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▽既存のフレームを発見して一人ではないのだと安心できるときと、そんな言葉に押し込めるだけでその一個人を理解し得た気になるものかと疑問に思うときがある。
2019/02/22

▽ よく言及してしまう気がするけれど人の性質について既存の端的なワードで言い表すことに孤独感の希釈と、そんなフレームで表されてたまるものかという感情を同時に覚える。
2019/03/30

▽ 検索窓に入れた症状に同質の記事を見つけたときの微かな安心感と、じゃあそうした性質をありふれたフィクションのキーワードみたいに羅列すればその人間を語り得るのか、そうしたら私は、って、別に誰に何を言われた訳でもないのに思う。
2019/04/15

なぜか毎月同じようなことを呟いている。
特に何があった訳でもない(強いて言えばツイッターに漫画が回ってくるくらい)のに。

かつてネットでの検索を繰り返して希死念慮やHSPやAセクという言葉を見つけた時、このような症状には名前があるのだという安心感はあったのだけれど、
最近、そんな単語の羅列で表されてたまるものかと思う。
SNSのプロフィールに、あるいはネットに投稿された小説のキーワードのように、列挙してそれで済むものか(済む訳がない、という反語)と。

自分がそんなワードに収まるような人間ではない、と憤懣やるか方ないというより、密接に関連し合っているはずのそれらが、短い発音で他人が分かったような気になる単語で表現され得るはずがない、という感覚。
理解してほしい、だれか他人に共感してほしいと薄々願いながらの天邪鬼。
掘り下げは全くしていないけれど、そうなのかなあという感じがする。

現状認識。
これも後で振り返る用。

「たまるものか」というこの感情は果たして誰への負の感情なんだろうか。

罪も過ちも犯罪も自殺も戦争もマイノリティも全部知らない
(♪八月、某、月明かり - ヨルシカ)


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