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子どもが自由に遊ぶ大切さ

Dr. Peter GrayのTED Talk。

子ども達が椅子に座り学校内で過ごす時間が増え、自由に遊ぶ時間が減ったことでの影響を指摘。

確かに、今の子ども達って忙しい。
肯定的にいうと、沢山のオプションがある時代よね。

私自身が子どもの頃。40⁺年前。
子どもの遊びに親はついてくるわけでもなく、
近所の友達と一緒に暗くなるまで遊びまわっていました。

川でザリガニとったり、カメ・カニが取れたら大喜び。神社でニワトリ拾ってきたり(!)さすがに、ニワトリは返してくるように親に説得されたっけ。

学年が上になると、自転車で少し遠くのクラスメートの家に行ったり。小学校高学年の宿題って、日記と漢字の練習くらいだったかな。音読もあったか。すぐ終わったからね。

学校や親との約束で、夕方5時の市のチャイムが鳴ると家に帰る。そんな小学生時代。

大人の目がない子どもだけの時間。時間がたっぷりあった記憶があります。

自由を満喫。
空白の時間が多過ぎて、やることがなくて、つまらなかったくらい。

子ども達だけで過ごすことで、自分達で解決したこともあったし、ヒヤッとすることがあったのも事実。大きな問題がなく、今でも懐かしく思い出に浸れるのは幸せなこと。

親になり、いっときの不注意で一生後悔したくない…という思いが生まれたのも正直なところ。時代も住んでいる場所も違うというのもあるけれど、私の子ども時代と息子の子ども時代は、様子が違う。自分が過ごした子ども時代へのノスタルジアもあるかもしれない。

ただ願うのは、子ども時代に思いっきり遊んでほしい!Dr. Grayが提唱するよう、リサーチとして「遊びの大切さ」は立証済。

「学校で一番好きな教科は?」
息子が以前聞かれて答えていたのは、
「休み時間と家に帰る時間」だって。
正直よね、分かるよ。

休み時間と言えば、今の日本はどうだろう?
私が学生(日本)の時は、先生が休み時間に校庭を歩いて子どもの様子を見るということはなかったけれど。メルボルンでもシンガポールでも、教師の仕事の一つに、Yard Dutyがあります。言葉通り、Yard=校庭に出て子どもの様子を伺います。

生徒同士の問題解決のサポートをしたり(喧嘩の仲裁から、靴紐結んだりもね)、生徒の様子を伺ったり、生徒とクラスでは出来ない無駄話をしたり。教師がクラスの外で子どもの様子を伺う大切な時間・・・と私は解釈していましたが、生徒にとっては遊びの邪魔な時もあるよね、きっと。

自分の役割と価値観の間で葛藤をするときでもありました。

例えば、学校の決まりに
「自分の背よりも高い所まで、木に登ってはいけない」とありまして…。

大きな事故防止の為だと分かります。

けれど、木、登りたいよね。
高い所、行きたいよね。

登らせてあげたい。
けれど、生徒に注意しないといけない。

“何か問題があったらポリシーに沿っていなかったのは私。その子だけを見ているわけにはいかない。教えていない生徒だと、どんな生徒なのかも分からない。「大丈夫」と言っているけれど、本当に?!”

大切な発達のチャンスなのに「ダメ」を入れる役割がツライ。

そんな葛藤があるわけです。

子ども達が思いっきり身体を使って遊ぶ=成長している時間。ヒトって身体動かすように出来ているんだなあと、実感します。

年齢的に、私は違う意味で身体を動かさないと…ね。

(おまけ)
高校生になると、やることもね、想像を超える時があります。

ある時Yard Dutyで、ゴミ箱に入って遊んでいる生徒のグループに遭遇したことも!

ちなみに、ゴミ箱のサイズはこんな感じです。

ウェブから画像を借りました。

うへ、なぜゴミ箱に入る⁉

身体動かして、突拍子もないことをして、仲間と一緒に笑いたいんだよね、きっと。

大人になって覚えているのって、きっとこういう時間。

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