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【二次創作小説】鳩羽つぐ②

■1

「はい!今日は『門』という漢字です。書き順、いきますよー、はーいっ!いーち、にー、さん………」
いつもより先生の声が高い。先生が気にしている教室の後ろには、母親たちが横一線に並んでる。授業参観だ。
母親たちは子どもたちを見ているつもりだけれど、子どもたちも教室の後ろをちらちらと伺っている。こちらから見るとマネキンがズラリと並んでるみたいでちょっとおかしい。
黒板に大きく「門」と書かれる。先生、張り切りすぎで字がちょっと大きすぎる。調子を外した高い声で先生が言った
「えっ、えー……でわ、この門という字で何か熟語が言える人いるかなー!」
みんな母親に良いところを見せたいのだろう。一斉に手が上がる。はいはいはいはいはいはい!はい、は一回でいいのよ。
「えー、じゃあ静かに手を上げてくれた鳩羽さん」
───鳩羽つぐだ。襟付きの白い洋服に、黒の吊りスカート。それに黒い帽子。はい、と答えて、すくっと、上品に立ち上がった。
あの子は、ほかの女の子とは違っていた。母親たちはひそひそ声で「あの子が鳩羽さんの?」「まあ、きれいな娘だねぇ」「やっぱり育ちの良さよね」なんて言ってるけど、違う。
あの子の美しさは、何かに強制された美しさだ───
教室の後ろの引き戸が静かに開いて、母親たちがもぞもぞと間隔を詰めた。会釈をして、一人の女性が入ってくる。
マネキンに例えるならば、一人だけお店が違う。ほかの母親たちは町の洋品店で見る服だけど、彼女は違う───三越の、一番良いショーウィンドウに入ってる上品なマネキンだ──
鳩羽つぐの母親だ。ルイヴィトンのポーチを携えている。ほかの召し物も豪奢すぎず、こう気品のある人は杉並じゅうを探しても他にいないだろう。
姿勢よく立っていた鳩羽つぐは、ちらりと母親を見ると緊張した面持ちをした。先生は、保護者に子どもの授業風景を見せるチャンスと思ったのだろう。
「はい、鳩羽さん。門、という漢字を使った熟語を教えてください」
と質問を繰り返した。
「門松、です」
かどまつ。保護者がざわめいた。小学二年生である。まだランドセルも真新しい二年生。母親たちは「まあ」「さすがね……」「私、門番くらいしか浮かばなかったわ」などと思い思いに感想をもらしていた。ただ、鳩羽つぐの母親だけは無言で、まっすぐと娘を視ていた………



鳩羽つぐがクラスで浮いているのは確かだった。ただ、とくに孤立していたということもなかった。少なくとも、クラスメイトたちは普通に友達として接していた。
小学校のクラスに一人は必ず世話焼きな子がいる。必死に鳩羽つぐをクラスに馴染ませようとするのだが、なにせ共通の話題を見つけるのに難航した。クラスメイトが昨日のバカ殿の話で盛り上がってても、鳩羽つぐはついていけない。鳩羽つぐはテレビを見ないのだ。アニメも見ない。『ちゃお』も読まない。お昼の放送に流れるあの曲、あれはエルガーの「愛の挨拶」だね。そういう会話しかできない。これが共通の話題になるだろうか。

結局、世話焼きも辟易してしまって、クラスメイトたちと鳩羽つぐのコミュニケーションはつぐの服装の話に終始した。
「つぐちゃんの服のブランドどこなの?」
「その帽子かわいいよね」
「髪飾りもかわいいよね」
「リボンもかわいい」
「かわいいねー」
そのたび、鳩羽つぐは───彼女なりの誠意だったのだろう。お礼を言って、彼女たちの好奇心に一つ一つ、これはエルメス、ディオール、セリーヌ………と答えた。
彼女たちが鳩羽つぐに違和感を感じたのは言うまでもないだろう。明らかに自分たちと違う。つぐの着るものが、自分たちのよそ行きの比ではない高級品であることは、別にフランスのブランドに詳しくなくたってわかる。劣等感、あるいは、嫉妬。しかし女の子というのは政治的で社交的な生き物だ。つぐのまえではそういう顔を決して見せなかった。

小学二年生の僕は、一度きり、彼女たちが鳩羽つぐの陰口を言うのを聞いた。
「ねえ、つぐちゃんのおじいちゃんがお金持ちで、フランスの高い洋服とか売るお店をやってるって知ってる?」
「え、そうなの?あー、だからかぁ」
「お金持ちだからってさ、うちらのこと馬鹿にしてるっていうか」
「見下してる?」
「そう、それ」
「わかるー」
彼女たちも悪くはない。そう思うのも仕方なかっただろう。鳩羽つぐも決して彼女たちを軽蔑なんてしてなかった。ただ、住む場所の違う人間の交流は、不幸な軋轢を産む。それは避けられないことなんだろう。しかし、これはあくまで水面下のことだ。幸福にも、あるいは不幸にも、鳩羽つぐがこのことを知ることはなかった。なぜなら───



翌日、いつもと同じようななんでもない日、強いて言えば短い2月の終わりの日のこと。
放課後、クラスメイトたちはいつものように鳩羽つぐに話しかけていた。彼女たちも、つぐと積極的に話したいわけではないのだろう。ただ、───育てるのがめんどうだから、と、子犬を捨ててはならないように───誰もが「悪者」になるまいと、ひっきりなしにつぐに話しかけるのだ。会話はルーティンだった。「靴」「かわいい」「ルイヴィトン」「かわいい」と、どこか儀式じみたやり取りを。

なんでもないように、彼女たちの一人が言った。
「ほんと、つぐちゃんってお人形さんみたいにかわいいよね」
ほんと、そうだよね、ほかの子もいつものように繰り返した。
しかし、このとき、鳩羽つぐだけいつもと様子が違った。
「………人形」
「…………つぐちゃん?」
「わたしはッ!」
鳩羽つぐはそこで息を大きく吸って、ほとんど怒鳴るように言った。彼女なりの声で。
「わたしはお人形なんかじゃないッ!ふざけないで!みんなみんな、お母さんも、みんなもッ!わたしを、人形みたいに!」

場違いにも彼女たちはそれに見惚れてしまった。そういえば、つぐの顔をじっくり見たのはこれが初めてかもしれない。エルメス、ディオール、セリーヌ、ルイヴィトン……そんなものじゃない。そんなものはいらない。この娘はこんなにも美しかったのか。聖なるマリアの降臨を見た司教たちのように、彼女たちは浸っていた。
マリアは突如破顔して言った。とびっきりの、見たものの心臓を締めにかかるような笑顔で
「終わり!」
そう叫ぶと、鳩羽つぐは彼女たちのあいだをするりと抜けた。彼女たちが気づいた時、つぐはもういなかった。ただ雨音だけがサー、と流れていた。



鳩羽つぐは次の日学校に来なかった。その次の日も。そのまた次の日も。しかし、担任含め誰もその事に触れなかった。禁忌というか、聖域というか、もしかしたら鳩羽つぐなんてもともといなかったんじゃないか。そんな気になっていた。そのまま一年、二年と過ぎ、あっという間に六年生になって、僕らは小学校を卒業したのだった。

■2

夢を見た。夢の中には小学生の僕がいたような気がする。なぜだか、僕の知らないはずのこともいっぱい見た気がする。眠気まなこを擦ってインスタントコーヒーを淹れたころには、もうどんな夢だったかさっぱり忘れていた。ただ───懐かしい夢を見たな、と。溶けた綿菓子のあまさを感じるように、その感覚だけが残った。
学生の春休みというのは暇なものだ。なんとなくテレビを付けると「10時25分!10時25分!」と時計を擬人化したキャラクターが告げる。へんに中途半端な時間だな、といつも思う。
テレビには満開の上野公園の桜が映る。花見客でごった返しで、ゴミが大変だとかなんとか言っている。それにしてもなんでみんな花見は上野公園なんだろう。ほかにも桜の木はあるだろうに。
そういえば今年の桜をまだ見てないな、と思い朝食兼昼食にサンドイッチをこしらえて近所の公園に向かった。



公園には先客がいた。仙人。
仙人は葉巻を吸っていた。なるほど、仙人は霞を食うというけど、都会の仙人は煙を喰うのか。老人は大きく息を吸って吟じた。

………漢詩だった。まさか本物の仙人だったとは………
仙人は僕に気がつくと、「pardon!」と言った。ぱど?仙人は葉巻をもみ消すと私に近づいてきた。
「Bonjour、ムシュー。大変失礼しました」
フランス語だった。仙人が台無しだ。代わりに晩年のクロード・モネに見えてきた。赤い帽子を被せればサンタクロースにも見えるだろう。
「強い葉巻ですからね、若い人に煙を吸わせるのは申し訳ない」
老人は国内には売ってなさそうなごつい葉巻をケースにしまった。老人の横には灰皿があって、シガレットの吸殻がこんもりと山を作っていた。さすがに心配になった。
「いえ………あの、失礼ですが、あなたももう少しご自愛なさった方が」
「いいのですよ、私は、仙人ですからね」
ふぉっふぉっふぉっ、と笑った。仙人なのかサンタクロースなのか、はっきりして欲しい。
はらり、と桜の花びらが舞う。老人はベンチに座りながら言った。
「桜、どう思いますか?」
どうって言われても………
「日本の桜はほとんどクローンと言われてますから、わざわざ上野公園やら井の頭公園やらに見に行くのは愚かだと思います」
僕が愚痴でも言うように答えると、老人はたまらなく面白そうに笑った。
「ほぅ、あなたは素直じゃないと見た。私に似ているかもしれない」
私はね、よく、こう考えるんですよ、そう前置きして続けた。
「私たちがね、桜を見るように、桜も私たちを見ているのですよ。で、ふと目が合うことがあるのです。見れば、彼女は不気味ですよ。花だけ咲くんです。葉はなく。あれは山桜を人が改良していったんです。彼女の美しさは矯正された、強制された美しさですよ。だから、ね、桜の花びらが綺麗だなんていうけど、あれは彼女の涙ですよ」
───強制された美、それが美しいのかも知れませんがね。
桜の花がぼとり、と落ちてくる。風も雨も声がしないのに。頭上からちゅんちゅんと聞こえる。雀が餌にしているのだ。ぼとり、またぼとり。ぼとり。
「ところで」
老人は居直して言った。
「あなたはここら辺の方ですか?」
「ええ。生まれも育ちも杉並ですが……」
「でしたら、お尋ねしたい」
───鳩羽つぐ、をご存知ですか?
私ははっとした。なにか、忘れていたもの。パズルのピースが埋まるような感覚に。
「探しているのですよ。もう、十年以上になりますか………」
───いま、ちょうど、あなたくらいの、おんなのこですよ。
「いえ……ごめんなさい。お役に立てることはなさそうです」
僕はそう答えた。
「そうですか………」
老人はポーチから名刺のようなものを取り出して僕に渡した。
「もし、なにかほんの少しでも思い出すことがあれば、どんなことでもいい。ここに連絡していただきたい」
それは名刺ではなく、店の案内のようだった。厚手の洋紙に───鳩羽商会 東京都杉並区西荻窪………その下に電話番号が載っていた。

くるっくー、と鳩が鳴いた。
振り向けば老人はもういなかった。
僕はベンチに座って、手提げからサンドイッチを取り出して食べだした。
ちゅん、ちゅん、ぼとり。ぼとり。
桜の花が首から落ちてくる。
ぼとり。ぼとり。
平和主義者の鳩が遠目にそれを見てる。
「鳩羽つぐ………」
私はつぶやいた。何かを思い出したような………

思い出したところで、今年の桜が散るころには、きっと忘れてしまうだろう。
またぼとり。と、花の首が落ちた。

(完)

平成30年3月30日

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