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男しかいない国〜アトス自治修道士共和国〜(後編)

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4日目

次の日はイヴィロン修道院を出て半島の反対側の海岸沿いに向かう事にした。一通り東側の修道院は制覇した為である。えっちらほっちら山登りをして首府カリエスへと向かった。

修道小屋ケリ
途中にあった石橋

毎度違う道を歩いているが人通りがある所もない所もあるし人がいなくてもかつて隆盛を極めてた時代の名残りがあったりして面白い。

アギオス・アンドレアスのスキート

異教徒拒否の修道院


カリエスを越え更に尾根を越えてようやく修道院に辿り着き「エヴルギーテ」と言って泊まりたい旨を伝えたら断られた。まぁ仕方ないと思い中の教会やらを見せて欲しいとお願いしたら異教徒は無理とのことであった。ここまで宿泊自体ができないところはあったが、門前払いは初めてであった。中ぐらい見せてくれ〜と思ったが逆にこの特殊な閉鎖性を見にこの地にきていたことを思い出し、この対応は面白くなってきた。すっぱり諦め、外観だけ撮って別の修道院に行くことにした。

山側から見たクシロポタムウ修道院
クシロポタムウ修道院は内部観覧叶わず

しかし、時間だけが厳しい。門限までにどこかの修道院に滑り込まねばらぬ。北に行くか南に行くか迷ったが南のシモノペトラ修道院は人気ゆえに素泊まりがまず不可能なことで有名な修道院である。天候も日没時間も刻々と迫っている中で博打を打って失敗したら、さらに南の修道院まで行くのは厳しいと思った。よって今回は北の方にある修道院へと向かうことにした。
時間的余裕があまりないので岸壁沿いにある道を爆走し、日も暮れる頃にはなんとかロシア正教会の聖パンテレイモン修道院へと滑り込んだ。

聖パンテレイモン修道院

何も知らないロシア正教会のおじいちゃん


ここの修道院は海側に寮みたいな巡礼者用の宿泊施設があった。だがそこのアルホンダリキ(受付)には誰もいなくてしばらく周辺をフラフラ彷徨っていた。建物周辺部に修道士がいたので話しかけて泊まりたい由伝えたら少し待っててくれと言われて別の人を連れてきた。

ここはコンスタンチノープル総主教庁下にありながらロシア正教のしきたりで運営されており、2016年にはプーチン大統領も訪れている。

ウクライナ侵攻に端を発するウクライナ正教会の独立の動きによりロシア正教会とコンスタンチノープル総主教庁は断交している。これは相互領聖も禁じておりプロテスタント改革以来のキリスト教の分裂と評されるほどである。でも流石にこの話は本人たちに聞けないよなぁと思いながら観察していた。

*相互領聖・・・任意の教会が相互領聖にある時、互いが相手の立ち位置や合法性を認識しており行き来ができる。つまり禁止されると往来が途絶え分派したようになる。

受付で巡礼ビザの記帳等をしている際一人のおじいちゃん修道士が手招きしてお菓子を用意してくれた。走ってお腹が空いていたのでこれはありがたい申し出である。このおじいちゃんが優しくパンからなにまでくれた。

お腹が空いていたのでかっこむ。腹一杯食べるとそれを満足そうに見ていたおじいちゃん修道士がいろいろ話しかけてきた。自己紹介も兼ねて色々話していると外界のことを何も知らなそうである。

外部からくる人を見ているのでスマホの存在であったりその他文明の機器を見てないわけではないが、何十年とこの地で暮らし自分自身は持っておらず情報がシャットアウトされていた。日々の祈りの修道院での生活で完結しているのでそれ以上のことはしらない様子である。

会話していてこの噛み合わなさは北朝鮮に行った時以来だ。あの地も外の世界を知る術が外部から来る訪問者と接する時だけである。よその世界の資本主義、文明と隔絶されているのだ。電子機器も知らなければ世界情勢も知らない。そんなことあるんだな。


この日の宿泊部屋


5日目

教会スラヴ語

朝起きて礼拝時間が始まる。時計を見ると深夜1時、朝早すぎだろ。前日帰国する飛行機の予約をしていて22時まで起きていたからマジで眠い。いや22時に寝たら普通は超健康的な部類だけどな!!外は雨が降っていたのでそれを口実に雨が弱くなるのを待ちながら軽くグダグダした。当然敬虔な信徒と修道士は聖堂へと向かった。

雨が小雨になったタイミングで聖堂を覗いてみるとロシア語とはちょっと違う音が聞こえる。後から調べたらここでの典礼は教会スラヴ語でおこなわれているらしい。お〜これが教会スラヴ語なんだ。現代ロシア語はこの教会スラヴ語から語彙の半分近くを引き継いでいる、古きスラヴ圏の文章語である。

これはなかなかいい体験だった。アルメニアやジョージア、中央アジア旅行後でロシア語聞いてたからタイミングもちょうど良かった。

深夜の聖堂

もう一人の日本人修道士はいずこに

この日は朝になっても雨が降っていたので山を歩くのは厳しそうであった。なのでフェリーに乗って別の修道院に行くことにした。修道院内にはフェリーの寄港時間が書かれた運行表が書かれておりそれに合わせて準備する形である。

フェリーで移動、海上より修道院を眺む

定刻少し前になった頃合いで修道士に別れを告げて船着場方面へと向かった。修道院は海沿いにありながら少しばかり高いところに位置しているので駆け降りる形になった。どこも沿岸部から少し高い位置に修道院があるのはギリシャ近辺、エーゲ海が地震多発地帯であるからだろうか。

聖パンテレイモン修道院からこの日はドヒラリウ (Δοχειαρίου)修道院に向かうことにした。ここにどうやら日本人修道士がもう一人いると言う噂を耳にしたからである。

フェリーのチケットの買い方が分からなかったがHPを見る限りオンラインで買う形式ではなさそうである。ノリでどうにかなるだろうと思っていたが案の定、乗り込んで巡礼ビザを見せた後に行き先を告げたら中にある小部屋で発券できる仕組みだった。

フェリーに乗り込んだがこの日は如何せん天候が悪い。屋上デッキに登って景色を見ようとしたが甲板に水溜まりができてて波で揺れるたびに水が移動するのであまり気分がよろしくない。少し風景撮影して早々と下の階に降りた。

二つめの修道院のところで停泊したので船を降りようとしたら私だけだった。ほとんどの人は巡礼を終えてもうそのままウラノポリに帰投する人たちであった。

ドヒラリウ修道院

船着場から葛折になっている石畳の坂を登ると目的の修道院である。エヴルギーテと言って中に入り受付場所を探したが工事中でよく分からなかった。巡礼者を捕まえて聞いてようやく泊まりたいと伝えたら予約がないとダメと言われてしまった。こればかりは素泊まり戦法を取っている以上仕方ない。目的の日本人修道士がいるならその人にだけ会ってみたいと伝えた。

だが修道士曰くそんな人はいないと言う。他の人と間違えているかと思って他の人にも聞いてみたがどうやら本当に違うらしい。

奉神礼


宿泊チャレンジ失敗したのでさっき素通りしたクシロポタムウ(Ξηροποτάμου)修道院へと向かう。雨は小ぶりであったがそこまで距離があるわけでなかったのでギリ幸いであった。


泊まれるか聴いたら異教徒でも問題ないとのこと。ギリセーフ。ここが泊まれなかったら雨の中登山確定であった。待機部屋に通されたが待てど暮らせど修道士が来ない。ほぼ12月近くの雨で体が冷え寒かった。いくらエーゲ海近くとはいえこの時期は肌寒い。

待合室

修道士が出てきたが聴いたらお祈りの時間のようである。後にしてくれと言われ、ゾロゾロと皆が移動し始めたのでついて行った。。ついて行っていつも通り外から眺めていると後から来た修道士が入っていいよと合図する。
俺は異教徒だと伝えると問題ないとのこと。修道院によってだいぶ対応が分かれるんだな。

クシロポタムウ修道院中庭

中に入ると聖書を朗読する音が響き渡っている。蝋燭の光と小さな窓から差し込む外光だけが頼りなので割と暗い。聖書のリズムに合わせて鐘を鳴らす。巡礼者は聖堂内にあるイコンに向かうと十字を切り接吻を行い祈りの言葉を唱える。それを次から次のイコンに向かって行っていた。それを終えるとある人は修道士のいる前の房に向かい、またある人は壁側の椅子に座ってじっと聖書を聞いている。

しばらく観察していると横からモクモクとした煙を出す修道士が入ってきた。おぉ、これが振り香炉というものか。鎖の先に金属球がありその中で乳香を焚いて爆煙をあげている。実物を見るのはこれが初めてである。修道士はそのまま室内を一周して各巡礼者に煙を振りかけた。

初めてのギリシャ正教の奉神礼をアトスで体験できるとは思わなかった。30分ほど聞いていると3割ぐらいの信者は出て行った。僕も十分満足したので後に続いた。敬虔な信徒だと朝夕3時間ずつこれを聴いているのか。かなりの忍耐力だな。何年何十年とやっている修道士の方がすごいが。

体が冷えており着替えていると修道士が通りかかった。再度泊まる旨を伝えたらようやく部屋に通された。ここは巡礼者でも正教徒と異教徒の2部屋に分かれており異教徒部屋には一人外国人がいた。彼の宗派はカトリックだか少なくとも正教徒ではなかった。僕と同じバックパッカーみないな感じであった。

修道士にここに日本人修道士がいるか尋ねたがいなかった。もう一人の修道士はどこにいるんだろう。結局今回の訪問中には分からなかった。


この日の夕食



6日目

アトスで修験道


朝の礼拝を終えて朝食を食べ終わると次なる修道院へと向かう。これまで割と沿岸部沿いの修道院を巡っていたがこの日は晴れていたので半島内部にある修道院へと向かうことにした。内側に入り始めるとお馬さんが何頭もいた。横から覗いてみると全員にイチモツがぶら下がっている。ここもオスだけだ。

修道院で飼われていた馬、もちろんオス

地図を見ながら目的地への修道院までの道を歩いていくとかなり険しい道である。微かに道の痕跡があるが草木は生い茂りローカットのトレランシューズだと足首あたりが低木の枝に引っかかって細かい傷ができる。

この山道は流石に難儀した

ようやく第一の目的地であるカスタモニトゥ (Κωνσταμονίτου)修道院に着いた。ここまで山の中にあると大変そうだ。未舗装車道はあるが港から辿り着くのに割と時間がかかるだろう。時間を見ると13過ぎである。たった5~6kmの道のりなのに出発時刻から3時間も経過していた。普段山道でも時速6kmペースで歩いているので相当歩きづらかったのがわかった。

カスタモニトゥ修道院

エヴルギーテと言って中にいた労働者が指差すまま祝福を受けに行く。山中にあってあまり巡礼者はいないようである。山を歩いて登ってきた話を受付の修道士にするとお疲れ様と言ってルクミが箱ごと出てきた。好きなだけ食べなさいと。

箱で出てきたルクミ

正直何十個も食べたくなるような味ではないがカロリー摂取には有難い。ここから更に山道が続くので10個ほど食べさせて頂いた。血糖値上昇に即効性のありそうな食べ物である。

カスタモニトゥ修道院中庭


聖堂内をざっと見学させてもらい山を何個も越えていく。さっきに比べたら一通りがあり下草がないから歩きやすいが割とキツめの道である。登山が趣味のものとしてはちょうどいい負荷だが運動不足の人にはきついだろう。偶にすれ違う巡礼者も大体ゼーハーゼーハー言っている。

するとスタスタと軽い足取りで歩いてくる人がいる。よく見ると正教徒の衣装である。顔は引き締まっておりこのルートを力強く歩けるのは相当普段から鍛えてそうであった。ギリシャ正教徒にも修験者みたいな人が存在した。


山を越えブルガリア正教会のゾグラフ(Ζωγράφου)修道院に辿り着く。ここで素泊まりが失敗したら先は8km先の修道院二つである。門限までに到達するのは無理なので失敗したら引き返さねばなるまい。無計画だから仕方ないが緊張した。

ゾグラフ修道院
ゾグラフ修道院中庭

巡礼者は僕一人だった。ドミタリールームのような部屋に通されたがどこでも使っていいよとのことでコンセントがある壁側に陣取った。山中だとネット回線が弱い、窓ギリギリまでいかないとネットは繋がらない。

その後礼拝の時間があるとのことで奉神礼を見にいく。修道士の中に一人だけ異教徒の僕が混じっていいのか分からなかったが、逆にいないからこそ聖堂に入れた感じはあった。

ギリシャ正教からロシア正教、ルーマニア正教、ブルガリア正教といろいろ見てきたが儀式の様式などは大体似ている。正教自体が一国一組織主義というだけで教派の違いはなく教会組織上の違いでしかないというのを一挙に見ることで理解した。違いがあるとすれば建物だろう。修道院自体は1000年以上の歴史があるところが多いが焼失したり破壊されて再建される時にその復興支援者や歴史の成り行きでその国の趣向に寄ることが多い。

礼拝が終わり、シマンドロの音が聞こえ夜ご飯の時間だなと思って階下に降りていくと、ここは修道士が食べ終わるまで待って欲しいとのこと。奉神礼への参加は問題なかったが食事の同伴は異教徒はダメなようである。修道院によって異教徒の参列を認める箇所が違うのは面白かった。ここは食事がダメなんだ。すぐ食べ終わるだろうと思って修道院中庭を散歩した

修道院中庭
修道院内の廊下


7日目

最終日も雨が降った。宿泊客が僕しかいなかったので乗合バンみたいなのはなさそうである。近くを個人の修道士か労働者が住んでいるかもしれないのでヒッチハイクしようと考えたが、だいぶ森の中なのか待てど暮らせど車が通る気配がしない。このままだと帰りのフェリーに間に合わないな、そう考えて、ずぶ濡れ覚悟で歩き始めることにした。

最後が締まらない気持ちはあったが逆にいえばもう濡れていようがギリシャ本土の戻るので気にしなくてもいいのだ。リュック内の貴重品だけ2重のビニール袋に入れて防水にし歩き始めた。

道はかなりぬかるんでいた。雨予報の時に山間部の修道院を巡礼するのは向いてないな。

2時間ほど雨に打たれずぶ濡れになりながら、波止場にたどり着き待っていると15分ほどしたぐらいだろうか、何台もの乗合バンが来た。あれれ、これは俺が急いでタイミングミスっただけで普通に乗ることできたのか。方角からするにセルビア教会のヒランダ修道院かヴァトペディ修道院である。途中から道路一緒なはずなので合流地点まで辿り着いていればここまでずぶ濡れにならずに済んだかもしれない。

港前にあった建物、軒下で雨宿り

とは言え、アトスへの旅路はこれにて終わりである。異教徒として巡礼しているので入れない修道院もいくつかあったが現代にこんな特異的なキリスト教宗教自治国家が残っていたとは思わなかった。願わくばまた巡礼ビザを手に入れて残りの未踏の修道院及びアトス山への登頂を目指したいと思いながら帰りのフェリーへと乗り込んだ。

再びギリシャのウラノポリに降り立った時びっくりした。そこには女がいた。1週間で完全に存在を忘れていた。う、うわあ〜〜女だ〜〜〜〜〜。


後にも先にもこの感覚二度と味わえないんだろうな。


追伸
この度、リチェンジ出版様から本を出させていただくことになりました!noteで海外旅行記を書いていたら編集者の目に止まりこう言った機会を与えて頂きました!

印税は全部旅費にぶち込みます!!手に取っていただけたら幸いです!

いいね貰えるとやる気出ます、更新頻度上がるかもしれない。