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3食ガンジャつき

待遇:寝床と3食ガンジャつき
時間:日の出から日没まで
休日:月2回
場所:ブラジル ミナス・ジェライス州
仕事内容:自然にあるものでエコハウスを作る

実際にこのような求人が出ていたわけではないが、これが日本出発前にわたしが「WWOOF」で見つけた仕事だった。「WWOOF」に出ていた求人は主に農業であったが「パーマカルチャー」という言葉に惹かれ、それがどのような場所にあるかもろくに調べずに、ブラジルへ入って4日後、わたしは訪れたことがないレベルの田舎で、土を満杯にした猫(猫車)を靴も履かずに裸足で転がしていた――。


初日

ホストファミリーのジョージとエミリアはわたしより少し年下の夫婦。彼らには子供がふたりいて、どちらもまだ小さかった。部屋は個室を与えてもらった。個室といっても昼間は子供の遊び部屋のため玩具が散らかっていた。寝るときだけそこを使わせてもらうことになった。
わたしの他にもボランティアスタッフが何人かいるようだ。そのうちのひとり……ブラジル人の青年が日系三世だと名乗った。見た目からはとてもそうだと分からなかった。日本語は話せないようだ。もうひとりブラジル人の青年がいて、それからアルゼンチン人の青年がひとり、彼らはこの家で暮らしている。
家は手作りだった。壁は土で作られているが、空き瓶などでオリジナルな装飾が施されていてかわいい。トイレは小なら男性はそれ用の便器で。大なら便座のついているほうを使い、用を足し終わったら上からおが屑をかける。排泄物とおが屑がバケツいっぱい溜まったら、それらを肥溜めへ投げにいく。後にそれらは、乾かして肥料として使われる。これが「パーマカルチャー」の基本のようだ。

早速、翌朝から仕事は始まった。契約期間は1ケ月。現場は家の目の前だ。仕事内容は、もう一棟家を建てること。すでに充分な広さの家に住んでいるのに、もう一棟建てようとしているのは、ゲストに貸しだす用とのこと。もちろんすべて手作りで行われる。わたしが到着した時点では枠組みである土壁がまだ低く積み上げられているだけの状態だった。
わたしの仕事は壁を作るための泥を猫で運ぶこと。建築のノウハウもなければ、ポルトガル語も分からない自分にやれることはそれしかない。運んだ泥は目の細かいネットに入れられ、それを綺麗に積み上げていき叩いて伸ばす。それを繰り返して壁は作られていく。ブラジル人の青年ふたりは建築を勉強してきたのか図面なども引けた。
1日目が終了。なかなかの重労働。借りている部屋にプライベート感もなく、さっそくこの先の29日間が不安になった。

スケジュール

わたしたちの朝は早い。起きた人からみんなの分のタピオカを焼き、コーヒーを淹れる。
朝食は交代制で作られた。交代制と言っても別に誰が作っても構わない。ただ、それだと日本人のわたしは気を遣ってしまい、「今日は自分がやらねば」と却って気疲れした。
家の周りにはバナナなどの木々が生え、マンジョーカが穫れる。マンジョーカとは、別名ユカ。日本だとキャッサバとして知られていて、ここではタピオカの原料となる。タピオカと言うのは日本で知られている「あれ」ではなく、マンジョーカから作られた白い粉をクレープのように焼き、チーズ、バナナ、リンゴなどを挟んで食べるブラジルの食べものことだ。後に知るが、ここで食べた天然のタピオカに勝るタピオカはなかった。一般に出回っているものは工場生産された原料でまるで別ものだったからだ。
朝食は毎日このタピオカとコーヒーだった。わたしはチーズを入れたタピオカを好んだ。中身がバナナやリンゴでは、とても午前中の労働についていけないからだ。朝食はあっさりしていたが、食後には必ず一服あった。食後にはガンジャを吸う。どこで吸っても絵になるような自然豊かな場所だった。
正午になればしっかりと昼食を出してくれる。ここでの主食は豆だ。残念なのは、わたしはあまり豆が得意でないということ……。みんなベジタリアン寄りのようで、滅多に肉は出てこなかった。しかし贅沢は言っていられない。出してもらったものを食べなければ働けない。ハタラカザルモノクウベカラズ――。無性に唐揚げが食べたくなった。
昼食後はシエスタなのか、14時くらいまではゆっくりする。そしてガンジャを吸ったら現場に戻る。
10時と15時にはジョージの奥さんのエミリアが手作りケーキやお菓子を焼いてくれた。これがめちゃめちゃ美味しくて、わたしはご飯よりずっとこっちのほうが好きだった。陽が暮れればようやく仕事が終わる。今日も1日よく働いた……。
夜はあまり食べる習慣がないようで、特別に夕食は用意されなかった。しかしみんなお腹は空いている。わたしたちは昼食の残りをすべてスープにぶち込み、スープとして食べた。それでも足りなければ、朝と同じようにタピオカも食べた。食後にはもちろんガンジャを吸った。

窓からウ〇コが飛んでくる

家作りの初めは壁。とにかく壁。壁は大事。だからわたしは泥を運び続けた。正直、肉体労働は嫌いだ。それでも上半身裸でホストからもらった薄っぺらいパンツを1枚履き、裸足で動き回った。2週間が経ったころ、本気で契約期間の短縮を申し出ようと考えた。それほどにしんどかった。建築のノウハウがあるわけでないし、言葉も分からない。キッチンが汚くて毎回それを片づけなくてはならいし、仕事は単調……。しかし、途中で逃げだしては日本人の名が廃る。投げだすわけにはいかなかった。ここでの経験はきっとこの先役に立つはずだ……そう自分に言い聞かせた。ここにいる最大の理由は文化交流にある。労働力を提供することでも、宿と食を提供してもらうことでも、ポルトガル語を独学で勉強することでもない。ここで逃げたらこの先やっていけない……。逆にここを乗り越えればある程度の自信がつくはずだ。

とんでもない山奥ではあるが、ここにも小さなコミュニティがあり、近所には少なからず家もあるし小さなバーもあった。そのバーでお酒が買えた。ところがみんなアルコールは欲さないのか、あまりみんなでお酒を飲むことはなかった。それでもたまにジョージがビールを買ってきてくれて、みんなに振舞った。そんなときは物置小屋のようなところでビールを飲みながらガンジャ吸った。

壁は日増しに高くなっていった。ある日、「竹を取りに行こう」とジョージが言い、近くの……と言っても車で行く距離だが、竹藪まで竹を取りにいった。取った竹は家の屋根として使う。本当ならみんなで行くはずだったが、この朝誰も起きてこず、仕方なくジョージとわたしのふたりだけで行くことになった。
どこの誰の持ちものかは知らないが随分と立派な竹藪だった。以前来たときにすでに竹は伐採していたようで、藪の中には切り倒された竹が何本も転がっていた。それらを車へと運ぶ。
恐ろしく長く重たい竹で、ふたりではどう考えてもきつかった……。なぜ彼らを起こしてでも連れてこなかったのかとジョージを恨んだ。
帰り道、車の窓から出を出していると、手にウ〇コが飛んできた。本当に大自然だった。ここでは無料で調達できるものは拾ってくる。本当はダメだと思うが、電気も近くの電線から延長して引き込んでいた。

3食ガンジャつき

日曜日は基本休みだった。しかし、朝っぱらからホストであるジョージに現場に出られては、わたしも現場に出ないわけにはいかない。彼にとっては仕事であり趣味でもある家づくり。いつ働こうが別に苦にならないだろう。わたしも別に休んだところで、なにもやることはない。ここは街からもかなり離れている。それでも休んでもよかったが、居候の身で家の中でダラダラしているわけにもいかない。家の中にも手伝うことは山ほどあった。結局休みは返上して現場に出た。
1ヶ月の間に、「今日は休みだ」と感じたのは2回だけだった。そのうち1回はみんなで遠くの農場へ出かけた。ジョージがそこでパーマカルチャーについての講演会に招かれていたからだ。講演後、食事とビールが振舞われた。しかもビールはさまざまな種類のクラフトビール。これには胸が躍った。久しぶりの外食に美味いビール。日ごろの疲れがかなり癒された。
ジョージに限らずこっちの人は車を運転しながらもガンジャを吸う。すぐ眠くなってしまうわたしからしたら自殺行為のように思われるが、帰り道のジョージはむしろ絶好調のように見えた。

外壁ができあがり竹で屋根を組むころ、約束の1ヶ月が経った。完成形を見たい気もしたが、わたしは予定どおりここを去ることにした。
ブラジルに入って4日目からの1ヶ月間。なかなか、なかなかきつかったが、振り返れば貴重な体験ばかりだった。
3食ガンジャつき――。残念なことに、わたしは体に合わない。どこの国でも1度は必ず試すが、みんなのように気持ち良くなることはない。むしろその逆で、気持ち悪くなるか寝てしまう……。ここでも、いるのかいないのか分からない蝿の羽音が、ただひたすら耳障りだった。

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