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【二次創作小説】鳩羽つぐ③

だれかが言ってた。鬼ごっこは、神様に捧げるものなんだって。
──××ちゃんどこ?
───××××ちゃんいないの?

隠れ鬼は終わらない。あの夏の日から───



私たちが住む西荻の町から中央線の線路をこえて善福寺川もこえたあたり。川と青梅街道の間は古いお屋敷や神社なんかもあって、井の頭公園だとちょっと遠い小学生たちにとっては格好の遊び場だった。
区内の遊び場はだいたい球技禁止だから、みんな思い思いに工夫して遊ぶ。花いちもんめ、縄飛び、砂場遊び………いろいろとあるけれども、はしゃぎ盛りの小学生の遊びの定番は鬼ごっこ。
五時半のチャイムがなるまで、ひたすらに、走って走って、追いかけて追いかけて、そんなに広くもない場所をぐるぐると走り回って泥んこになって帰る。それが毎日の平和な日常だった。
あの日もそんな日常の一部───そのはずだった。

あの日、私たち七人は神社で隠れ鬼をしていた。
隠れ鬼はかくれんぼと鬼ごっこのいいとこ取りをした遊びで、鬼ごっこと同じように鬼を決めて遊ぶ。
鬼に選ばれたのはつぐちゃんだった。鳩羽つぐちゃん。家が近いから幼馴染で昔からの親友だ。
鬼、なんて似合わない天使みたいなつぐちゃん───
つぐちゃんは黒いベレー帽で顔を隠して、参道のある広場で百秒数える。(ちょっと長いけどこのくらいが境内で隠れ場所を探すのにちょうど良かった)
ひゃーく、きゅーじゅく、きゅーじゅはっち、きゅーじゅしっち………
つぐちゃんの声を聞きながら私たちは思い思いに隠れ場を探す。
………ななじゅーろっく、ななじゅーご、ななじゅーよん………
つぐちゃんの声が遠くなっていく。

結局私たちはまとまって神社の隅にある小屋に隠れた。蔦が覆っていて、秘密基地みたいな小屋だった。
中にはもう使われなくなったお神輿があって、神事に使うお面なんかがそのまわりに無造作に置かれて山になっている。置いてあるって言うより、捨てられてるっていう方が正しいかもしれない。暗くて、じめじめしてて、お墓みたいな場所だなと私は思った。
小屋の扉を閉めるともう、つぐちゃんの声は聞こえなかった。
きぃ、ぱたん。と素直に扉は閉まった。

「なぁ、ここ逆にばれるんじゃない?わかりやすすぎだよ」
暗闇の中だれかが小声でそんなことを言った。
でも、もう隠れ直す時間もないだろう。私たちはひっそりと小屋に身を寄せた。
ふふ、かくれんぼは隠れている時が一番楽しい。見つかるか見つからないかのぎりぎりのスリル、見つからないといいな見つけないで欲しいな、という臆病な気持ちと、私はここにいるぞっ!見つけてみろっ!、という尊大な気持ちのつりあい………

小屋の中は、暗くて、静かだった。私たちは暗闇と静寂に溶けて、小屋には私たちの心臓の音だけが残った。とく、とく、とく、とく───

静寂を破ったのは五時半のチャイムだった。無線のスピーカーから「夕焼け小焼け」が流れてくる。

   夕焼け小焼けで日が暮れて
   山のお寺の鐘がなる
   おててつないでみなかえろう
   からすといっしょにかえりましょ

「あっ、ごめん俺帰んなきゃ」
「わたしも」
「ごめんね、またあした」

   子供がかえったあとからは
   まるい大きなお月さま
   小鳥が夢を見るころは
   空にはきらきら金の星

……………
あっという間に一緒にいた五人は帰ってしまった。杉並でも西荻あたりの親は門限に厳しい(これは私の主観でしかないけど)。うちはそうでもないんだけどね。にしても、みんなちょっと薄情じゃないですかね。
扉からはまだ明るい夕方の太陽の光と電灯の光が射し込む。じめついた小屋の中、古い神輿を取り囲む能面が、ぬらりと有機的に光ってこちらを見ている。笑っているようにも、泣いているようにも見える。気味が悪いな………
私は少ししてみんなを追うように小屋を出た。
扉をきぃ、ぱたん。と閉めたところでつぐちゃんのことを思い出した。


参道のある広場につぐちゃんはもういなかった。
このとき私はとくに深く考えなかったんだ。
つぐちゃんは門限には必ず家に帰る。
チャイムが鳴った時につぐちゃんも帰ったに違いない。
そう思った。
私は神社を後にした。
またあした学校で会えるだろう。
鳥居にとまったカラスがカー、カー、と鳴いていた。


次の日学校に行くと、つぐちゃんは欠席だった。
夏休み前の浮き立つ空気の中、昨日遊んだ友人たち含めて誰一人その事に触れない。
なんだか、違和感があった。朝寝起きで、自分がどこにいるか一瞬分からないような。あんな感じの落ち着かない、気味の悪さが………

違和感の正体はすぐに分かった。
鳩羽つぐは欠席だった。
朝の会で分かった。
鳩羽つぐが学校に来てないんじゃない。
文字通りに鳩羽つぐの席が欠如していた。
鳩羽つぐより番号が後ろの友人の出席番号が一つずつずれていた。
その事に誰も違和感を示さない。
それこそが違和感の正体だった。

朝の会が終わると私は一目散に彼女の痕跡を探した。彼女の存在を証明できるものを。書道で書いた字、上履きがあるはずの靴箱、プラスチックの朝顔の鉢………
けれども結局私は、彼女の誰よりも整った字も、真っ白な上履きも、紫の朝顔がたくさん咲いた鉢も見つけることができなかった。

放課後、私は昨日の神社に走った。

──××ちゃんどこ?
───××××ちゃんいないの?

隠れ鬼の続きをするように私は彼女を探し続けた。鬼役は孤独だ。どこまでも孤独だ。
声を出すのも疲れた私は静寂のなかひたすらに彼女を探し続けた。

静寂を破ったのは五時半のチャイムだった。無線のスピーカーから「夕焼け小焼け」が流れてくる。

   夕焼け小焼けで日が暮れて
   山のお寺の鐘がなる
   おててつないでみなかえろう
   からすといっしょにかえりましょ

鳥居にとまったカラスが無言でこちらを見つめていた。カラスの瞳が、まだ明るい夕方の太陽の光と、電灯の光を映してぬらりと光る。
カラスは帰らない。私は彼女を探し続けた。自分の心臓の音だけが聴こえる。とく、とく、とく、とく───月が出た。ぞっとするくらい美しく、青くて真ん丸な月が。星も出てきた。月を囲んで瞬く。
───青い月を星々が囲む。
──青い月を背景に、黒い鳥の羽が舞う。
それでも私は彼女を無心に探し続けた。あたりはもう真っ暗だった。音も、時間も、何もかもが暗闇に溶けていく。私は神社の境内をぐるぐると舞うように無心で彼女を探し続けた………

───どれぐらい時間がたっただろうか。
参道の広場から足音が聞こえた。
私ははっとして駆け寄った。
足音が止まり、懐中電灯の灯りがぱっとついた。
「きみ、何してるんだ!」
男性の声だ。
ぼんやりとした光が輪郭を映し出す。
懐中電灯を持っているのは青い制服に身を包んだ警察官だった。
見れば後ろに両親もいた。
鬼みたいに激怒した顔を作りながらも、ほっと胸をなでおろす気持ちを抑えきれずに、心底安心してとろけたような、笑っているような泣いているような、複雑な表情をしていた。
懐中電灯にあてられた私は、ぼーっと寝起きみたいな顔をしていたと思う。
私は何を考えていだだろう。
両親の表情が、小屋で見た能面にちょっと似てるな………そんなことを考えていたかもしれない。

その晩私はこっぴどく叱られた。
お母さんは般若のような顔で私を叱った。なんであんなところにいたの!心配したのよ!───私は上手く答えることができなかった。なぜだか、あのカラスの姿だけが脳裏に焼き付いていた───



久しぶりに西荻に帰ってきた。
私は中学校から祖母を頼って関西の大学の附属の中高一貫校に進学したから、東京の空気が懐かしい。
西荻の街はいつも通りだった。狭い駅前、住宅街の整った道、アンティークショップに小洒落たカフェ………
そろそろ八月になるけれども、今日は雲が多くて過ごしやすい。少し散歩をでもしよう。
私は鞄から写真を取り出す。アルバムから写真を数枚引き抜いておいたのだ。この街を離れる時に、父のカメラで撮った写真だ。
ずいぶんと年季の入ったカメラだった。写真もモノクロ。もうフィルムも製造中止だろう。モノクロに写った西荻の街はなかなかに味があった。

けばけばしい極彩色の看板が目立つ駅前を抜けて、善福寺川の橋を渡った。
駅から川まではずいぶんと近かった。
そういえば、小学校のころ親からは青梅街道より遠くに子供たちだけで行っちゃダメだと釘を刺されていた。それは友人たちも同じだったから、私たちの遊び場はだいたい善福寺川と青梅街道の間だった、けど、(これは大人の足だからかもしれないけれど)川から街道は驚くほど近い。思えば、ずいぶんと狭い場所をぐるぐると走り回って遊んでいたものだ。

見覚えのある神社に通りかかった。視線の先には青梅街道があって、真っ黒なアスファルトの上を赤やら黄色やらの車がうぉんうぉんと走っている。手元の写真にはこの神社のものもあった。
この神社で夜遅くまで遊んでてこっぴどく叱られたことがあったな………私はあの時何をしてたんだろう、なにか、夢中にさせるものがあったのだろうか………写真を見ても思い出すことはできなかった。
鳥居をくぐって境内に入ると、写真のままの本殿があった。とくに今日は曇っているので目の前の本殿もモノクロみたい。

───生まれたときからカラー写真に親しんでいるのにモノクロの写真に懐かしさを感じるのは、なぜだろう。
私は母胎の中がモノクロだからだと思う。
母胎から吐き出された私たちは、サイケデリックな極彩色の中でぐるぐると、目を回しながら生きていく。朝起きて、遊んで、寝て、朝起きて、勉強して、寝て、朝起きて、働いて、寝て………最期には深い眠りについてモノクロの世界に帰っていく───

灰色の空の下、境内で子供たちが遊んでいる。
「ミカが鬼ねー」
「いーろいーろなーに色、なーんの色?」
子供たちが声を揃える。
色鬼か………
私も何度がやったことがある。
鬼が色を決めて、他の子はその色のものを探す。鬼が決めた色にタッチしてる人は鬼に捕まらない。その色にタッチしてない人を鬼は追いかける………
懐かしいな、鬼ごっこ。鬼ごっこにはずいぶんと種類がたくさんある。色鬼、氷鬼、手つなぎ鬼………隠れ鬼っていうのもあったか。

「鳩羽色!」
鬼役の子が答えた。
「なんだよそれ反則だろ!わかる色を言ってよー」
「鳩の羽の色だよ。ほら、そこに鳩!」
鬼が子供たちを追いかける。
「えっ、ちょっ」
子供たちは鳩を追いかける。
鳩は慌てて飛び立って鳥居の上にとまった。
羽を休めて一息つくかのようにくるっぽーと鳴いた。
子供たちの一人が鬼につかまる。
「無理に決まってんじゃーん。飛ぶし。鳩」
「まあまあ、じゃ、つっくん鬼で」
「ちぇっ」

鳩羽色………どんな色だろう。
鳩の首筋は緑色のような、紫色のような不思議な色をしている。でも、鳩の羽の色と言うならば、翼の灰色がその色だろうか。
───いーろいーろなーに色、なーんの色?
子供たちの声が聴こえる。
子供たちはまた色を探す。

私も、何かを探していたような………

──つぐちゃんどこ?
───鳩羽つぐちゃんいないの?

子供たちの声が聴こえる。
私の昔の声に似てるな………

「鳩羽、つぐ………」

聴こえた声を繰り返した。
つぐ………どこか懐かしい。
人の名前だろうか?

ふと、鳥居の方に気配を感じた。

なぜかあたりは暗くなっている。
───白い月を星々が囲む。
──白い月を背景に、灰色の鳥の羽が舞う。

振り返ると少女が立っている。
顔を黒いベレー帽で隠して、鳩が餌をついばむように、ゆっくりと身体を前後に揺らしている。

私は胸にこみ上げるものを感じた。
とても言葉に言い表せない、暖かい気持ちがこみ上げてくる。
鳥居の遠く上の方をカラスが舞う。かぁかぁと、か細い声で力なく鳴いた。

私は鳩羽色の少女に手を伸ばした。

少女はベレー帽を持ち直して頭に被ると、少し鬼に似た、魅力的な八重歯を見せた。


私と鳩羽色の少女は口を合わせて言った。


「みいつけた!」

平成30年4月6日

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