見出し画像

【試し読み】2020年センター試験でつまづいた青年の切実なリスケ・・・朝倉かすみさん『もう充分マジで』

先行する『令和枯れすすき』『ドトールにて』では、還暦近い人物が主人公の物語でした。
今作は20歳の青年がメインキャスト。恋人と綿密に立てた計画を着実に、と思っていた矢先、センター試験で失敗し、コロナになって・・・。
コロナ前後の社会の変化とそれに翻弄される青年たちの物語。
冒頭の一部公開中です。

(イラスト:millitsuka デザイン:アルビレオ)

■著者紹介

朝倉かすみ
1960年北海道生まれ。2003年「コマドリさんのこと」で第37回北海道新聞文学賞を、04年「肝、焼ける」で第72回小説現代新人賞を受賞し作家デビュー。09年『田村はまだか』で吉川英治文学新人賞、19年『平場の月』で第32回山本周五郎賞を受賞。他の著書に、『ロコモーション』『静かにしなさい、でないと』『満潮』『にぎやかな落日』など多数。

■あらすじ

地元の国立大学へ進み、卒業後は公務員もしくは堅実な企業で勤め、学生時代からの恋人・心夏と結婚、子どもとマイホームを持ち、お互いの親と家業も手助けして、というのが明人たちの描いた明るい家族計画だった。が、初っ端からいきなりつまずいた。そして、世の中がコロナ禍に突入するのと同期するように、部屋に引きこもるが、二年経ち、自分の病名と病因を分析・納得した。今はコンビニで働く明人、彼を支える心夏、深夜に彷徨する未就学児の兄弟、それぞれの諦念と明日への一歩を描く。

■本文

 1 

 駅前の蕎麦屋を左に曲がり、直進すると市内屈指の大規模マンションが出現する。
 地上十五階地下一階建てで、総戸数は百五十。高低をつけた植栽を脇に見てタイル床を歩いていけば木製ドアが左右にひらく。目の前のオートロックシステムを操作するとガラス扉がスーイと開いて広々としたロビーがお目見えする。右手にはホテルのクロークみたいなコンシェルジュカウンター。制服を着た女性二名が会釈する。中央のステップを上がると素敵な応接セットが用意されていて、住人と来訪者とのちょうどよい待ち合わせ場所になる。軽いミーティングもできる。ぱりっとしたスーツ姿の数人が感じのいい笑顔で名刺交換をするようすが垣間見られ、なにもかもがなんとなく格好いい。全市民あこがれのマンションだ、ったのはざっと三十年前の話である。
 いまや持ち家として入居している戸数は半分にも満たない。
 竣工したての新築マンションだった頃からの入居者はそのまた半分以下で、皆、高齢となっている。コンシェルジュカウンターは無人。奥の小部屋に待機しているのは眠そうな目をした派遣の管理人だ。
 応接セットはあるにはあるが、ラベンダー色のソファの生地は色褪せて擦り切れているし、白いテーブルはガタついている。ここ数年はもっぱらアジア系およびラテン系ファミリーのパーティルーム兼キッズルームと化している。
 ファミリーは、このマンションの賃借人の同居者たちである(たぶん)。契約書類がどうなっているのかはさておき、現在では、このマンションの一大勢力となっている。確たる証拠はないのだが、2LDKの一室に驚くほどの大人数で暮らしているようだ。
「むかしっからだってさ。夏んなるとしょっちゅう救急車がピーポピーポ来んだよ。そ、熱中症。エアコン代ケチって。で、救急車の人がドアを開けたら大人やこどもや赤ちゃんがワラワラ出てくんだって。ホントだって! 有名だもん! かき分けてもかき分けてもナニ語だか分かんねぇ早口でベラベラ喋りながら出てくるらしいよ。てゆーかこんなハナシ」
 みんな知ってる、と銀河ぎんががフンと鼻を鳴らした。
「うん、みんな知ってる」
 風雅ふうがも鳴らす。「な?」というふうに兄弟はうなずき合った。彼らは、かのマンションの住人である。ちょっと得意そうな顔つきを揃えて、明人あきとを見上げた。
「へぇ、そうなんだ」
 明人は兄弟から視線を外し、どうでもよさそうに応じた。これは彼の癖のようなものだった。鏑木かぶらぎ明人は、他人からもたらされた情報に、面白みを感じ興味が湧くのをまぁまぁ恥としている。自分が知らなかったニュースや知識や噂を相手が知っている、そんな状態がうっすら屈辱なのだ。さらに屈辱感を高めるのは、その情報に自分が興味を持ったと相手に悟られることで、それは七歳と五歳の兄弟相手でも変わらない。「なるほどねぇ」と語尾をぼやかしてつぶやき、その話題を終わらせた。
「チョックロ」
 と手のひらを上にし、小指から握り込んでいって催促する。
「ほら、チョックロ」
 銀河も右手をグッパー、グッパーと動かした。
「ほいきた」
 風雅が、パンがたくさん入った番重ばんじゅうの脇にしゃがみ込み、ロカボマークのついたチョコクロワッサンを「はい、チョックロ」と銀河に差し出す。受け取った銀河が明人に手渡し、明人が陳列棚に見場よく納める。数回繰り返したのち、明人が言う。
「んじゃ次。ハムチ」
 パンの略し方は明人のオリジナルだ。ハムチはハムチーズブレッドで、ロンパはメロンパン、ちぎっパはちぎりパンという具合。三人だけの隠語なものだから、ちびの兄弟は声に出すのが愉快でならないらしい。言うたび、どちらもイヒヒという口つきをする。日灼けを重ねた味しみ大根みたいな色の頰が持ち上がり、よく似た大きな黒目がいくらか細まる。まるで昼さがりの公園で仲良くブランコの順番待ちをしているように見えるが違う。
 時刻は午前一時三十分だし、場所はコンビニだ。付け加えるなら、日にちと曜日は十一月八日の火曜。平日である。

 ――なんだあれ。シタ・・はまだ幼児だろうけど、ウエ・・の方は小学校にあがってんじゃないの? 大丈夫? 学校で眠くなんない? いくらなんでもこどもは寝る時間だよね、っていやいやいや、じゃなくて、こどもがこんな時間にフラフラしてるってどうなの? 一般通念的にアウトじゃね? 
 初めて兄弟を見かけたときの明人の感想だ。
 バイト初日でもあったので仕事を覚えるのに精いっぱいだったが、ものすごく気になった。
 彼らのようすは「コンビニでよく見るこどもら」そのものの普通さで、それがその異様さをひどく高めた。
 翌日も、そのまた翌日も、兄弟はやってきた。彼らは小遣いを持っていて、午前零時から二時近くまでたっぷり時間をかけて店内をくまなく物色し、なにかちいさなお菓子をひとつずつ買っていく。
 その際のレジ担当とのやりとりも明人はだいぶ気になった。
 兄弟は、歯が抜けたとか生えたとか、ヘソをほじくってたらニチャニチャしたのが出てきて焦ったとか、そんな報告をニコニコ顔でレジ担当にするのである。しかもカウンターに両手をついてぴょんぴょんしたり、頭を乗っけて胴体をごろごろ回転させたりしながらだ。
 レジ担当もレジ担当で、眉を上げたり、目を見ひらいたりのリアクションをしながら機嫌よく聞いてやり、最後は「ありがとございました、おやすみー」と手を振る。兄弟も「おやすみー」「おやすみー」と手を振って店を出ていく。自動ドア越しにまた大きく手を振って、ヨーイドンとばかりに駆け出し、夜のなかに吸い込まれるように見えなくなる。
 ――変じゃないか? なにかが、っていうより、すべてがちょっとずつ。
 ある日、我慢しきれず、明人は菓子パンの品出しをしながらレジ担当に訊いた。
「なんですか、あれ?」
「あーいつもよ」
 アルナさんが口元で微笑んだ。アイラインで囲ったようなハッキリした大きな目で明人を見て、「おとくいさん」と付言した。アルナさんのものの言いようは常に簡潔だ。
「マンションの子たちだよ」
 フライヤーの掃除をしていたチャンダンさんが振り返って補足するように答えた。合唱部の花形みたいないい声で「ほら、近くの」と四角い顎で方向を指し、アルナさんにうなずきかけた。アルナさんもふふっ、とうなずく。上目遣いでチャンダンさんを見やり、また笑った。
 ははーん、と明人は察しをつけた。好き合ってんな、と思ったが、それはともかく、(ああ、あのマンションね)と口の中で言った。古びた大規模マンションだ。その裏手に明人が働くコンビニがあるのだが、それはともかく、と再度思った。いつものシフト仲間三人のうち二人が好き合ってるとなると、「なんか気ィ遣うわ」と聞こえないようにつぶやいた。
 それもこれも二ヶ月前のことだった。いまやチャンダンさんとアルナさんはしっとりとした雰囲気で見つめ合う時間が増えたし、兄弟が明人の「お手伝い」をするのは、すっかり日課となっている。
 ちょっとした光陰矢のごとしだな、と明人はたまに思う。
 バイトを始めるまでの自分が前世の人物に思える。そのくらい遠い記憶に感じる。つまりあらかた忘れている。
 たった二ヶ月で? そんなばかな、と、たまに思い出そうとしてみるのだが、壁に映った人影が目に浮かぶだけだった。ろうそくの炎みたいに揺らめいていて、誰かがフッと息を吹きかけたらたちまち消えてなくなりそうな、おぼろな人影だ。
 明人はかすかに笑い、それから唇を固く結んだ。現在の充足感がこみあげるのと同時に、あの頃の自分には戻りたくない、と改めて思った。

2 

 九月からバイトを始めようとしたのには明人なりの理由があった。
 それは「キリのよさ」である。九月は夏休みを終えた人々がきもちも新たに日常生活に帰ってくる。その心機一転っぽい風潮に乗じようとした。今度こそ乗っかりたい、いい機会にしたいと思っていた。
 実は何度も失敗していた。心機一転っぽい風潮を匂わせる月は九月だけではない。例えば、年の初めの一月、旧暦じゃ正月の二月、年度替わりの四月、カレンダー的下半期スタートの七月。明人はどの月もネットの求人サイトを眺めてはバイト先をじっくり検討したのだが、ここだというところはなかなかなかった。明人は、人間関係が煩わしくなく、拘束時間短め、作業軽め、時給高めというのがいいな、と思っていた。一方で、そんな理想すぎる職場など滅多にないのも分かっていた。無難そうな求人募集をいくつかピックアップし、面接を受けに行こうと決心したりもしたのだが、行動を一日延ばしにするうちに日が過ぎてしまった。
「キリのよい」月を棒に振ると、それ以外の月に始動する気が起こらない。
九月の翌月は十月だ。十月は十一月、十二月と一緒になって年の瀬トリオみたいなものを組んでいる。師走感を加速させ、人々を「来年に賭けよう」モードにさせる。
 つまり、九月のキリのよさを逃すと、なにもしないで二〇二二年が終わってしまうのだ。一年なんてほんとうにあっという間だ。明人はよく知っていた。とくにコロナの一年間は早かった。二〇二〇年と二〇二一年だ。この二年間は冬眠していたとしか思えない。すべてが夢の中のできごとのようだった。


※ 続きは電子書籍版でお楽しみください。

U-NEXTオリジナルの電子書籍は、月額会員であれば読み放題でお楽しみいただけます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?