「みんな」の目線が気になる
社会人になってから特に、他人に見られて体が硬くなる、肩が張る、動きや話し方がぎこちなることがある。だんだん慣れては来たものの、今でもたまに発症する。
つまりは、他人の目を気にしすぎてしまうのだ。昔からそういう傾向はあった。それが今も少なからず続いているというだけに過ぎない。
これをネガティブな意味合いで認識していたことが多かったけれど、肯定的に利用することができるのではないか。そんな風に思うようになった。
半年程前、とある勉強会で10分登壇するため、発表資料を必死に作っていた。たかだか10分間の発表に何十時間もかけていた。今思うと恥を書きたくない気持ちが強くあったのだと分析する。
家の中にいても同居人がいないと、だらけてやる気をなくしてしまう。掃除も洗濯もテキパキするのは、この人によく思われたいという想いが根底にあるはずだった。
幼い頃から"みんな"が口癖だと、母親からいつも指摘されていた。
「"みんな"って誰のことを言ってるの?
結局は自分がどうするか、それだけよ」
人生の先輩である母親の達観したアドバイスは正しかったが、当時の未熟な僕は受け入れられずにいた。そうは言っても、"みんな"は"みんな"だよと。
"みんな"という言葉を別の言葉で言い換えてみる。大衆。世間の目。モブ。個の集まり。"みんな"という人間がいる訳ではないと今では分かる。
ただ、これはもうどうにもならない。周りの目を気にしてしまうのは仕方がない。もういっそのこた、割り切ってその前提で考えてみた方がいい。
自分で自分を律するのは難しい。そんなとき、他人をいい意味で利用すると効果的だと気付いた。
たとえば、このnoteも少なからずそういう面がある。紙のノートに日記を書いて自分の引き出しにしまっていたら、ここまで続いていない。
それでもときどき、数々の視線がストレスになることがある。東京に暮らしていると仕事は豊富にあるが、心は自然から遠ざかっていく。
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