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9月15日 金曜日

14日も、15日も昼過ぎから高松を訪ねた。14日は自転車で、15日は歩きで。自転車に乗ると町の中を移動するリズムが変わる。すると今まで気になっていなかったものが気になってくる。

直売所をやっている農家さんと、合わせて1時間ほど立ち話。顔を覚えてもらえたみたいだ。嫁いできた頃の高松の風景や、戦前の畑仕事の手伝いの話を聞いた。農地の減少はある面で見たら問題だけど、この80年ほどの農業は基本的には進化してきたんだと知る。作業は楽になり、家族総出でやることもなくなり、作物の種類も増えた。けれど、東京がもう近郊農家に支えられる必要がなくなった今、作物は何かを支える必要がなくなってきている。積極的に生き残ろうとしないと続けていけない。だから、生産地以外の「役」を引き受けて、続いていく。避けようのない大きな力による変化がここにはある。

バブル崩壊後の東京生まれ東京育ち。2020年には東京オリンピックがあり、大文字の東京はさらに手を入れられ、はじけるように2020年以降ギリギリまで残っていた人も東京を離れるんじゃないかという気がする。地方から上京してきた人と話していて、方言の話やふるさとの話を聞くと、この人にはなんだかんだ帰る場所がある、と感じる。そういう人が、東京にいる理由はもうない、と言ったりする。けれど僕はここで生まれて、育ち、帰る場所はほかにはない。そして遠くからやってきた人の語る大文字の東京とは別に、小文字の東京があることを知っている。ある人が、東京はもっとも蹂躙された地方だと言っていた。東京も元は村々で、町ごとに少しずつ違う文化があり、違う身体が、違う言葉があったはずなのに、どうしても東京とひとくくりにされやすい。確かに顕微鏡の度数をかなりあげないとその違いは見えてこないけど、僕はしばらく、小文字の東京を見つめていたい。

その具体的なフィールドが練馬区の高松。かつて東京の食を支えた生産地。ニュータウンでもなければ郊外でもない。23区の一部で、そばには環八が通り、都営大江戸線からのアクセスもいい。波が岩を侵食するように、家と農地が同居している奇妙な町。練馬の農地は東側から順になくなっているけど、その水際。そして、今は農の風景を保存する町として指定され、いろんな人が訪ねるようになりつつある。農の風景を保存するといっても、中身は変わっていかざるを得ない。生産地としての高松は、ゆっくりと小さくなっている。

この町を通して、東京を考えていきたい。東京とはかつてどういうもので、これからどうなっていくのかを追いかける。

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