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ワタシノ昼寝日和.




わたしの寝室からは、目が覚めると山の景色が広がる わたしは、この棲み処をとても気に入っている. 桜の季節には 山桜の点々が 花びらのピンク色にガクの紫に朱色を混ぜたような色と葉っぱの新芽の赤紫色と まだ芽吹く前の枝がひろがる樫の木の白けた色たちのグラデーションが 青い空と白く筋をひっぱる雲を背景に広がっていく.  あの濃い深緑は杉林だわ あれは自然であって自然でない 森でなく 林なのよね 早春は赤茶の花粉を纏い 遠くからでも見えるくらいに大量の黄色く白い粉を吹く.  

なんて愛しい時間なのだろう. そう思いながら 闘病していた頃がある. 痛みを忘れるための薬の副作用で一日の大半を寝て過ごし ふっと瞼があがると この景色が広がり なんて幸せなんだろう なんて幸せなんだ と 痛みも忘れ そう感じていた. 嗚呼.飛んでいきたい 心の底から 湧き出た情動は 脳内の いったいどんな電気信号を 拾い集めたらこうなるのだろう. 

あれから数年経ち どこにでも飛んでいけるようになってから見るこの景色に あの頃ほど 情動が動かない 愛しい景色だと感じるけれど あの時ほどの 激しい電気信号は 届かない. それは しあわせ なんだと思う. 

夜空に浮かぶ月は輝いて見えるけれど 昼間の月は目にも映らないように・・・ 砂糖の中に砂糖を落としても その砂糖の甘さに気が付かないように・・・ 常に幸せだと 幸せとは映らず、当たり前という名前に書き変わる. 当たり前という言葉の意味を 退屈ととらえるか 幸せととらえるか それは 自由だ. しかし なぜか 退屈というネガティブな言葉のほうが しっくりきてしまうのは 脳が持つ 恐れに対して抵抗できる策を事前に練っておこうという おせっかいな未来予知のせいかもしれない.   

あらゆる自由を奪われ 時間を奪われ ほんの少し残った わたしの自由が あの景色の中の 時間の流れだった. 

時計に目が行くようになり 時の流れは一定だと 勘違いしているときがあるが 時の流れは 一定ではない 心待ちにしている時は長く その時が訪れると あっという間に 過ぎ去っていく 楽しかった時間に思いを馳せると 永遠となる.  

束縛されず 自由に 時を刻む 肉体は 生まれ朽ち 時を刻む だが、人の目に見えるものだけが全てではない 顕微鏡の世界が広がるどこかに わたしのなにかしらの粒子が 入り込み 展開しているかもしれない わたしのなにかしらの粒子ではなくて あなたのなにかしらの粒子がわたしを真似て 展開していく. の、かもしれない. 

あなたのなにかしらの粒子がわたしを真似して展開したとき ソレはどんな人として構成されていくのだろう  その構成は あなたの自由だ.  


こんなに感傷的な情動を呼び起こしたのは あっという間に駆け抜ける春という季節と 定期的に何度も見ているネットフリックスの「PLUTO-プルートゥ」を見たからかもしれない.   

時の流れの移り変わり と 記憶の保存状態  を 人間とAIを並べて比較している  

生きるとは 結論を見つけない事 死ぬとは 結論を見つける事 生きるとは 時間が流れる事 死ぬとは 時間が止まること 時間が止まるとは? 肉体が三次元から次元落ちすると 時間は止まるのだろうか? 昨日見たPLUTOをきっかけに わたしの過ごした時間の中の いろんな言葉が 意識が 湧いては消え 頭の中を 駆け巡る. 拡大して収束しながら 彷徨い歩く.  まとまりがなく ざわざわとする 今日はそんな日だ 暖かい風と 森の新緑が萌える 景色とはウラハラに. 


こんな日は お昼寝日和.


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