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【読書ノート】8 (要約)「難民を知るための基礎知識―政治と人権の葛藤を越えて 」(その3)

タイのミャンマー難民(第18章)                  ミャンマー人口10%と言われる国外への流出の多くは移民労働者、不法移民という形で海外に滞在している。(タイでは200万人から400万人のミャンマー人労働者が滞在)84%は母国の民主化が進み政治的環境が向上したら母国に帰りたいと考えている。ミャンマー人がタイで難民として認められるハードルはとても高く、また難民として認定された人々を国境沿いの僻地にあるキャンプに収容し、労働を認めない政策を採っているために、難民としてしてではなく移民労働者としてタイに滞在することを選んでいると考えられる。このように母国での紛争や迫害を逃れた人々を、人道的枠組みではなく移民としての枠組みで取り扱うことは受け入れ国側でも利益がある。彼らの人権や国際的な保護基準を考慮することなく、彼らの労働力の恩恵に与り、また労働市場が縮小した場合には自由に出身国へ送還することが可能であるからだ。これは非人道的で無責任な態度にも思えるのだが、一方で世界の他地域の難民が、難民キャンプに収容され労働を許されることもなく無為に長い歳月を過ごしていることを考えれば、迫害を逃れてきた人を難民としての保護対象ではなく、移民労働者として受け入れ、国の経済に積極的に役立てているという意味では積極的な評価の余地があろう。しかし、そこでも移民労働者の人権の保護の問題に加えて、本当に人道的な保護に値する人々をどう救っていくかという点では課題が残る。(p184-185)
★タイ最大のミャンマー人難民キャンプ (2018)   https://www.sankeibiz.jp/compliance/news/181008/cpd1810080500003-n1.htm
★ミャンマー・カレン州南東部地域において、コミュニティリソースセンターを通じた復興・再定住支援事業 (2019)  https://www.sankei.com/economy/news/190713/prl1907130096-n1.html

■ アフリカ連合AUと難民問題 (第19章)
AUの難民問題に取り組みは1969年に「アフリカにおける難民問題の特定の側面を規律するアフリカ統一機構条約」(1969年OAU難民条約 OAU Refugee Convention)という形で実を結ぶ。この条約が難民保護の世界的規範である「難民の地位に関する条約Convention Relating to the Status of Refugees」1951に比べて特徴的であるのは、難民の定義を拡大した点においてであろう。
1951年難民の地位に関する条約1条A:人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの
1969年OAU難民条約:1条1項で難民の地位に関する条約による難民定義を踏襲した後、2項で外部からの侵略、占領、外国による支配または著しい社会的混乱を逃れて国境を越えてきた人々も難民の定義に含めている。この規定により難民の法的定義が極めて広範に拡大された。また同8条では条約加盟国とUNHCRとの間の協力関係を定め、この条約が1951難民の地位に関する条約に補完的な役割を果たすことを明記している。これによってUNHCRはアフリカにおける難民の保護を拡大する法的な根拠を得たのである。OAU難民条約が採択されて半世紀が過ぎたが、未だに地域国際機関が法的拘束力のある難民保護条約を結んだ例は、世界にこの条約1つしかない。(p192 - 193)

■ インドシナ難民(第29章)
彼らの受け入れは日本にプラスの影響
1. 日本が1981年に難民条約に加入、難民認定手続きを制定するきっかけ(難民認定制度の厳格な運用によって難民を実際には締め出す)
2. 難民条約に加入するために社会保障制度が外国人にも及ぶようになった。政府は1981年の加入の前に国籍用件を持つ国内法の改正を行い、国籍条項を除いた。その結果、数十万人の外国籍住民に社会保障ネットが広がり、その効果は今日の200万人以上の在留外国人にも及んでいる。難民条約への加盟は、日本が外国人により開かれた社会になるきっかけとなった。
3. 日本の市民社会が勃興するきっかけとなった。インドシナ難民の窮状に胸を痛めた人たちは内外で支援活動を始め、そこからNGOが始まった。JVC, AAR, シャンティなどは大手NGOのルーツは80年代のインドシナ難民支援に始まる。これらのNGOの多くは後に人権・開発・環境などの地球規模の課題のために活動を拡大し、日本における市民社会の発展の道を開いた。(p300-301)

■ 日本での第三国定住事業 (第30章)
日本での第三国定住事業は、アジア諸国では始めての試みとして、タイ西部の山岳地帯の難民キャンプに住むミャンマー難民を2010年度から年間30人を上限に試験的に受け入れることになり、2015年までに86名が来日した。
実は日本の第三国定住事業はミャンマー難民の間であまり人気がなく、難民キャンプでUNHCRが募集をかけても応募者は少ない。
1. 日本の第三国定住事業の課題の第一は、受け入れの対象がミャンマー難民に限られていることだ。民主化が急激に進む状況の中で、タイにいるミャンマー難民は本国帰還を始めているのに、日本は未だにミャンマー難民だけを対象にしている。現在第三国定住のニーズが一番大きいのはシリア難民であり、UNHCRもシリア難民の第三国定住を日本に呼びかけているが、日本政府は応じていない。
2. 選考基準に「日本社会への適応能力を有している者」で「職に就くことが見込まれる者」とある。このため自立能力のない孤児、単身女性や病人など本来優先されるべき者は除外される。まら両親とその子供からなる核家族が対象だから、日本語が話せるなどの潜在能力があっても単身者は応募資格がない。
3. 受け入れ後の社会統合。社会資本の少なさが際立つ。難民の「社会関係資本」の蓄積は遅く、その分社会統合のスピードも遅くなる。日本人との共生は不十分なままに留まっている。
4. 事業規模が小さすぎる。年間150万人を超す再定住必要者に比べ年30人は大海の一滴であり規模の不経済が出てくる(年間予算が1億3000万)。(p306-308)

★参照「第三国定住事業の概要」

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★日本政府は2019年に年30人程度にとどまっている受け入れ人数を倍増させ、5年後をめどに年間100人以上に増やすことに決めた。しかし受け入れが年数万人規模となる米国やカナダに比べれば日本はまだまだ少ないと言える。https://www.jiji.com/jc/article?k=2019052200992&g=pol

■ 日本の難民政策の改善(第31章)
1. 難民認定における基準を緩和して明確にし、「紛争難民」など現代の難民を受け入れることが出来るようにすることだ。EUでは「補完的保護」という仕組みを制度化しているが、これは考慮に値する。

2. 第三国定住制度の積極的活用。受け入れ条件や受け入れ自治体への財政支援を加えた上で、シリア難民なども受け入れれば評価される。また正式な再定住でなくても、留学生や技術研修生、社員などとして合法的入国機会を与える方法もある。
- 日本政府が2017年からの5年間で最大150人のシリア人留学生の受け入れを決めた
- NPOであるJARもシリア人留学生の受け入れを試みている。
- ユニクロは国内外で100人の難民雇用計画を発表している。

3. 海外の難民支援活動への資金協力
日本は財政難の中でも毎年200億から300億円をUNHCRに自発的に拠出しており、世界の難民とIDPの300万人から400万人の命を救っている。
ヨーロッパ諸国も年間ODAの5-15%を難民受け入れのために使っている。日本の国内の難民支援コストは総額で10億円前後に過ぎない。

日本は今後も海外の難民人道支援のための協力を惜しむべきではない。その際、企業やNGO、個人など市民社会の貢献の可能性は大きい。例えば、特定NPO法人国連UNHCR協会は、2018年には36億円もの難民募金を集め、UNHCRに送金している。人道支援のための資金協力は国民の反対も少なく、伝統的に日本の強みであり、また国際社会が日本に期待することでもある。(p316-317)    

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  出典: 国連UNHCR協会 

   (その4に続く

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