トンビとクレープと
鎌倉にあるコクリコのクレープは食べたことがあるだろうか。
原宿の竹下通りといえばクレープ、というイメージがあるように(あるよね?)
"鎌倉といえばコクリコのクレープ"といってもおかしくないくらい、鎌倉に行くと必ず訪れている。
クレープ生地にバターと砂糖だけをのせたバターシュガーがまた美味しいんですよ・・・
かしこいトンビ
数年前、関東に住んでいたころ職場の先輩(女)と一緒に鎌倉に遊びに行った。
たしか鶴岡八幡宮に大凶のおみくじを引きにいき(だってなぜか毎回大凶がでるのだ)
そのあとコクリコに向かう。
調べると、今は昔あった場所とはべつの場所に移ったようだが
当時の店舗の受けわたし場所には
"トンビに注意"
の注意がきが多く貼ってあった。
それを横目にみながらクレープを受け取り、
先輩(女)とキャッキャしながら歩いていると
私の左手からクレープが消えた。
バサバサと飛び去るトンビ。
大げさ〜
と思うかもしれないが、
本当に消えたという表現しか見つからない。
それくらい上手にトンビがクレープを持ち去っていったのだった。
そのあと訪れた美濃焼の器のお店だったかな、そこのおっちゃんにその話をすると
「トンビはかしこいからねぇ〜。
ずっと高いところから獲れそうな獲物を狙ってるんだよ。トンビはね、あいつからなら獲れるって人を見極めて、そこしか狙わないんだよ。
ハッハッハ〜!!!」
といった内容のことを言われた。
えっ?
ハッハッハ〜トンビはかしこいなぁ。
"俯瞰"をモノにする
なんでこの話を思い出したかというと、俯瞰(ふかん)について考えていたからだ。
講座内や受講生のみなさんとのやりとりでも幾度となくでてくることばの一つ。
俯瞰って、わりとよく聞くけどモノにできていなくて、突き詰めることをしていなかった。
なんか難しい漢字だし…(漢字かい)
・客観視
・視野を広く
・よい意味で他人事
そんなところだろうか?
私は普段、状況を客観視するクセがあると思っている。
自分の左上にさらに小さな自分を従えていて口を出してくるイメージだ。
それで終わればよいのだけれど、
また違った角度で客観視している小さな自分がもう1人やってきて、惑わされることがよくある。
アニメなどでよくある、脳内の天使と悪魔が口論をするシーンのように。
きっと少しだけ、感情が邪魔をしている。
俯瞰という言葉を改めて調べたとき、はじめに浮かんだのが冒頭のトンビのエピソードだった。
鳥瞰(ちょうかん)とも言われるくらいだから、ね。
客観視すらもまだうまくできない自分だが、
もはや人間の立場をすっとばしてトンビになった気分で、もっともっと上から見下ろしてみたらどうだろう?
そうすればもっと冷静に、ものごとをみられるようになるのではないか。
そんなことを思った。
おわりに
思いがけず過去のトンビのエピソードが理解の助けになった回だった(そんなことある?)
客観視をうまくしきれない理由についても、なんとなく深掘りできた気がしている。
これから、自分のもののような顔をして俯瞰というワードを使いこなしていきたい。
金沢は犀川沿いにもトンビがよく現れます、川沿いピクニックをされるときはどうかお気をつけて。
俯瞰の意味をよく噛み砕いてみたら、
モノにできればすこし強くなれそうだということが分かった話でした。
最後まで読んでくれた方の今日が、良い日となりますように。
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