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心配性の僕が辿り着いた境地

心配性の性格が大人になっても直らない。

普段耳に付けているAirPodsをどこかで落とさないか、無くさないか心配でいつも耳を触る癖がついた。

他にも「テレビが突然映らなくなるのでは?」「洗濯機が突然故障したらどうしよう」と頭の中で余計な心配が加速してしまう。その結果、そのXデーが来る前から代替品をAmazonで探していたりする。

友人との待ち合わせや予定には目的地に10分前に着いておきたいタイプなのは、学生時代から変わらない。それは仕事の場面でもプライベートの場面においてもだいたい同じだ。月曜日の朝と雨の日の電車は混雑することが多いので、少し早めに家を出る。

自分が心配性だから身近な他人が正反対だった場合、やや厄介だ。相手が鈍感だったり、おっちょこちょいだったりすると見ていてイライラすることもある。それはその人が気をつけるべき点が自然と頭に浮かんでくるからだ。

ただ他人の言動まで気にしていると自分が疲弊してしまう。それに相手にとっては過剰なコミュニケーションに思われるだけだ。最近になって、ようやく分かってきた。それを一言で表してみるとこうなる。

自分が関係する範囲で心配性でいればいい。

そうやって1つのルールを作って言語化すると、ハラハラしたり気分が上下することは少なくなる。これが、心配性の僕が辿り着いた境地だ。

「あらゆる心配事の9割は、取り越し苦労である」という主張を過去に本で読んだ気がする。ネガティブな要素を前向きに転換させて、今を明るく生きたいと思う。


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