お弁当について③
最近、お弁当作り=料理作りにエネルギーが湧かない。
そんな日もあるものだろうか?主人が帰ってくるのに、分かっているのにそんなにやる気が起きない。1年に4、5回くらいは訪れる。料理作りのエネルギーってなんだっけ?お弁当作りを始めた頃はものすごくエネルギッシュだったのに。
あの頃はお弁当作りが楽しかった
首都圏から車で2時間はかかる、そういう遠い土地で暮らし始めた私は、なんだかんだ毎日が新鮮で楽しかった。寂しさとか、不安はあまりなかった。主人がいたし、車で2時間走れば実家に帰れるんだから。
お弁当作りを始めて3日目、始めてinstagramに投稿してみる。いいねなんてそんなにつかないけど、集まったら感慨深くなるかも!?と思って投稿を続けていくと宣言した。
すると、友人に会うたびに「お弁当美味しそうだね〜!」「毎日あのお弁当は幸せだわ〜!」と言われるようになった。
私はいつの間にか、お弁当の人になっていた。
それが嫌だったわけではない。毎回、すごいねと言われるのが嬉しかったのでもない。ただ、お弁当を投稿し続ける人が珍しいのか・・と思ったくらいだった。でも心の奥底で、「見てくれるなら、続けよう」と励まされていたのだろう。お弁当を投稿するのが楽しかった。
お弁当作りを始めて1ヶ月くらいのお弁当たち。左上はコラムに取り上げてもらった時のPRなので別の人のお弁当。
それからずっと、お弁当を作り続けている。誰かが「すごい」とか「参考にしてる」とかいってくれると励みになる。ただ私の場合は、意識していないところで励まされていた。それを経験できたのが初期の頃だった。
いいね、なんて、よくない
つい昨日、instagramから試験的にいいねが表示されなくなる、ということをニュースで知った。
プレッシャーを緩和するため、「いいね」がユーザーに影響することを考慮するため、非表示にする・・とのことだった。ただ、自分の投稿についた「いいね」は見られるらしい。
正直、人の投稿にどれだけのいいねがついているか、というのは私は興味がない。だって、見た人がいいなって思ったものがいい写真だから。いいと思うポイントはそれぞれ違うと思っているから。だから「いいね」の数が見られなくなることに、気持ちの変化はなかった。
しかし、自分の投稿につく「いいね」の数は確認できるのだ。私は、これすらもいらないと思う。
いいねがこんなに集まった!と喜ぶ経験をしたことはあるだろうか。もちろん私はある。逆に、なんであまりいいねをもらえないのだろう?このお弁当は美味しそうに見えないのか〜。なんて、考えたこともあった。つまり、私はこの「いいね」に振り回されていた。
はじめは「お弁当を記録する」ということが目的だったのに、だんだん「お弁当でいいねが欲しい」にすり替わっていた。すっかりinstagram漬けになってしまった私は、そこでしか楽しみを見出せなくなっていた。
自分のお弁当と、多くのいいねをもらっているお弁当を見比べて、すっかり落ち込んでしまった。同じ料理なんて作らない、毎回違うメニューで見ている人を楽しませたい。なんて、誰も求めていないのに不思議とそう思って行動していたこともあった。
間違っていると気づいたのは3ヶ月くらいしてからだった。主人が「俺、毎回同じメニューでもいいよ」と言い出したことがあった。「そんなに悩まなくてもいいよ」と言ってくれたんだ。
「え〜そんなの悪いよ〜」「いつもごめんねこんなんで」「どうして早くできないかな〜ごめん。」全てに納得できなくて、気づけばいつも謝っていた。モチベーションも、楽しさもなくなってきていた。それを、主人は気づかせてくれた。
地味べん、目指します
それからすぐ、私は吹っ切れた。いいねなんてどうでもいい、元々は「お弁当記録」だったのだから、自分が振り返ることができればいい。と思い直すことができた。
「地味だけど、味はウマイ」
そういうテーマにしよう!楽しく作ろう!そう思い直すことができたのだ。
すっかり吹っ切れてからのお弁当。クオリティも変わらないし、見た目もごちゃっとしているけど、また、楽しく作ることができるようになった。
instagramについて、学んだこと
1、見てくれている人に感謝する
2、いいねが全てではない
3、自己満足のツールである
だから、やめてもいいし、好きにすればいい。そう思うことができた。
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ちなみに、お弁当の話①で、1年前の春から始めたと記載したが、2年前の春でした。うっかりです。もう丸2年、お弁当作っていたみたい。笑
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