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時計と私

 先日、カシオのF-91W-1JHを買った。

 これは、自分の意志で買った初めての腕時計だ。なぜなら、自分はこれまでずっと腕時計が嫌いだった。

 理由の一つに、母親からデジタル時計を買って貰えなかった事がある。

 子供の頃、針時計を読めなかった。針という形式の曖昧さに混乱したり、ワーキングメモリが狭小なので時間を換算するのに手間がかかったり間違えてしまうからだ。そのため、母親は矯正のためにデジタル時計を買う事を断固拒否した。やがて成長し、針形式を読めるようになっても変わらなかった。その頃は携帯電話も普及して、携帯で時間を確認する事は当たり前となっていたのにだ。就職祝いの腕時計は欲しかった電波ソーラー式デジタル時計ではなく、重々しくちょっと高そうな針時計だった。いらないから現金で渡してくれと言ったが拒否された。自分の意思を親のしょうもないエゴで否定された時計には全くもって愛着など湧かなかった。なので、時計は1ヶ月もしないうちに使わなくなりどこかへ行った。その後親が使ってたと思う。

 もう一つが、日常の行動(特に朝)を増やしたくない事だ。

 これは、先に述べたワーキングメモリと密接に関係すると思う。また、朝が苦手で、普段から働いてない頭がさらに悪くなる。昔精神安定剤を飲んでいた時はさらにひどい有り様で、寝ながら自転車を漕いで対向車にぶつかりそうになったことがあった。そんな状態で持っていく物を増やす事は、必ず代わりに何かを忘れる事になってしまうのだ。ゲームで例えるなら、スカイリムのドヴァキンみたいな重量制限ありの4次元ポケット形式では無く、Farcry3の最大4つしかない武器スロットみたいな感じだ。目が覚めるのが家を出る2〜30分前はざらにあり、食事・洗顔・着替えで残り時間の9割使ってしまうのに、動作を増やすと悲惨なことになってしまうのは避けられない。

 最後は、車と同じように、男としてのステータスアイテムとして社会で機能していることが嫌だった。財産の大半を使うほどの高い時計を買ってまで男アピールするぐらいなら、買いたくないし男で無くていい。なんならその金でコスメとレディース物の服を買う。そして伝説へ・・・

 そんな自分が腕時計を買ったのは、受験の持ち物に腕時計が指定されていたからだ。よくあるちょっとした資格試験ならまだしも、こっちは人生をかけている。小論文は時間配分が命なので、手元に時計を置いて少しでも文章の構成に頭を捻りたい。しかし、金はあまりかけたくない。かといって百均の超安物もなんだかなあ〜と思っていた矢先、あのテロリストにまつわる逸話を思い出した。

 カシオ F-91W、通称「ビンラディンモデル」あのウサマ・ビン・ラディンが着用し、手頃で手に入りやすく爆弾のタイマーとして容易に改造できるため、米軍の尋問者向けマニュアルに”アルカイダの兆候”と名指しで指摘され有名となった。そして、20年庭に埋まっても7分遅れで動いていたなどの逸話を持つ。また、ミニマルなデザインと異物感を感じさせない軽さは魅力的に映った。

 早速買って着けると、想像通りのちょうどいい着け心地だった。デザインも浮くほど安っぽくない(気がする)。

 加えて、使ってみてさらなる利点に気づいた。普段の自転車移動の時刻確認が楽だということ。携帯の時刻確認は携帯ホルダーにせよ服などのポケットにせよ、電源ボタンを触る動作が必要。そして何よりも危険だ。また、発達障害者の鬼門である「携帯で時間を見るつもりがネットをダラダラみてしまう」現象を回避できる。

 人生の中で、身につけていて嬉しいと感じた腕時計は初めてだ。これからもどんどん使っていこう。

 

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