オードリーの奥歯。

オードリーの奥歯には、天国までの地図が彫り込まれている。
まあ、たいした問題じゃない。
みんな知ってることだし、ぼくも一度だけ見たことがある。
割と近所だった。

ぼくらは大学時代からの親友で、互いに就職してからも同じ街に住み、ちょくちょく呑みに行ったり部屋を訪問し合ったりした。

ちなみにオードリーと云うのは奴の本当の名字で、漢字で書くと大鳥居。なるほど、異界への門を司るにはもってこいって感じだが、別に霊が見えるだとか動物と話せるだとか幼い頃に二年間神隠しにあっただとか両親が森に入ったまま帰らないだとかそんな劇的な人生を送って来た訳ではない。

平凡で陽気な男だ。

スナック菓子とお酒が好きで、掃除と早起きが苦手で、給料日前には湿気った顔してカップ麺ばかりすすっている、要するにぼくやきみたちみたいな、ちょっぴり間抜けで善良な人物って訳。

名字と奥歯のフォルムが、ちょっと個性的なだけだ。
そしてそんな事は、たいした問題じゃない。

「歯が痛い」と云い出した。
ぼくたちはサッドカフェのテーブル席でバーボンを舐め、煎ったナッツを齧っていた。
視線を天井に止めて、舌先で奥歯を探るような仕草を見せる。

「虫歯か?」
「たぶんね」

お気の毒。聞けば先月末、あまりの金欠にラーメンすら買えず、戸棚に残っていた角砂糖を舐めながら寝ていたらしい。

「で、甘い夢でも見られたかい?」
「アリに求婚される夢なら見たね」
しかめっ面で笑う。

後日、奥歯を抜いて来た、と聞かされた時も、惜しいとも残念だとも思わなかった。
抜歯を担当した歯科医師も、一顧だにくれず処分したそうだ。

かくして、天国への道は閉ざされたり。
まあ、たいした問題じゃない。

天国なんて無くしたところで、痛くも痒くも無いよな、とぼくが笑うと、オードリーも「まあな」と笑い返す。

それから思い直したように、「いや、痛えよ」と頬を撫でた。

/了

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