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【試し読み】弟の将来だけが希望持てるかも・・・朝倉かすみさん『非常用持ち出し袋』

令和枯れすすき』『ドトールにて』『もう充分マジで』につづく朝倉かすみさんの連作シリーズ第4弾。
中学三年生の小豆沢芙実とその一家に起こった、コロナ前からwithコロナ時代への後退と躍進の物語。
冒頭の一部公開中です。

(イラスト:millitsuka デザイン:アルビレオ)

■著者紹介

朝倉かすみ
1960年北海道生まれ。2003年「コマドリさんのこと」で第37回北海道新聞文学賞を、04年「肝、焼ける」で第72回小説現代新人賞を受賞し作家デビュー。09年『田村はまだか』で吉川英治文学新人賞、19年『平場の月』で第32回山本周五郎賞を受賞。他の著書に、『ロコモーション』『静かにしなさい、でないと』『満潮』『にぎやかな落日』など多数。

■あらすじ

思えば、この三年は小豆沢家にとって動乱の日々だった。ご存じコロナがあり、それに少なからず影響を受け、父が長年勤めた会社を辞めた。芙美が中一の秋だ。養生期間に入った父と、一家を支えざるをえなくなった母。今は父も日雇いながら社会復帰している。二歳下の弟・青龍は、家族で唯一勉学を得意とし、本好きの彼は気に入ったフレーズをノートに書き留めている。芙美はこの三月中学を卒業した。その先はもう決まっている。吉と出るか凶と出るかはわからないし、今はまだ考えたくない。

■本文

 1
 
 小豆沢あずさわ芙実ふみは嬉しかった。
 さっきから目尻に笑みがたまっていた。口元もほころんでいる。
 喉を伸ばし、空を仰いだ。午後四時を過ぎていたが、三月の空はまだ青かった。どこもかしこもきっぱりと澄んでいる。
 息を吸うと胸いっぱいに明るさが広がった。真っ白なシーツを思い浮かべる。物干し竿にかけ、洗濯ばさみで留めたシーツだ。
 大きな風が吹いてきて、芙実の前髪をやさしく煽った。シーツも風をはらみ、太っちょのお腹のようにふくらむ。と、どこからともなく笹舟みたいな船体がやってきて、シーツの下にくっついた。シーツは帆となり、だから帆かけ舟となり、ヨーソロー、踊るように走りだす。あちらに行ったかと思えばこちら、こちらかと思えばあちら。たまにくるりと宙返りをしたりして、空の広さをこころゆくまで味わっているようだ。
 芙実は声を立てずに笑った。すぐに前髪を直し、まだまだ、というふうにかぶりを振る。
 昨日、中学を卒業した。卒業証書を手に、友だちと、ありがとう、この次会うまでさようならと言い合った。なのに芙実の身分はまだ中学生のままらしい。完全に中学生でなくなるのは四月からだと担任が言っていた。あと十六日だ。十六寝たら自由になれる。帆かけ舟が走るのはその日からだ。
 あーでも。やっぱり顔が緩んでしまう。芙実は腕を交差させ、肩口を擦った。ほのかな摩擦熱が粟立った皮膚を鎮めようとして、逆にうっすらとした寒気が起こる。ぞくぞくする。つい細かく膝を揺らしたが、芙実自身にもそれが武者震いなのかどうかよく分からなかった。
 
 駅前広場にいた。市でいちばん大きな駅だ。橋上駅舎というもので、真上から見ると、駅の入口から三方向に歩道橋が延びている。
 全体図としてはデサントのマークに似ていた。上の横棒が駅の入口で、三本の下向き矢印が歩道橋。歩道は幅が広いだけでなく長さもあり、ベンチや大ぶりの鉢植えが置いてある。
 ところどころニスのはげた木製のベンチは大人がようやく二人座れるサイズだった。芙実の目の先で、歳を取った女の人が大きなお尻とちいさなお尻をぴったりと寄せ合っておしゃべりをしている。
 芙実も弟の青龍せいりゅうとベンチに腰を下ろしていた。場所はデサントのマークでいうと、上の横棒と真ん中の下向き矢印が交わるあたりだ。
青龍は図書館で借りた本を読んでいた。角の擦れた古い本だ。昔風のマンガみたいな挿絵が入っている。「こどもが読む本でしょ?」と訊いたら、猫っ毛を揺すって「えー?」と生返事をした。「どんな話?」と訊くと「希望の話なんじゃない?」と上の空で答えた。ふぅん、と口のなかで言い、芙実はそれ以上話しかけるのをよした。
 本を読む人の邪魔をするのは気が引けた。本を読んでいる人は、今、忙しい、という空気を発する。仕事から帰った芙実の母に似ている。母はただいまと言うが早いか洗濯機を回し、たとえばある日の夕食なら、冷凍しておいたごはんをチンし、まな板で野菜と肉か肉の代わりとなるものを猛然と刻み、フライパンを火にかけ、チャーハンをつくる。母は黙々と作業する。口をひらくのは、寝そべってテレビを観ている父に「ちょっと、そこらへん片付けといて」と言うときくらいだ。「ほいきたどっこい」と父は気軽に立ち上がり、そのへんのものを足でどかして家族の座るスペースを空ける。
 作業中でなくても母の口数は少ない。しゃべるにしても、頭のよさそうなことは言わない。そこが進んで本を読みたがる人とちがう、と芙実は思う。たとえば図書委員の畑山はたけやまさんなどは、勉強は普通だが、頭のよさそうなことを言う。これはこうです、と言えばいいのに、この場合、これはこうかもしれませんが、という言い方をする。訊いてもないのに、なぜかというと、と理由を並べたり、特に聞きたくないのにいろんな例を挙げたりして、話が長くなる。
 進んで本を読みたがる人たちは、文字を読みたがる人々でもある。どこに書かれた字でも億劫がらずに読みがちで、芙実の家では青龍がそうだった。青龍は百円ショップで買った食器を包んだ古新聞も丁寧に皺を伸ばして読み、「へー」と言う。学校からのお知らせも一行ずつ全部目を通し、要点を親に伝える。
 十歳のときにはアパートの前の電柱に貼ってある洪水時の浸水状況を示す看板も読んだ。さらに図書館でなにやら調べたらしく、「たいへんだ、昭和なん年、このへん一たいは水びたしになり、じん大なひ害をこうむった」と勢い込んで家族に教えた。
 非常用持ち出し袋の作製を訴えたのだが、「あ? なに言ってんだ、おまえ」と父に鼻先であしらわれ、ボンッと顔を赤くした。もじもじしているうちに普段の色白に落ち着き、「べつに?」と首をかしげた。 
 青龍は家族のだれともちがっている。きっと頭がいいのだ。成績だっていい。だけれど青龍はそれが表に出てこない。青龍は、だいたいいつもポカンとしていた。たまに風のにおいをかぐように、スンスンと小鼻をぴくつかせたり、ちょっと首を伸ばすような動作をしたりするくらいだ。
 青龍は軽い斜視で、左の視線が少しだけひらく。どこを見ているのか、すぐそばにいても摑みづらい。芙実はそこもまた青龍のよさだと思っている。青龍には芙実たちの見えないものが見えている、たぶん、そうだ。
 顔も可愛い。頭の幅が狭く奥行きがあって、外国の少年みたいだ。背が低いわりに手足が長く、枝のように痩せている。来月から中二なのだが十三歳になったばかりなのは、三月生まれだから。四月生まれの芙実との学年差は二年だが、歳はまるまる三つちがう。
 
 芙実は生まれたての弟を覚えていた。芙実の最初の記憶だった。
 弟は白いシーツの上でぐっすりと眠っていた。この世に生まれ、それで足りるとするようにホカホカとした赤いからだをくつろがせ、時々、笑うように口を開けた。
 芙実はとても嬉しかった。はればれとした喜びが湧いてきた。ぐっしょりと心が濡れ、泣きたくなった。弟はどこか遠いところから運ばれてきたようだった。この子は大事。チョコレートを口のなかで溶かすようにそう思った。大事にしたい。
 数日後、弟に名前がついた。横綱大鵬幸喜にあやかり幸喜こうきと命名された父が、横綱朝青龍明徳にあやかり、青龍と名づけた。明徳ではなく青龍にしたのは、そのほうが男らしくて強そうだから。父はこの名付けをたいそう気に入っていた。パンッ、と、まわしを叩くふりをし、よく朝青龍の気合い入れを真似してみせたものである。勇壮な踊りを披露するように腰を落とし、腕を振り回して言った。
「縁起もいいだろ、なんたって青い龍だ、かっこいいなんてもんじゃねぇよ」
 青龍。青い龍。芙実は今でも弟が大事だ。
 青龍を買っているのは家族で芙実だけだった。両親は青龍をもてあましていた。二人に言わせれば青龍は愚図でのろまで陰気だった。役立たずの三拍子が揃っている上に、なまじっか勉強ができ、本好きなので、本人にそのつもりがなくても、なにかこう生意気な感じがする。親が知らないことを知っているような目つきをしたり、言いたいことはあるのだが、あなたたちにはきっと通じないだろうと取りやめるような口の動きをしたりする。
 あれじゃあ世間では通用しない。上司や同僚に疎まれ、爪弾きにされるに決まっている、かわいそうに、というのが親の青龍評だった。
 不憫がってはいるのだが、本気でうざったくなることがあるようだった。「なーんかうるせぇんだよなぁ、おまえって」と父はたまに心底厭だという暗い目のままニヤニヤ顔をつくり、青龍の頭をひとつはたく。ポカンと口を開ける青龍を見て、母は厚めのまぶたの奥二重の目を細め、それから視線を泳がせて芙実を探す。少し経ってからこう確かめる。
「ねぇ、あの子、ほんとに学校でいじめられてない?」
「あー大丈夫みたい。仲のいい子たちとわちゃわちゃしてるよ」
 芙実はなんでもないように答える。下校時に見かける青龍は同じ帰宅部の何人かと話しながら歩いていた。愉快そうではあるのだが、やかましさのないひとまとまりだ。身振りもそんなに大きくない。
 青龍たちの会話は鳥のさえずりというのではなく、草むらの松虫が鳴くようだった。チッチロリ、チッチロリと絶え間なく言葉を交わす。ほかの一群とすれちがうと、押し黙った。一群が遠ざかったら揃いも揃って細い首を突きだすようにして、またチッチロリ。合間にふふふと笑ったり、空中に字か絵をかいたりして、チッチロリ、チッチロリ。
 芙実たちのグループと行き合うときもそうだった。鳴き声がやみ、いっせいに身構える。「お、青龍」。七海ななみが面白そうに声をかけ、つむぎがキャハハと指差し、璃子りこが「寄り道すんなよ」と注意する。芙実がしょうがない奴らでしょ? というふうに軽くうなずくと、青龍もまったくもうという顔でうなずき返し、そうして松虫たちは一目散の早足で行き過ぎようとする。タッタッタッと遠ざかるぶかぶかのブレザーの後ろすがたを眺め、つむぎが言う。
「あーゆー子たちってなにが楽しいんだろうね」
「ふん、あの子らからしたら、うちらもそう思われてるよ」
 七海が応じ、「なーにが楽しいんだかって?」と璃子が補足し、つむぎが「分かる、分かる」と拍手笑いをする。つむぎは釣られて笑った芙実に「芙実んちのメガネくんはかわいいよねー」と力強く言う。
 つむぎは青龍を「メガネくん」と呼んでいた。青龍は眼鏡をかけていないのだが、なんかそんな感じ、と言ってそう呼ぶのをやめない。つむぎは自分の兄も「メガネくん」と呼んでいる。つむぎの兄は眼鏡をかけていて、県でも有数の進学校に通っていた。
「うちのメガネくんなんかいいトコいっこもないよ、頭いいアピうざいし無視したら変に絡んでくるしで結局しんどいし、モミアゲ長すぎだし、剛毛すぎだし、私服、怖いくらいダサいし、こないだなんか……」とつむぎは前髪を指でいじりながらしゃべる、しゃべる。
 つむぎは色白で、顔立ちがお雛さまに似ている。黒くてサラサラのボブといい、見た目は清楚でおとなしそうだ。その実、芙実たちのグループではいちばん騒がしい。
 七海も璃子も似たようなものだった。賑やかになるのは仲間内でいるときだけで、授業中はおとなしくしている。朝の会や帰りの会ではどんな議題でも関係なさそうに下を向く。日直にあたるか、どうしてもなにか報告をしなければならないときは、必要最低限の言葉数で凌いでいた。
 芙実も同じだ。ただし芙実は仲間内でも聞き役に回ることが多く、訊かれたら答えるスタイルなので、グループ内外の振る舞いにはほとんど差がなかった。
 芙実たちのグループは、クラスでの目立たなさでいえば、青龍の松虫グループとおそらくそんなに変わらない。でも、仲間内ではクールでちょっと皮肉屋の七海、サバサバした男の子っぽい璃子、はしゃぎたがりで明るいつむぎ、聞き上手でしっかり者の芙実と認め合い、仲良くやっていた。四人とも勉強が苦手で、成績もそんなによくなかったので、その点でも気が合った。
 
 芙実はまた空を仰いだ。帆船はもう見えなかったが、航跡を追うように頭をめぐらせた。口元をほころばせたまま、夢中で活字を追う青龍の目をなんとなく確かめる。
 青龍は位置の異なるふたつの黒目を上下に動かしている。本に書いてある事柄以上を吸収しているように見えた。青龍の目はうるうると濡れていて、たっぷり水を含んだスポンジのようだ。
 からだをそうっと献血ルームに向けた。献血ルームは芙実の斜め後ろにある。両親が献血を終えたら、カラオケ屋で芙実の卒業お祝い会をする予定だ。


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