アイドルファンになって10周年――ももクロとの出会い①

ひとつ前のnoteで「3年も前だから記憶違いも・・・」なーんて書いてましたが、今回は10年前の話。2011年の1月、僕は早見あかり脱退のトピックスからももクロのファンになったので、アイドルファンになって今年でちょうど10年目なんです。

2011年の1月、早見あかりがももクロから脱退する――というニュースが僕のツイッターのタイムラインで賑わっていた。ももいろクローバーという名前だけは知っていて、プロインタビュアーの吉田豪さんがツイッターや豪ストリームという配信番組でちょくちょく名前をあげていて、南海キャンディーズの山里亮太さんもラジオでメンバーのコメントを流していた記憶がある。それが2010年のこと。そこまで言うのなら・・・と動画をチェックしたりしたのだが(多分NHK出演時の怪盗少女)、なにせ人生でアイドルのファンになったことが無かったので、まったくピンとこなかった。絶頂期のモーニング娘。もテレビで見る程度でCDは買わなかったし。あ、けどASAYANは毎週見てました!浅草橋ヤング洋品店の頃から見ていたので。

ふーん、そういうグループがいるのね、という認識だったのが一変したのが早見あかり脱退のニュースでした。どんな人なんだろう?と、いろいろと調べていくと、トークの回し担当だったり、ラップ部分の担当だったり、ビジュアル担当?だったり、サブリーダーだったり・・・え!?この人が抜けたらグループどうなるの?という気持ちに自分もなった。そして極めつけがTBSラジオ「山里亮太の不毛な議論」で開口一番「・・・早見あかりが脱退します・・・」という山ちゃんの声を聞いて、ああ、これはただ事じゃないなと気づいたのです。

そこからは早かった。YouTubeであの有名な「走れ!」の動画を見たり、ココ☆ナツを聴いて度肝を抜かれたり(これはジャズのビバップだと思った)、早見あかり以外の顔の区別がまったくつかない状態(これ本当)でも、どんどんと好きになっていく自分がいた。しかもあの頃ってustでちょくちょく配信もしていて、卒業までの日々をメンバーと同時進行で体験している気分にさせてくれて、あのやり方はホント上手かったよなぁと今でも思う。脱退をメンバーに告げる瞬間の動画も衝撃的でしたし。

話はそれますが、この文章を書くにあたって、2011年1月のツイートを調べたけど、ももクロの「も」の字もツイートしてないの(笑)やっと出てきたのが4月10日の中野サンプラザの日。どうやら、当時ツイッターの使い方が今と違って、日々の思ったことを書いているのではなく、こんな動画ありますよみたいな紹介ツールとして使っていたみたい。ほとんどジャズの動画のリンク付けてツイートしているし。

初めてヤフオクを使い!・・・色々と思い出してきました。では長くなりましたので、続きは②へ。

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