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やっと出会えた気がする、そんな出逢い⑴


ラブストーリーかなと思わせるタイトル 笑


学校現場を去り

旅をし

学校現場に戻るのではなく

学校の外でこどもたちの場をつくり
学校のなかとか外とかの線引きはない意識をたいせつに取り組んできて

ちょうど10年



この10年で

たくさんの学校現場の先生や行政のみなさんと出会ってきた話です。

そして、

あ、ようやく出逢えた!と思えた

そんな話。


のパート1。

(最後まで書くつもりが長くなってしまったので途中で「つづく」です)


学校外の立ち位置で先生たちと連絡を取り始めたころ


この10年で、と書いたものの

時期的には、2018年〜。

約3年半前。

シリウスを立ち上げるときに、
市の教育委員会にご挨拶に伺ったのが一番最初。

その次に、メンバーの在籍する学校の校長先生とやり取りを始めた。


近隣にはフリースクールはないし

自治体が設置している教育支援センター(いまだ適応指導教室という言葉が使われているが・・・)があるし

そもそも

「あなたはどんな人なんですか?」

と見られているところからのスタート。


教員の頃は「〇〇小学校の教員です」と言えば、どんな人かというのは訝しがられることなんてないのに、いったん学校の外に出ると、同じ人間なのに、そう思われるんだな〜なんて何度も感じた。


あんなに学校現場にいるときは、信頼を持たれていたんだけどなとか、あんな出来事もあったのになとか、そんなことを自分のなかでは思っていても、いま目の前のひとにとってはなんの関係もないし、私自身を信頼してもらうために勤務校の同僚の先生やお世話になった管理職のかたに連絡するわけにもいかないし、そんなことしたところでますます怪しい笑


そんなんで、もやもやの時期がしばらく続く。


それでも
教育委員会をはじめ
市の各担当の皆さんは

あたたかく迎え入れてくださった。

ほんとうにありがたいこと。


学校現場の先生方は
なかなかそうはいかないというのが正直な印象。



厳しい運営状況でもなんとか頑張り続けて


ひとりでこどもたちに向き合うのはかなりのエネルギーがいる。

仲間がいないと無理。

そう思ったのは、シリウスの2年目。



教員の頃、職員室や教室で同学年の先生とさまざま語り合っていたころが本当になつかしく、だれとも同じ視座で見ていける人とわかちあえないつらさが徐々に出てきた。

それまで、ほぼひとりで、週4日の開室をし、こどもたちを迎えるも、私があっという間にダウンした。

そんなとき、救世主(現在のスタッフ)が出現。


なんとか週2日の開室+そのスタッフも来てくれるようになり、現在も運営を継続できている。


そんな日々があって、

今、継続していることが「信頼性」につながっているように感じる。


学校の先生とのやりとりが少しずつ円滑になっていくのを感じたのは2019~2020年。


もちろん、

それは校長先生や担任の先生の「人」となりによる。


教育委員会の方ともよく連絡を取らせてもらっている。


そんなこんなで、日常のバタバタした気持ちとは反比例で、世間からの信頼度というものは少しずつあがってきた。


新聞社の記事掲載やラジオ出演、新聞連載も後押ししたとは思うが、何より継続していることがみなさんの私たちを見る目の基準の一つだったように思う。


そして、ここには書ききれない、これまで出会ってきた方々が、みなさん、何かしら応援してくださったり声をかけてくださったり気にかけてくださって、今にたどりついているのは明白。


「今」という点から

糸をぐいぐい手繰り寄せていくと

彼の方にも

この人にも

力を貸してもらったのだなあと思うのだ。


おかげで

徐々に

徐々にだが、シリウスの認知度はあがってきている。


認知度・信頼性があがっても立ちはだかる壁


こどもを真ん中に

こども主体

教育機会を確保する

こころの声を聴く

こどもの前にいる自分がどう在るか


こんなことがまずはだいじだという考えを常々持つなか

学校の先生や教育委員会のかたと話していると


なかなかそこが

本当のところで分かり合えていない気がしてしまう

のは

本音で語り合えないからなのだろうか

時間が足りないからだろうか


公務員や教師や〇〇という肩書きをぬいで

語り合えば分かり合えるんだろうけど


どうしても

「個人的には〜と思うんですけど」という言葉を聞くことになる


その度、寂しくなる。


教職を離れてもなお、

先生たちや教育委員会の皆さんと出会うと、

仲間意識が自動的に発動する。


でも、

その一言で、

分断を感じてしまう。


先生たちや教育委員会の皆さんの立場で、その言葉が出るのは理解できるし、理解したい。でも、寂しいし、ぜひそこを超えてください、なんて、おこがましいにもほどがあるだろうか。


きっと、私は、

学校外にいながら、先生たちと思いを共有しあいたい

と心から願っているのだろう。


人によっては

もう教師でもないのに、同じ風に思ってんじゃないよ

と思う人もいるだろう。



それでも

私は

お互い同じ方向を見ているのだと信じていたい。





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