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リクルートスーツを脱ぎすてた、大学4年生のわたしへ。

大学4年生のわたしへ。元気ですか?

7年後のあなたは、縁もゆかりもなかった福岡で働きながら、中高生のキャリア教育を行う一般社団法人の代表をしています。
4年の春に2人だけで始めたあの活動を法人化して、コアメンバーは20人を超え、歴代で関わってくれた人は100人近くになります。

想像できないって?笑

あ、そうそう、来年東京でオリンピックが開催されることに決まったよ!

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一般社団法人Unicul Laboratoryで共同代表理事をしている丸谷です。

私がUniculの活動を始めたのは、就職活動を「一時停止」した、大学4年の春のことです。

第一志望の大学に入り、サークルを2つ掛け持ちし、大好きな塾のチューターのバイトに打ち込んだ大学前半。試験勉強はいつも直前だったけど、なんとか3年生からは希望する学部・学科に進学できた、そこまではよかった。

3年生の1年間は、とにかく色々なことがうまくいきませんでした。OGとしてサークルの大会で戦うことから降りてしまい、その失敗をずるずると引きずり、ゼミ選考に落ち、あんなに行きたかったはずの学部の授業にも身が入らず、

何より見事に、
就職活動に乗り切れませんでした。

人より充実した大学生活を送ってきた自信があったけど、自分の将来やりたいことには、いまいちぴんとこないまま、それっぽいESの文章を書いては消していました。ミーハーに「商社かっこいいなあ」とか思って、とりあえずOB訪問を繰り返してみたり。「グローバルに活躍したい」と口では言いながら、実は大学生の間、海外旅行にすら行っていないのに。笑

受けた会社とことごとくご縁がなく、背水の陣で望んだ大本命の最終面接。同じ日に受けていた友人からはその日のうちに「内々定出た!」と連絡がきて、自分には数週間待っても何の連絡もこなかったある日、「このまま続けていても無理かもしれない」と思い、私は「一時停止」ボタンを押すことを決めました。

周りは4月に早々と就活を終えて、解放感に包まれた人だらけの大学のキャンパス。既に内々定が出た友人とは、正直話しづらい。親には生まれて初めてというぐらい失望される。

悶々としつつ、バイトだけを唯一の生き甲斐に過ごしていたある日、サークルの同期が出るから、と誘われた「TEDxUTokyo」の予選プレゼンテーションを観に行きました。

そこで「何のための能力か?」というテーマで、ビジョンを持つことの必要性に関してプレゼンテーションをしていたのが創業者の長尾です。

「受験勉強を頑張っても、その先でやりたいことを持っていない」「ハイスペック・ノービジョンな高校生」というフレーズは、バイト先の塾で高校3年生のクラスを担当していた私の心に引っかかりました。

その後、大学の食堂で、サークルの別の同期とご飯を食べながら、就活がうまくいかなかった愚痴を一通り垂れ流し、「さっきの教育の話、興味あるんだよね~」などと話しました。すると同期から言われた一言。

「興味があるなら、講演者の人に連絡してみるとか、動いてみたら??なんで自分から動こうとしないの??」

ぐさりと刺さりました。

なんか最近、言われっぱなし、やられっぱなしで悔しいな。

とっさに湧いてきたのは、そんな気持ちです。

ただ、帰宅しながらもやもやと考えを巡らせてみて。

当時、バイト先の塾で向き合っていた生徒の中には、志望校が決まらなかったり、進路選択で悩んでいる高校生が多くいました。そんな高校生に向き合う当の私も、アドバイザーみたいな顔して、彼ら以上に進路に迷走している。
彼らの困りごとと、自分自身の「今ここ」での悩みが、その瞬間にクロスした感覚がありました。

これは、高校生の話じゃない、「私の」話なんだ。

学生団体やNPOのような活動にはそれまで全く縁がなかったのですが、このときは不思議な力に導かれるように、面識も全くなかった長尾に一方的にメッセージを送りつけ、「何かしたいです!一緒にやらせてください!」と言って活動を始めることになりました。

これがUniculの活動の始まりです。

ここからは大胆に端折りますが(笑)、結局その後、紆余曲折あり大学院に進学して、研究の傍らUniculの活動にどっぷりとのめりこむことになりました。約1年間は長尾とほぼ二人で手探りで活動を続け、翌年からは新たに4人が参加してくれて(そのうちの1人が、いま共同代表理事をしている永野です)、<Queque>の原案となるワークショップをメンバーの家に集まって作ったり、高校に営業に行ったり。
少しずつ仲間や賛同してくださる先生が増えてきて、活動を広げていけるようになりました。

この活動は、私の視界を大きく広げてくれました。

一番の学びは、「自分から動いたら、何かが変わる」ということを、身をもって知れたことだと思います。あの時送った1本のメール。あの名刺交換。友達に送った何気ないお誘い。記事のシェア。些細なものが全部、今の活動に繋がっていて。

いまプロジェクトをやらせていただいている会津との出会いは、ある場所での名刺交換から。伊那谷との出会いは、何気なく眺めていた一本の新聞記事から。
本当にいろいろな出会いの力を信じて、「動いてみて」、物事がはじまっていくことを学べたのは、一生の財産です。

もう一つの学びは、「自分で考えて動くことは、自分自身と向き合うプロセスでもある」ということ。

立ち上げたばかりの団体の活動は、レールのない大平原を突き進んでいくようなもの。そのプロセスは、自分自身の経験や価値観の総力戦でした。
特に立ち上げメンバーとは、何を目指してどんな組織にしていくのか、途方もない議論を重ねて、「私の考えは、どうしてこんなにも伝わらないんだろう」と涙を呑んだことも数知れず。
そんな中で、自然と自分の得意なこと・苦手なこと、思考の癖、そして「やりたいこと」と、これでもかと向き合うことになりました。

活動を通して気付いた「何か成し遂げたいことをもつ人に伴走したい」「現場と政策を繋いで、社会をよりよくしたい」ーーそんな想いを抱いて臨んだ2回目の就職活動は、1回目の迷走が嘘のようにすんなりと終わり、ご縁があった会社で今働いています。

最初のうちは「始めたからには何か結果を出さなきゃ」と思い、就職したら「どうせ仕事が忙しくなったら辞めるんでしょ?」と言われて「見てろよ!」と思い(笑)、肩肘張っていた時期もありましたが、だんだんと「来年はもっと良い企画を届けたい」、そして「参加した中学生・高校生が、大学生になった時に、スタッフとして戻ってきてくれる場所をつくりたい」という気持ちに変わり、走り続けていたら、いつの間にか7年が経ちました。

昨年は念願の法人化を果たし、今年は歴代メンバーが大集合して法人化1周年のパーティーを開催できて、中学生のときに参加していた子が大学生になって運営側で奮闘してくれて。続けることでしか見えなかった景色が見えてきたのは本当に感慨深いことです。

まだまだ課題が山積みで日々試行錯誤の連続ですが、来年の今頃にも、今は想像できなかった展開を起こせるように、これからもチャレンジを続けていきたいと思います。

今でこそこうして振り返れますが、7年間、本当に苦しい場面もたくさんありました。数々の山あり谷ありを一緒に乗り越えてきてくれた共同代表の永野をはじめ、歴代のメンバーには感謝してもしきれません。
この場を借りて、メンバー、OBOGのみんなへ、そして、未熟な大学生の団体だった私たちを信頼して任せてくださった学校の先生方、自治体の担当者の皆さんにも、改めて感謝の気持ちを伝えたいです。

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大学4年生のわたしへ。
(そして、これを読んでいる、将来に迷っている大学生へ)
周りはどんどん就職していって、隣の芝はとっても青くて、いまは暗闇を手探りで走っているような気持ちになるかもしれないけど、
迷いながらも「これだ!」と思う方向に進んでいけば、やってきたことがちゃんと積み重なって、いつかちゃんと実を結ぶから大丈夫。
底まで行ったなと思ったら、あとは上り坂です。どうか、動き続けることを止めずに。

あ!あと、深夜のラーメンはほどほどにね!笑


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