#uniloveつれづれなるまにまに

Vol,1戦争と平和 トルストイでわなく。

ふと昨日馴染みのお店で始まった戦争と平和について。
ある本のタイトルを見ながら
戦争と平和 誰だっけ?トルストイ!とか言いながら

始まりのキーワードは
『犠牲』だった。

私の住む浜松市では小さな頃から「不発弾の撤去」による道路の封鎖や避難という出来事があった。
今もたまにJRの工場の何らかの工事の際に発生する事がある。
昨年以前の勤め先で、スマフォのアラートが鳴り
驚愕なさるお客様にご説明する機会があり
そうか、戦争を知らないという事は
不発弾の撤去というアラートで震撼するのかと思った。
不発弾の撤去なんだから安全なんて全く分からないのだけれど
艦砲射撃が激しい土地だったので
未だに何かしら土を掘ると出る事があるのです。
自衛隊の方達が細心の注意を払い撤去為さるから滅多なことはありませんが、とご説明差し上げた。
子供の頃そのまま祖父母に質問した時に
私を怖がらせないように
でも、とても怖い事が有ったのだよと
言葉を選びながらしっかり目を見つめてくれながら説明してくれた通りにしてみたのだった。

『犠牲』と言っても分からないでしょう?のひとことが
とても印象的に始まった会話を聴きながら
ふと思い出した感覚の差なエピソードと伝えるって?って感覚だった。

戦争を体験するという事は
戦地に向かうという事ばかりでは無く
戦争という時代により選択肢を奪われたり
そうせざるを得ない何かを背負わされることも含まれるでしょうと、、

それを『犠牲』と言ってみたのだよ。

私の通って居た小学校の社会科の授業の中で
『戦争の語り部になろう!』という研究テーマがあり
私たちの祖父母世代はまだまだ戦争経験者が居たので
みんなのお爺ちゃんお婆ちゃんにインタビューに行くという機会があった。

昨日お話しした方は子供の頃が大東亜戦争で
勉強したくても艦砲射撃があれば授業は出来ず
働き手の男手が居ないから畑仕事もしなくてはならず
長男は跡継ぎになるけれど
次男以降は養子に出る事も多かったんだよ。と
その当時自分は要らない子供
邪魔な子供かな?と思ったりもしたという気持ちも教えて下さりながら
お話しを伺って居た。

『戦争の語り部になろう!』のインタビューの時
私の父方の祖父は飛行機の主翼と操舵の設計士で
戦争に召集される適齢で有ったけれど
肺病(今で言うところの肺炎)でサナトリウムに行って治療をしたりして居たので
結局自分は戦争を体験しなかったから
自分の作った飛行機で犠牲になった同年代の男たちを思うと
自分が生きている事へ罪の意識すら覚えたという話を聞き
小学校の私は普段優しい祖父の中に潜む
計り知れない葛藤を垣間見て
生まれて初めて葛藤とかジレンマって感覚を知った事を思い出した。
夏休み夕暮れ時に一緒にお散歩しながら
ここはね、昔防空壕だったのだよ
あっちはね働いていた工場のあった方だよと話しながら
あの時代私は戦争の道具を設計してしまったから
その後故郷の自然の豊かさを思い出しながら
平和の道具を作りたくて農耕器具を設計するお仕事をしたのだよ、と
生きながらに自分の抱えたジレンマや葛藤
罪の意識や贖罪、高度成長期への戸惑いとエネルギー溢れる時代の中で
最終的に自分の生きた時代や
自分自身の体験した出来事への
何らかの昇華の仕方を模索しながら
自分なりの結論を出して捉えどころを見出さざるを得ない時代背景を知った。

父方の祖母は幼い娘たちを連れての祖父の故郷への疎開の話
疎開先での経験、戦争の恐怖の中での祖父と離れ離れな時間
戦地で亡くなるご主人や兄弟や父達も居る中
自分の夫が肺病を患ったのは心配だったけれど
肺病を患ってくれたから戦地へ行かなくして貰えた神さまへの感謝。
という本音。
でもそんな風に思ってはならないという罪の意識や葛藤を知った

母方の祖父はまだ若く召集されて戦地へ向かう途中で終戦になってしまった虚しさという憤りと安堵という本音。
愉快な事が大好きでシリアスが苦手だったから
そんな時代でもこんな事は楽しかったんだぞ!と生きていくバイタリティを垣間見た

母方の祖母はまだ女学生時代だったのか
とても悲しく辛い思いをしたから
あまり話したくは無いとしながら
大切なお友達が空襲警報で逃げて居る最中
目の前でB29からの射撃で亡くなってしまい
目の前が血に染まって戸惑い慄きながらも
逃げなくてはならなかった自分の中の
友達を失ったショック
友達の亡骸をそのままに逃げざるを得なかった罪悪感を知った

同級生の中のお爺様はシベリアに抑留されて居る間に終戦になり
何年かしてからやっと帰国出来た話を聞いて
シベリアに抑留という言葉を知って
帰国出来た事が凄いのだと言う事を知った

昨日『犠牲』というキーワードから
様々な語り部たちの話が
自分の祖父母の話を中心に蘇った。

あの当時父親が居ないという人がたくさん居た事
残された母が大黒柱に成らざるを得なかったが
食べていくにはとても女手だけでは厳しかった事
学びたくても学校へ行けなかった事
働くと言う事でさえ選択肢は無く
働き手人員という感覚だった事
安全な遊び場なんて無かったこと
学校の理科室が艦砲射撃で半分ぶっ飛んでしまった事
艦砲射撃の前に焼夷弾が上がるけど
あれはね夜は凄く綺麗だったんだよ
で、逃げて眺めて居ると裏山とかがすり鉢状に吹っ飛ぶんだ。

そこまで聴いて
小学校の頃『戦争の語り部になろう!』で
まだ10代成り立ての自分が
大好きな優しいお爺ちゃんお婆ちゃんが
今まで知らなかった面を見せられた時の
何と処理して良いのか全く分からなかった感情がスーッとしたのを覚えた。

どんなに怖くても
どんなに辛くても
どんなに理不尽でも
純粋な子供の心は
「焼夷弾に照らされた艦砲射撃は美しく見えたんだ!」
きっとそんなこと口に出したら不謹慎だって言われただろうなぁと。

でも、それを聴いた私は
平和への捉えどころと
戦争への捉えどころと
理解出来きれなかった感覚と
祖父母たちから聴いた話の中にあった
罪悪感と安堵の本音のジレンマの置き所や落ち着き先を見つけた気がした。


2017/12/21

#エッセイ

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