健気で美しく思う。ジョンヒョン、あなたのおかげで私は一つ強くなれた気がする。他人が自分の命を決めるものではない。私の命は私のものなのだ。

#エッセイ

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