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あたしのソレがごめんね⑩

第十章 ーパンドラの升ー

私が「うるさ」と言った翌日、朝美は高校に入って初めての期末テストで学年一位をとった。
私はさして驚かなかった。
朝美はもともと出来る子だとよくわかっていたから。
私が感情を閉ざして後退していく中、朝美はどんどん新しい世界の扉を開けていく。

私たち双子はまるで陰と陽だ。ボールが空に高く弾んでいけば影が小さく薄くなるように、朝美が自己実現するほど私は自分が何者なのかわからなくなった。
それでも影はボールに憧れずにいられない。
影は自ら弾むことが出来ないと知っていて、黙ってボールについていく。
虚しい存在だ。

その日の夕食はカレーだった。母は朝美のカレーにハンバーグを乗せて喜んでいた。おかずの上におかず。バカみたいだ。
でもそんなバカみたいな母の愛情を私は愛おしく思った。
そして家族からの称賛をくすぐったく感じている朝美の横顔はとても綺麗だった。
おめでとう。よく頑張ったね。
そう言いたくても今の私には出来なかった。

朝美が昔からカレーの白米ばかり食べていたのを思い出した。
「ルーは美味しいからいいこと、ご飯は味がないからわるいこと。
いいこととわるいことはどっちが来るか選べないけど、カレーは選べるの。最後にいいことが沢山残ってたら嬉しいでしょ!」
そう言って小さい頃からわるいことばかり食べてきた朝美にも、ルーの出番がやってきたのかもしれない。
素直にお祝いが言えないかわりに私のルーを少し朝美の皿に足した。
これからは、きっといいことが続くよ。

ボート屋が休みの日の放課後、朝美は例の賢い男子と話していたので一人で帰った。
私には趣味も特技も無い。こうして何もすることがない現状をみると朝美の隣に居ることが唯一のアイデンティティだったのかもしれないと思う。
姉が居なければ何も残らない不出来な妹だ。

「おーい!夕希ぃ~!!」
聞き覚えのある図太い声に振り返ると、一段と大きくなった蛾次郎くんが手を振ってこっちに向かってきていた。
「久しぶりだなあ!!元気にしてたか?」
全然元気じゃないです。そう言う代わりに上がらない口角を指で押し上げて
「へへっ」
と返した。
蛾次郎くんは前と同じように眉毛をハの字にしてこう言った。
「万事快調、って訳ではねえみたいだな」
蛾次郎くんはがさつで鈍感なように見えて人の気持ちを汲めるところがある。だから私は憧れる半面、彼と過ごす時間が苦手だった。
いつも私の暗い気持ちを察させて、彼を困らせてしまう。

「朝美なら彼氏とデート中よ」
出来るだけ冗談っぽく言った。ボート屋で泣いた日をきっかけに私が心を閉ざしたなんて絶対に悟られてはいけないと思った。
「そうか!!それはめでてえな!!よろしく言っといてくれよ!!」
蛾次郎くんは顔の半分以上が口なんじゃないかというくらい大口を開けて笑った。蛾次郎くんは朝美のことが好きなんじゃないかと思っていた節があったので少し意外だった。
「しかしな、今日用事があったのは夕希になんだ。この後、大丈夫か?」
「私?別にいいけど」

私と蛾次郎くんはボート屋から少し離れた湖のほとりに腰を下ろした。
その日は霧もなく晴れて澄み切っていて、向こう岸まできれいに見えた。
「これ、なんだと思う?」
蛾次郎くんはポケットからカラカラと沢山の木片を出して見せた。でもただの木片じゃない。丁寧に何かの形に削り整えられた部品のように見えた。
「きれい……」
人の手が加えられているのに自然のものだと一目でわかって、未知の美しさがあった。
「そ、そうか」
蛾次郎くんは鼻の穴を大きくして嬉しそうにしていた。顔が赤いのは気のせいだろうか。

蛾次郎くんはその木片をいくつか組み合わせて腰につけていた木づちでトントン叩きはじめた。
「宮大工ってのはさ、神さまとか仏さまの建造物を作るのに金属をなるべく使わないんだ。だから木と木をつなぎ合わせる時は釘じゃなくてこうやって……」
蛾次郎くんは二つの木片の凹凸を合わせた後その二つが貫通するように空いた小さな穴に細い木の棒を打ち込んでいった。二つの木片は二度と離れないくらいぎっちりとつながった。
「すごい……これが蛾次郎くんの仕事なの?」
「そうだよ。師匠はもっとすごいけどな!ははは!」
蛾次郎くんの鼻の穴はさっきよりもっと膨らんでいた。かわいい、と思った。感情を持たない殺伐とした日々から徐々に解きほぐされていくのを感じた。

蛾次郎くんの手元に夢中になっているうちに一つの小ぶりな箱が出来上がった。沢山の木片を組み合わせてツギハギだらけのはずなのに手触りはつるつるで、一つの木から繰り出したみたいだった。
「升、っていうやつでよ。日本酒とか飲む時にそういうのに入れて飲むんだが、俺らはまだ未成年だから、なんか好きなもん入れて使ってくれや」
「え!?これ、私にくれるの!?!?」
久々に大きな声を出してしまった。こんな技術の結晶を私なんかにくれるなんて、信じられなかった。
「そのためにしばらくボート屋に行くの我慢してこさえたんだ。全然洒落たもんじゃなくて恥ずかしいけどさ」
嬉しい。嬉しい嬉しい。
乾ききっていた心が喜びという潤いで満たされていくのがわかる。
しかし人に対して特定の感情を持ったのが久しぶりでコントロールできそうにない。心がしっちゃかめっちゃかになる。
心の中で慌てている私の中に、蛾次郎くんの言葉が柱みたいにドスンと据わった。

「俺、今は色盲で良かったって思ってるんだ。すげえことだろ、こんな技術が日本には残ってるんだ。それをこんな俺でも少しずつ出来る様になってさ。俺には色なんて見えなくても木の感触があれば楽しいんだ」
蛾次郎くんは強くなったんだ。他人が聴いたら悲しい障害かもしれないけど、その先の人生を思いっきり謳歌してる。なんて素敵なんだろう。
そう思うとソレの為に感情を殺して、生きているか死んでいるかわからないような日々を送っているのが馬鹿馬鹿しく思えてきた。
私もこんな風に堂々と生きられたら……。

「蛾次郎くん。私、家族以外に誰にも言ってない秘密があるの」
神さま、どうか今だけ私の背中を押してください。
きっと私の人生が変わる瞬間だから。







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