ヒガノボル #1

 夢を追いかけるとは言葉の勢いだけで、惰性で走り続けている。好きなことを職業として生きていくには、技術も実績も浅かったのだ。沢山の文字を散りばめた俺の心は全て破られ、外れ馬券を空に投げ捨てる愚者のように喚いた。実家に見せる顔も無いので、相棒のエンジンを鳴らしながら冷たい向かい風を浴びている。目的地は無いし、帰る場所も無い。アパートでも見つければ利口なのだろうが、どこに住みたいという気持ちも無い。ただ漠然と夢の行き着く場所を求めて放浪している。
 幸いにも節約家ではあったので、大学の給付奨学金がウン百万と口座に残っている。寝る場所には困っても、食べるのに困るということは滅多になかった。ペーパー免許なので中古で相棒を手にしたときは乗ることすら怪しかったのだが、慣れというものは意外と早かった。通り過ぎていく車にぶーぶーとクラクションを鳴らされても真顔で唾を吐き捨てることができるほどには鍛えられた。
 希望の陽は元気に昇り、疲れ切って沈む。うっとりするような月が昇り、酔いから醒めて沈む。時には雲が表情を覆い隠し、雨が過去を責め立ててきて、雷が未来の警鐘を鳴らす。でも、風が俺の背中を押し、大地が呼吸を伸びやかにさせ、海が温もりを与えてくれる。光が安堵を与え、闇が探求心を教えてくれる。
 目的地の無い一人旅、夢を歌えば、相棒はギター、海はストリングス、鳥達はバックコーラス!道路はドラム、風はオカリナ、通り過ぎる車達はシンバル!折々に変化する景色や天気が色を温度を曲調をアレンジさせていく!Brand New Story! Hello New World!そしてオープニングはクライマックスへ向かっていく!!!
 ガス欠。現実は残酷だった、何度どれだけ夢想しても彼らは正論を叩きつけてきた。どうしようもなく分かっていたことだ。夢は、現実の前では儚く無力だ。好きなこと、やりたいこと、それだけじゃ日々の暮らしは成り立っていかない。その事実に、反論する余地なんてない。それを職にできるのは一握りの天才だけであって、平凡な人間が足掻いても仕方がない。
 相棒を安全なところまで運び、辺りを見回す。人気はなく、廃屋があちこちに点在し、無駄に広がる田畑には雑草がいっぱいに生い茂っており、全てがオレンジ色の光を浴びている。道路標識の地図もサビが酷くまともに見られたものじゃない。83km先に何かがあるらしいが、歩こうなんて正気の沙汰ではない、ましてや相棒を置いていくことはできない。

 考えた末に、比較的状態の良い廃屋を借りることにした。間取りや規模を鑑みるに、村役場か何かだったのだろうか。床をある程度掃除して、ランタンの灯を点ける。朝にコンビニで買っておいたカップ麺を取り出し、水筒の水を入れ、15分ほど待つ。お湯を入れるのがセオリーなのだろうが、意外と水でもいける。むしろお湯で作るより歯ごたえがあるので満腹中枢が刺激される、食べた気になれる。
 楽しくなってきたので廃屋内を探検することにした。といっても蜘蛛の巣や蔦が侵食しているうえ、小動物の糞が散らばっているのが見えるぐらいのもので、大概のものは片付けられているので面白いものはない。だがたまに遺産が残されている、これを探すのが醍醐味なのだ。鼻歌を歌いながら、ランタンを照らしながら歩くと、テープ痕のある壁を見つけた。おそらく掲示板だったのだろう。離れようとすると、くしゃっと何かを踏んだ。拾い広げてみると、チラシのようだった。

「央野村20周年記念市民野外公演『果樹園物語』演出……寺岡修司!?」

 思わず声を上げて驚いてしまった。22年前、俺が生まれた1998年に若くして亡くなった、伝説の劇作家の名前がそこにあった。そのポスターは76年のモノのようで、俺と同じ22歳の顔がそこに映っていた。だが、彼の戯曲で『果樹園物語』なんて作品は聞いたことが無い。『寺岡戯曲全集』に載っていた記憶がまるで無い。

「気になるか?旅人。」

 しゃがれた声のした方向へ振り向くと、老紳士が立っていた。

「誰ですか。」
「君は気になっているだろう。それはどんな物語だったのか、どうして彼の名前があるのか、この村はどんな場所だったのか、どうして廃れてしまったのか。」
「気になっているなら、なんだと言うのです。」
「明日の朝、そこの道路を一台の白い軽トラックが通るはずだ。あのバイクと一緒に乗せてもらうといい。」
「どうしてそんなことを?」
「同じ匂いがしたからだよ。」

 目を開いた。いつの間にか眠っていたらしい。あの老紳士はいなかった。同じ匂いってなんだよ、きっと夢の住人か何かだろうとさして気にせず、コンビニのおにぎりを一個食べて、道具をバッグに詰めて廃屋を後にした。いやに陽気な光が俺を出迎えた。
 とはいえ、相棒がガス欠で死んでいることには変わりはないので、道路でヒッチハイクすることにした。まだ涼しい季節で良かったと思う。きっと夏場だったら虫の音と熱風に喉と耳をやられていたし、冬場だったら単純に凍え死んでいた。道端のたんぽぽを眺めながら適当に脳内に浮かび上がったメロディを口笛で吹きながら待っていると、白い軽トラックがやってきた。ここぞとばかりに左手を大きく振ると、すぐに止まってくれた。助手席側のパワウインドウが開いて、帽子を被ったシミとしわだらけの顔が覗かせる。

「どうしたんだい。」
「すいません、ガス欠で動けなくなってしまい……ここがどういう土地なのかも分からないので、助けてほしいんです。」
「おう、いいけど、それじゃあ格好がつかないんじゃないか。」
「はい?」

 年配の男が腕を伸ばして親指を立てる。

「ヒッチハイクは、こう!」
「……。」
「やってみ!!!」
「あっ、こ、こうですか?」

 多分すごく引きつった顔で、左腕を伸ばして、サムズアップをしている。なんだかこの姿に既視感があると思ったら、案山子だ。俺は今、案山子になっている。右腕も伸ばせば、ほら完璧だ。

「できるじゃないか!これでヒッチハイカー免許皆伝だ!」
「助けてください。」
「ほら、ちょうど荷台が空いてるから、そのバイク乗せちゃって。」

 荷台に相棒を乗せてもらい、助手席に座らせて頂くことになった。車内はお世辞にも綺麗な空気とは言えなかったが、嫌いではない。土のにおいや木のにおい、ちょっとだけ甘いにおいもする気がする。シートベルトを締めると、おじさんが目的地を聞いてくる。ガソリンスタンドに行きたいと答えると、露骨に苦い顔をしたので聞いてみると、2時間ぐらいかかるらしい。

「ちょっと"おで"のところ寄ってからでいいかな、ごめんね。」
「いえいえ、全然、お構いなく。」
「できるだけ飛ばすからね。酔ったら教えてくれよ。」

 明らかに法外速度で田舎道を走り続ける軽トラック。車窓からの景色を眺める暇すら与えてくれない。案の定というか田舎らしいというか舗装された道から外れて、カーブの繰り返しになるたび、相棒が無事か心配になる。荷台でガタガタ泣いてる気がする。

「あ、ここ、ショートカット気を付けて。」
「ショートカット!?」

 軽トラックが浮いた。比喩表現でも文学的な表現でもない、この生涯において、自動車に乗って浮遊感を感じる日が来るとは思いもしなかった。それに浸っているのも束の間、地面にタイヤが着地するとともに巨大な反動が身体を襲ってくる。運転手は劇画調の真顔で音楽をかけ始めた。ユーロビート。なるほど全てに合点がいった。冗談じゃない、軽トラックに公道最速伝説もドライブテクニックも求めてない!!

「あ、あの!!!すいません!!!」
「ん?」
「ちょっと、車酔いしたので休憩したいです。」
「じゃあ、あそこだ、『ミウノバッチャノトコ』で止まるか。」
「ありがとうございます。あともう一つお願いがあるんですけど。」
「なんだ?」
「俺、ユーロビートアレルギーなんです。」

 相棒は無事だった。手ごろなところに路上駐車し、『梅本酒店』に入る。客の出入りも少なそうなのに、意外と陳列棚は綺麗に整頓されている。レジには誰も座っていないのだが。おじさんがおばあさんを呼ぶと、奥からのしのしと、エプロンと頬っ被りを身に着けて歩いてきた。

「あら、ヒノちゃんじゃない。」
「おお、まだ生きてたか!」
「もうすぐぽっくり逝くから安心しな。ん、そちらさんは?」
「ヒッチハイカーだ。車酔いしたもんだから休ませてもらえないかなって。」
「あいよ。外で待ってな。団子でいいかい?坊や。」
「は、はい。ありがとうございます。」

 店の外にあるベンチで座って待つことになった。ヒノちゃんと呼ばれていたおじさんは立ち上がって、ストレッチをしている。風がふわりと吹いて、小鳥のさえずりが穏やかに聞こえる。車の通りも人の通りも無いので、恐ろしいほど静かだ。

「あの、ここらへんって、いつもこんな感じなんですか?」
「こんな感じって?」
「静かだなあと思いまして。」
「ああ、そりゃあそうだよ。人口千人もいないんじゃないかな。ちなみにさっき君が居たところが央野村、今いるここは東山町。」
「北とか南とかもありそうですね。」
「あるんだなあこれが!北川郷と南原町、そして西岡村。旧名だけどな。」
「旧名?」
「今は合併してて東西南北央一括りで央野村なんだよ。でも昔いろいろあってねえ、また分裂しちゃったの。な、面白いだろ?」

 ふふんと鼻を鳴らして自慢げに空を仰ぐヒノさん。でもどこかその目は遠くを見つめているような気がした。俺はというと、小鳥がこちらへトコトコと歩いてくるのをぼんやり眺めていたのだが、大きい影が現れたと同時に散り散りになってしまった。

「はいこれ、団子。」
「あっ、ありがとうございます。いただきます。」
「お、サービスいいじゃないの!みたらし振る舞うなんて。」
「余りもんだよ。これからどこにいくんだい?」
「”おで”のところ寄ってから北川よ。」

 アリャリャマア!とおばあさんが大きい声を上げたので、ちょっと舌を噛んでしまった。

「なにしにいくのよ。危ないだろう。」
「ガソリンスタンド。あそこしかないだろ?」
「イヤイヤイヤ……気を付けるんだよ。」
「分かってるって。」

 陽気に返すヒノさんとは対照的にしかめっ面を崩さないおばあさん。どうにも嫌な予感がして仕方が無いのだが、しかめっ面を近づけてきて、

「いざとなったら逃げるんだよ。目印はあの時計。」

と遠くの時計台を指さして言った。どういうことですかと聞こうとしたが、口の中の団子がそれを邪魔し、やっと飲み込んだ時には、おばあさんの姿は店の中へと消えていた。なかなか歯ごたえがあった。

 要らないと言ったのに無理やりおばあさんに500円玉を持たされて、再び出発した。相棒の安否が恐ろしいので、ヒノさんには安全運転をして頂くことになった。特に会話をすることもなく、のんびりと木々が包みこむ道路を進んでいく。頭上に居るであろう太陽の木漏れ日が、この軽トラックを祝福している気がした。

「そういえば、君の名前は?」

 俺が自分の名前を告げると、ヒノさんは一瞬だけ驚いた顔をして、こりゃあすげえやと大きく笑い始めた。その意味を聞こうにも遅く、狭い山道の終着点に見えた、老いた木造の入場門の看板がすべてを表していた。

「ようこそ、フルーツガーデン『ヒガノボル』へ!」


続く

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