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あたしのソレがごめんね⑨

第九章 -見えている星-

夕希に「うるさ」と言われた翌日、あたしは高校に入って初めての期末テストで学年一位をとった。
あたしが勉強が出来るような風貌じゃなかったからか、周囲はとても驚いていた。
特に母親はあたしのカレーにハンバーグを乗せるくらいはしゃいでいた。

知ることは面白いし、やればやるほど進められるのが楽しくて仕方なかった。
初めての感覚だった。
この体で、頭で、どこまでもいけると思った。
人より腕が足りないなんてとてもちっぽけな悩みで、世界にある無限の可能性に飛び込まないなんて勿体ない。

そんな考えは自分の中だけで飼い殺しておけば良かった。
一番仲が良くて、一番理解しあっていて、一番喜んでくれると思っていた実の妹に生まれて初めて一蹴されてしまった。
あたしはいつから夕希にとって煩(うるさ)い存在だったのだろう。
その夜、夕希が自分に盛られたカレーのルーをスプーン一杯ぶん掬ってあたしのカレーに入れた。
どういう意図があってそうしたのかわからなかったけど、とにかく歓迎されていないように感じて、一気に苦しくなってしまった。
あたしは今でも夕希のことが好きだけど、夕希はそうじゃなくなってしまったのだろうか。
母親が乗せてくれたハンバーグは、翌日そのままの形で朝食に出された。

あたしは勉強も映画も音楽もやめなかった。
それらはあたしを救ってくれるんじゃない。作っていくんだ。そう考えるようにしていた。
夕希の人生を御輿みたいに担いでる気でいた自分は無知の塊だった。
だから同じ過ちで夕希やこれから出会う色んな人たちを傷つけてはいけない。
今のあたしに出来る努力は知ることだ。
それを教えてくれたのは早稲田。あたしの目標だ。

「そんなに俺のこと睨み付けてもお前の頭はそれ以上良くなんねーぞ」
シフトが無い日の放課後、教室の窓際で頬杖をついていた早稲田は目線だけをこちらに向けて言った。
そんなに見つめていたのかと恥ずかしくなって早稲田の後ろの席にあたしも座る。
「睨み付けてないし!尊敬してるの。何にもわかってないあたしを変えてくれたのは、早稲田だから・・・・・・・」
素直な気持ちだった。恥ずかしがらずに、ちゃんと伝えていこうと決めていた。これからはどんな人にも感謝や尊敬の気持ちは伝えた方がいい。色んなものを見聞きした結果、あたしが生み出した答えだった。
「俺は頭が良いからなー!そうだろ、朝美」
あたしの名前を呼んだ瞬間、早稲田がこちらに振り返る。
夏の始まりを思わせる生ぬるい風が一気に教室に吹き込んできて、あたしの胸をぎゅっと締め付けた。
「うん」
もう少し気を緩めていたらそのまま「好きだよ」と言ってしまいそうだった。

「馬鹿だなお前は。なーんにもわかってない。スーパーナンセンスだよ、朝美」
胸の苦しさに気後れしているうちに早稲田の口から吐き捨てられた言葉で脳天をドカンと殴られた。
「な、な~にがですか、先輩」
ショックを悟られないようにおどけてみせるが、声が震えているのが自分でもわかる。
「俺のことガリ勉スーパーエリートだと思ってるだろ」
首を縦に振ってしまいそうになるけど、少し躊躇する。
きっと「そうじゃない」という話をこれからされるのだろうと察しがついたからだ。

「俺は今回の期末で学年最下位だ。お前の腕がないのと同じでな」
予想以上に「そうじゃない」を意味する返答と思いがけないところから跳んで来た変化球で完全に思考が停止する。
「あたしの腕と、早稲田が最下位なのの、何が同じだって?」
怒りと緊張感が脈拍を早める。そのリズムにコミュニケーションも流さてしまわないよう、出来るだけゆっくりと言葉を紡ぐ。
「俺は学習障害だ。たぶんもうこれ以上多くのことを俺は学べない」
早稲田は再び窓の外に目線をやりながら話始めた。

「生後6ヶ月の俺を母親がうっかり落っことして俺の脳には障害が残った。読み書きもそうだが、俺は記憶力が人より圧倒的に無い。
母さんは何度も泣きながら謝って、悔いて、自分自身を責めた。
俺は物心ついた頃からそういう母さんの姿をみて、
「あぁ、俺はどうして頭なんか打ったくらいで頭悪くなっちゃったんだろう」
って思ってた。
母さんは俺が欲しがるもの、嫌がること、全部に首を縦に振って俺の言うことを肯定しかしなかった。
人は何かが欠けると何かが鋭くなる。
俺はそれが”察すること”だった。
だから幼い頃からわかってた。
母さんの優しさは罪滅ぼしでしかないって。」
さっきまでぬるく感じていた風は夜の冷たさを伴って二人の間に吹いていた。
「そんなことない」そう言おうとして寸でのところで飲み込んだ。
早稲田のお母さんの気持ちは苦しいほどよく分かった。
同じようなことをあたしは夕希にしてきたのだ。

「うちの高校は平均ど真ん中の学力ランクな訳だけど、俺が入れたのは殆ど奇跡だったんだ。母さんを罪悪感の中から逃がしてやりたくて……いや、母さんの呪縛から逃れたくて死ぬ気で勉強した。ここに入学が決まったとき、母さん泣いて喜んでたよ。」
あたしの脈拍は早いままだった。そのドキドキの原因は怒りから恐怖に変わっていた。
今まであたしがしてきたこと、あたしの人生、全部否定されるんじゃないか。
早稲田の口から出る言葉を聴くのが怖い。今すぐに逃げ出したい。ぎゅっと目をつぶった。

「だから俺のこと尊敬なんてすんな。お前はお前としてよくやってるし、それと俺は関係ない」
今度は本当にどしっとした重さを頭に感じた。
「お前はお前の人生を生きるんだろ?」

コンマ数秒遅れて伝わってくる暖かさから、早稲田が私の頭に手を置いているのだとわかった。
「あ、あたし・・・・・・」
何故だかわからないけど涙が出てきた。色々な気持ちと一緒にあふれ出てきた。
人生はやり直せない。だから一瞬一瞬を大事に考えながら選んでいかなきゃいけない。そう思って信じてきた道でも、間違いに気づくことはある。
そういう時、大人もこうやって泣いてまた前を向くのだろうか。

「俺は目に見えねえものの方が大事なんじゃねえかって思ってるんだ」
すっかり暗くなった帰り道、早稲田の目線の先を辿ってオリオン座を見つける。
「見えた頃にはもう結末は変わってるんだ。見たとおりに解釈したって、真実は別の方向に舵をきり始めてる」
星と一緒だな、と思う。もう存在していない星の輝きが何千年も遅れてあたしたちの夜空になるみたいに。

「じゃあ、あんまり見せないようにしとくね」
早稲田への想いは、そう簡単に見えるものにしたくない。
「おう。バレねえように隠し持っとけ」
早稲田はわかってるんだ、あたしの気持ちを。
その気持ちをもうちらつかせないように、釘を刺された気がした。
胸がツンと苦しくなる。

満点の星空の下、あたしたちは「またね」と言って別れた。








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