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友達がいることの幸せ

こんにちは。まえだです。

最近、友達がいることの幸せ、というと少し大袈裟ですが、充足感のようなものを感じます。
私は顔が広いわけでもなければ、大親友と呼べるような人がいるわけでもないです。
私は飽き性で自分勝手なので、多くの人と交流できる社交性や、長く付き合って深く知ろうと思う気持ちも多分持ち合わせていません。

なので、私のいう友達とは、プライベートで遊ぶことがもしかしたらあるかもしれないけど、基本的には無い、だけども挨拶は普通にする人、という意味です。

もちろん、プライベートで遊ぶ人も友達ですよ。
つまり、友達の定義の話です。

冒頭の話に戻りまして、最近友達がいることで充足感を感じるのです。
具体的には、学校に行って挨拶をすることです。
日常にありふれたシーンで、多くの人にとっては日常茶飯事の出来事だと思います。
私にとっても、日常茶飯事です。

ですが、学校に行って友達と挨拶をすることが私にとっては嬉しいことなのです。
この感情はふと湧き上がってきたので、何でだろうと私自身に問いかけてみました。

1つは社会との接点を感じられるから、でした。
人間は社会的な生き物で、常に他者と関わりながら生きています。
分業が当然のように行われている現代では、他者への依存度はより高まっていると思うのです。
そんな社会で、他者と挨拶をする=他者と点が交わることで、私も社会の一員であると感じられるから嬉しいのではないか、と思います。

もう1つは他者の心に住むことが許されたから、でした。
挨拶は私からすることもあれば、相手からしてくれることもあります。
どちらのパターンでも、相手は私を認識していて、一言だけだとしても対話をしたいと思ってくれているのかな、と私は思うのです。
換言すれば、相手の心の中に私がいる、それも嫌悪感などによるものではなく、もっと好意的な何かによって、私は相手の心の中に存在していると思います。
それがたまらなく嬉しいのです。

挨拶1つでこいつは何を考えてんだ、と思ったそこのあなた。
おそらくあなたの感性が正しいです。笑
私自身ですら、この記事を書いている途中で「挨拶1つでなんか考えすぎじゃない?」と違和感を抱いているのですから。

何はともあれ、この友達がいることの幸せを大切にしながら、生きていきたいですね。


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