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久々に味わった一瞬の切なさ

さいきんは殆ど気にしなくなっていたけど
久しぶりに
「視える人と本当は接したくないんだよね怖いから」と。

そのひとことでフーッと過去のトラウマに堕ちて行きそうになったけど
案外あっけらかんと
「それは酷いな(笑)、いつも視えてる訳じゃないですよ。」と答えてみた。

19歳以降
私は割とそちらの面を重宝される人生で
カウンセラーみたいな役割の方が多かったよなぁと振り返り
いちいち視たくて視てる訳じゃないです!キッパリ!みたいのとかやらなく成ってた近年
結局要するにそー云うコトに慣れたんだなぁと思った。(笑)

良い意味でまぁるくなったぜ!四十路みたいな。

そう、
このやり取りに孕んで居たのは
フツーの私
素の私を
見てもらえなかった
必要としてもらえなかった っていうジレンマ。

そーいうトコを便利って言われたり
妙に警戒され嘘の上塗りに遭って
人間不信になったりってトラウマ。

でも、要するにその間柄の間には
私は素を見せられなかったんだなってコトか、
あぁ、
どこかで疑って信頼してなかったんだなぁと。
ごめんなさいね。
だって本質が視えてしまうから。

スピリチュアル的だったり
心理学的にだったりだと
その時期の精神的幼さとか
その向き合いの中での成長材料とか
自分への向き合いの時期や段階では?ってなるんだけど
この件に関しては
要するにタイミングだったり
単純に相性なんじゃないのかな?とかも改めて思ってみた。

素の自分を見せるって云うのは
正直、全幅の信頼を置いていないと出来ないと思う。
どこか相手の懐の深さというか
包容力みたいのを感じられ
気の置けない関係性で在って始めてスーッと
自然にそうしようとしてした訳じゃなく
あぁ、そう成っていたなぁ。
そんな感じなんだろうと思う。
改めてそう振り返ってみた。

だから一瞬の違和感にも
私はもう素を出せる場所があるから大丈夫
って安心感で
ああいう風に切り返せたの哉、と。
そんな一瞬の切なさからの
充たされていた事への気づき哉って愛。

深い深い気づきほど
渦中では無く充ちている時に感じられるのかも知れないね と
愛ってものの深さを改めて感じた
天秤座新月。

そう、どれもが全て統べられ
極 や 比較 の無い安寧が
深く深く内側に充たされ満たされる。


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