呼吸で生を確かめながら

兄貴が東京の国立大学へ行った頃だっただろうか。酒に恐ろしく強い親父が泥酔し、えらく感情的になっている夜があった。酷く泣いていた夜があった。原因は覚えていないが、私のせいだったような気がする。私が兄貴とは違って成績悪く、パソコンやゲームばかりしていたからだろう。親父は説教すると共に、昔話を始めた……もう内容はほとんど覚えていないが、私の生まれたときの話をしていたのだけは、はっきりと覚えている。

生まれたばかりの頃、肺に穴が空いていたようで早速生死を彷徨っていた。ヒューヒューとあまりにか細い呼吸を繰り返していた私のそばには、ずっと親父が居たのだという。四六時中、眠らずにいつまでもいつまでも、私のことを見守っていたのだという。そして、生きた。今も右胸にはっきりと残る手術痕だけが、それを物語っている。

しかし私といえば母親に寄ってしまったので、親父はずっと嫉妬していた。しかし同時に「お前が兄貴みたいにならなくてよかった。」とも言う。そして親父は続ける。
「もうすぐ俺は死ぬからよ、嬉しいべ。でも、病院行ったら終わりだからよ……もし俺が喋れなくなったら、こうするんだ。俺の手を触って、『生きてらが?生きてたら人差し指、死んでたら親指曲げて』ってよ。そうすれば俺、親指曲げるから。」

その日の夜はずっと続いた気がした、親父の好きだった井上陽水とか、吉幾三とか、昭和の曲をyoutubeで調べては、パソコンのどうしようもない音質で、一緒に聴いていた……。

東日本大震災の時、私は母とともに様子を見に行くために岩手の親戚のところへ行った。私はこの親戚の婆ちゃんがとても大好きだった。震災のショックで少しボケたらしく、母のことを「母さん」などと言っていて、目も耳も世界も疑った。
そんな夜、私は母と婆ちゃんとその他の親戚たちと同じ部屋で寝た。同じ部屋というか、別の部屋だったのを襖を外して一つにしたのだが。

母の泣く声が聞こえて、私は目が覚めた。婆ちゃんに何かがあったのだ、他の親戚たちも必死に婆ちゃんに呼びかけている。私は恐ろしくなった、怖くなった、夢だと思って、布団から出なかった。嘘だと思った、母に叩き起こされて、親戚のトラックに乗る。そして病院ではじめて、婆ちゃんを見た。『人の死』というものを目の当たりにした。気づけば葬式だった。婆ちゃんの入った棺桶を見てみると、目が開いていたので『ねえ!生きてるよ!』と叫んだ。親戚一同の前で『目が開いていたんだよ、ねえ、母さん』と。母さんは目に涙をたたえながら、笑っていた。これは小学校を卒業する頃の記憶だった。

そして、時は遡り、高校卒業の頃、親父は盛大に吐血し、ついに病院に行ってしまう。その時親父が発した言葉は『もう帰ってこねえからな。』だった。私は、この親父のことだ、何をしても死なない男だ。死ぬことはないだろうと思っていた。母も兄貴も同様だった。

顔を見せる度に、状況は悪化しているように見えた。管が増えていってるように見えた。あの親父が、こんなにも弱く、呂律も回らず、目の焦点も合わず幻を見て暴れまわっている。親父が正気のときには安心するが、親父との話が全然頭に入らなくて、言葉も全然出なかった。会話ができなかった。さらにはインフル対策だとかなんとかで面会時間に制限があり、つきっきりになることも出来なかった。親父が言ってた病院とは、こういうことだった。

そして卒業式が終わったあと、学科のみんなで教師にサプライズしようというところで、職員室から通達が来る。はやく病院に来い、と。私は教室から荷物を取って飛び出した。卒業式観覧後の保護者の異様な目線に包まれながら、ひたすら走った。

親父は無事だった。酸素マスクをつけて、呼吸していた。

その時、兄貴から聞いた。兄貴も担当医から聞いた話らしいが。

「親父は『(ぼくの名前)が立派になるまで、仕事に就くまでは、その姿を見るまでは死ねない。死にたくない。』と言っていた。」

兄貴は、私のどうすればいいか分からない感情を察してか、もしくは自分だけは親父みたいに強くいようと思っていたのか、車を運転しながら笑っていた。

その翌日だっただろうか。

自動車学校で講習を受けていた私は、教員に呼び出され、『急事だ』と言われた。真剣な顔をした兄貴がそこにいた。嫌な予感がした。

ピリピリとした空気、兄貴は法定速度をできるだけ無視して急ぐ。病院に着く。そして病室。

母が泣いていた。兄貴は冷たくなった手を握って、なあ、うそだよなあ、うそだよなあ、ホントは生きてるだろ、と上ずった声で涙を流していた。動かなくなった胸を、動かなくなった指を、私は悔しくて苦しくて、泣いていた。

兄貴は葬式で、病院側に愚痴を言っていた。そして、誰の死に目にも合えてなかった、親父でさえ、と嘆いていた。

これを書きながら、私は後悔の念を抱いて泣いている。毎日のように通話をしている朋友の寝息を、呼吸を、生を確かめている。それはまるで親父が私にしてくれたように、親父が、私に、してくれたといっても、私は、その光景を、覚えていないのだが。

呼吸よ、止まらないでくれ。私を置いていかないでくれ。あの人もあの人もあの人もあの人もあの人のことも!!!どうか生かしてくれはしませんか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?