今がたぶん、革命前夜かもしれないし、終焉の始まりかもしれない。それを決めるのは僕たちだ。

whooop!というサービスを始めた。スポーツ、エンタメの世界を、世界への人々の関わり方を革命的に変えるものだと信じている。電子トレーディングカードでチーム、選手を応援するサービスだ。いまは最小限の機能のみだけれど、僕らがみているのはもっとずっと先の未来。スポーツだけじゃない、日本を、世界を、変えていくんだ。そう信じている。

でも、この投稿では何をするかでなくて、なぜやるのかをまとめたい。なぜなら、この「なぜ」、が平成最後の夏の今に思う、次の時代への一歩だと思うから。

平成ってなんだったんだろうか

「平成最後の夏」ってのが今年は流行語になりそうだけれど、例えば、5年後、新しい年号になった時代に生きる僕らは、「平成」に対して何を思うのだろう。

「冷戦後の不安定な時代」

「インターネットの急速な普及と発展」

「不景気、閉塞感のある社会」

僕らは、平成生まれ、平成育ちだから、「活気ある日本」とやらを知らない。「勢いのある時代」を知らない。社会は硬直化する一方な気がして、「あーなんかやばいな」とみんながそれなりには思いつつ、結局、誰も何もしない。「なんかやばい」の「なんか」ってなんなんだろう?

平成のやばさとは何か。

昭和を懐かしむ時代」だったことだ。

クレヨンしんちゃんの2001年の映画(嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲)の主題が、過去(昭和)へのノスタルジーからの脱却、訣別だったかと思うのだけれど、決別することはできないままに、10年がたち、震災がおき、そしてまた10年近くが経とうとしている。

圧倒的な過去志向。現状維持。

日本は泥舟状態なのに、裸の王様のごとくみてみないふり。ちょっと賢い人と、既得権を握ったおじさんおじいさんが、泥舟の上の方に濡れない位置に鎮座している。泥舟をなんとかしようと立ち上がる人がいれば、「生意気だ」と年寄りは叩き、「意識高い系」と同世代は揶揄する。そんな国になってしまった。

こんなのは反吐が出るほど嫌だ。

次の年号がどうなるかは知らないけれど、平成なんて、昭和なんて振り返らない。今を生きて、未来に夢みる。そんな時代を作りたい。

物語には人を世界を変える力がある

スポーツには人を感動させる力がある。フィギュアスケートの羽生選手はかっこいいし、なんだかんだ、大事なところで点を決めた本田圭佑はケイスケホンダだった。

と、いうと、「スポーツ嫌い」層は「押し付けがましい」とこれまた揶揄するのだけれど、「スポーツには」という定義付けが違うんじゃないかって僕は思っている。

「物語」には、人を感動させる力があるし、僕たちに未来に向かう力を与えてくれると思う。それはスポーツかもしれないし、音楽かもしれない、いやそんな分類をするのもおこがましいほどに人生はそれぞれ物語に満ちている。人それぞれが、各々の夢に生きれるようにしたい。

そうすれば過去に拘泥するんじゃなくて、未来を変えていく生き方をできるはずだから。

世界を変える、の世界の定義ってなんだろう?

「世界を変える」と思い続けて生きてきたけれど、「世界」ってなんだろうか?結局のところ、僕にとって世界という平面の始点は日本だった。

だから、どうやったらもっと「いい世界」=「日本」を作れるのだろうと思って生きてきた。震災の時、高2だったけれど、とても強く、そう思った。

当時のどうしようもない総理大臣だとか、物事をつまづかせるような大人と、それに何もできない自分たちに無力感を感じたのを強烈に覚えている。だから大学に入った当初くらいは官僚になろうと思っていた。世間知らずで、恐れ知らずの高校生だった僕は自分が余人に換え難い天才だと信じ込んでいたし、世界が、日本がうまく回らないのは、世の中無能と邪悪な人が多いからだと思っていた。

もちろん、そんなことはなくて、(少なくとも日本の官僚は)とても優秀で、正義感の強い人たちばかりだった。自分がそういう方面では優秀じゃないかもなと気づくのは早かったと同時に、世の中を変えるには「どこで」、「誰と」、「何を」やるのかが肝要なのだと思った。

同じように思う人が多いから「起業」をする人が増えているのだろう。スタートアップに参加することで、人生に歴史に名を残そうとする人が増えているのだろう。勝手にそう思っているけれど、僕もそのクチらしい。

戦国時代だったら侍に、幕末だったら攘夷志士に、維新政府だったら官僚になったであろう僕たちは、21世紀の今、合理精神が健全に根付き、健全さを育む流動性の胎動するスタートアップの一員になる。

そして、その人が変えたい「世界」は、目の前にある領域なのだろう。僕にとっては、「日本」であり、より直近では「スポーツ」だった。

2020東京オリンピックとともに終わる時代

どうやら、東京オリンピックはオワコンになりそう、いや、組織委員長の人事の時点でわかってはいたことだけれど。もちろん、どこかの知事もだいぶやばい。

この「やばさ」って、震災の時も感じたなぁと思う。

「あー、この爺さん、婆さんダメだ。。。」

というもどかしいこの気持ち。無力感、怒り。

日大アメフト部の問題もそう。あの問題がこうまで取り上げられたのは、日本のここかしこで感じられる「不合理さ」、「意味不明論理」への憤りの象徴だともっている。

自分自身、4年前からアイスホッケーというスポーツで事業をやってきてその壁をずっと感じてきた。一瞬たりともこの憤りを忘れることはなかった。

だから、「スポーツ」というのは僕にとって変えたい「日本」の象徴なのだった。「スポーツ」という小さい区切りで世界を変えられるなら、日本を変えられるのではないだろうか?

日本を変えるためにはどうすればいいのか。「合理精神」、「流動性」これに尽きる。

ビジネスの世界はどちらかといえば、合理的、流動的ではあるけれど、足らないから世界に遅れ始めている。そして、企業ビジネス以外の社会ってすごく大きい。教育、政治、行政、医療、スポーツだってそう。いかに、こういう場所に公平な市場原理と評価基軸を持たせていくかが重要なんじゃないだろうか。

日大の一件でわかるように、日本のスポーツとやらはだいたい閉鎖的で、非合理部分が大きくて、それぞれが村社会で流動性が低い。

でも、変えられる、変えると信じている。

そして、同じように日本を世界を変えて行く。

無力感を感じる。わかる

憤りを感じる。わかる

でも、諦め、諦念を感じてはいけないと思う。

「なんで日本に留まるんだ」

って聞かれたことがある。なぜ僕たちは、戦国時代じゃなくて、フランス革命のフランスでなくて、21世紀の中国でも、アメリカのシリコンバレーでもなくて日本に生まれたんだろう。

それは多分、僕たちが向き合うべき人生の主題がここにあるからに違いない。

神も仏も信じないけれど、運命を信じている僕は、

そう信じている。

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人に好かれることを求めると事を成せない
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小林泰

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