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PUNPEE『MODERN TIMES』冒険を忘れた偉大なるPUNPEEたちへ。

はじめに

【まさに黄金時代だった。雄渾(ゆうこん)な冒険が試みられ、生きとし生けるものが生を謳歌し、死ぬことのむずかしい時代だった……しかし、誰ひとりそんなことをかんがえてはいなかった。これこそ、富と窃盗、収奪と劫略、文化と悪徳の未来の実現だった……しかし、誰ひとりそのことを認めてはいなかった。いっさいが極端にはしる時代であり、奇矯なものにとって魅惑的な時代だった……しかし、それを愛するものとてなかった時代なのである。(…)この時代は奇形と、怪物と、グロテスクの時代であった。全世界は、おどろくべき悪意の道程をたどっていた。これを憎んだ古典主義者やロマンティストは、二十五世紀にひそむ偉大さに気がつかなかった。彼らは発展という冷厳な事実を知らなかった。ーーすなわち、進歩は極度の奇形の結合による、およそ対蹠的なものの不調和な合併から生じる。】アルフレッド・ベスター著『虎よ、虎よ!』(1956年)より引用。

ニュージャージー州ケンドールパークの家の一室、ドニー少年はZライトを光らせて、この本を読んでいる。そして、こんなことを思いつく。

【彼は25世紀を描写している、けれど……もしかしたら、向こうのどこか、ルート27をわたり、時空の次のカーヴを曲がってすぐのあたりでは、20世紀の後半も、それに負けず劣らずエキサイティングなんじゃないかーーたとえ、だれひとりそんなことは考えていなくても。驚くべきテクノロジーの数々、月面を歩く怖れ知らずの宇宙飛行士たち、けたたましいワイルドな音楽、セックス、社会、文化の大変動、色彩、変わり種(フリーク)たち、お楽しみーーひとことでいうと、冒険だ。】ドナルド・フェイゲン著『ヒップの極意』より引用。

人生は冒険の連続……とは言ったものの、私たちには時間がない。地図を広げるのをやめて、数字を眺める。売り上げ?再生数?フォロワー数?年齢?重要なのは膨大な選択肢の中から、いかに早く必要なモノを手に入れるか……ただ、必要なモノって、そもそもなに?ーー多様性と大量の選択肢に溢れた世界で、右往左往しながら“Master of None” = 何も極められない私たちの毎日も、見方を変えれば愛おしく思えることに、Netflexに加入している人なら気付くかもしれない。しかし、そんな見方に興味を示さないのなら、私たちは以前として、効率を求めた選択肢の中を泳ぐ消費者として日々を生きていかなければならない。その姿はまるでVRの世界で満員電車に乗りながら、なるべく早く目的地に着くことを願っている乗客のようだ。「VRはいいけど、なんでそのソフトにしたの?」こんなにも混沌とした素晴らしい時代なのにーー。

2017年、スポティファイやアップルミュージックなどの音楽ストリーミングサービスの普及もあり、USの音楽シーンではロックなどを抑えて、ついにヒップホップ/R&Bがもっとも聴かれている音楽ジャンルになった。つまり、今のUSのポップミュージックはヒップホップ/R&B(もしくはその価値観)を中心に動いている。「時代はその時の人の気持ちを反映している」まさにそのとおり。この混沌とした2017年に人々が必要とした音楽はヒップホップだった。

そんな時代に、PUNPEEの1stアルバム『MODERN TIMES』は発表された。このアルバムは現代に生きる私たちを冒険に駆り出す最高のポップミュージックと言えるだろう。この冒険は役にたつの?見返りは?収益は?みんなやっている?良い結果になる?それとも悪い結果?そんなことはわからない。でも、たまにはいいじゃないか。わからないものに身を任せてみても。たとえ、そのせいで、私たちの人生が台無しになったとしても!

Modern Times.” A story of industry, of individual enterprise—humanity crusading in the pursuit of happiness. 

人間の機械化に反対して 個人の幸福を求める物語。

映画『モダンタイムス』(1936年)より引用。

Chapter1: 1977年 2017年 2057年

【ただの夏ではなかった。マルコムXが暗殺されてから、パブリック・エナミーが「権力と戦え」とラップするまでの歴史の環(ループ)において、低点となった夏だ。蛇年。陰謀に反乱、政変に暴動が渦巻いた年である。】(※1)

1977年、ニューヨークのブロンクス、その南西部、サウス・ブロンクスは荒れ地のような有り様だった。1973年から1977年の間に3万件もの放火があったのだから、そうなるのも仕方ない。というのも「まともに経営するよりも、壊して保険金をもらったほうが稼げる」と考えたアパートの悪徳大家が、金でゴロツキを雇って自身のアパートの放火を依頼していたからだ。ブロンクス横断高速道路の建設のために街はどんどん破壊されていき、それに伴う住民の立ち退きと「スラム一層プロジェクト」も重なり、行き場を失った中流階級以下の有色人種の人々は、サウス・ブロンクスの公営団地に押し込まれた。白人たちは郊外に住居を移し、二極化がすすんだ。

サウス・ブロンクスには仕事がなく、貧困が蔓延、ギャングたちの暴力も増えた。自分たち = 裕福な白人層に都合の悪いものを一ヶ所に集め、汚いものに蓋をするように、サウス・ブロンクスは社会や行政から見捨てられた荒野となった。しかし、そんな荒野のアパートの娯楽室で行われていたパーティーから、世界を変えるアイデアが産声をあげていた。まだ名前はなかったがーー1977年、夏、7月13日の夜にニューヨーク大停電が発生する。街は暗闇に包まれ、道端には泥棒が溢れた。この略奪行為は、見捨てられていた人々の、社会に対する意思表示のようであった。街に明かりが戻る頃、電気屋から音楽機材は消え、ストリートにはDJが溢れていた。2台のターンテーブルと、2枚のレコードは、最高の瞬間を永遠にループさせた。

“scratch”

2017年、東京では2020年のオリンピックに向けて建設ラッシュが起きていた。メイン会場である新国立競技場の建設に携わっていた作業員が、過労が原因と思われる自殺をしたが、世界的にみても自殺率が高いこの国では珍しいことではない。労働環境はガタガタで、生活は苦しいまま、疲弊した人々は声を上げる力をなくし、行列に並んだり、満員電車に押し込まれながら目的地に急いだ。貧富の差は広がる一方であった。

アメリカにおけるトランプ大統領の誕生、ヨーロッパにおけるイギリスのEU離脱など、世界は分断の時代を迎え、人々は壁を築き、憎しみあって、あらゆる場所で衝突を繰り返していた。日本も例外ではなく、ジェンダー・ギャップ指数の低さそのままの女性の社会進出(それ以前に普通に生きていくこと)に対する弊害や、様々なマイノリティや他国の文化など、自分たちからは遠く離れた世界に対する不理解からくる衝突が蔓延していた。つまり、東京にもまた、サウス・ブロンクス同様、荒野が広がっていた。そして、やはり面白いものはそんなところから生まれる。

東京の板橋にあるマンションの一室。1977年、あの見捨てられた荒野で花開いたカルチャーは「ヒップホップ」と名付けられ、今では世界中に広がり、この辺境の地、日本にもしっかり根付いていた。この部屋の住人、男か女かもわからない、ちょうど君や僕によく似た一般ピーポー(PUNPEE)は、これまた君や僕がそうであるように、かなりダメダメな生活を送っているわけだが、このカルチャーの虜になって、なんとかアルバムを完成させた。そのアルバムは分断された世界の壁を壊そうと、閉ざされた部屋から必死に手を伸ばしていたーー2017年10月2日、PUNPEEの1stアルバム『MODERN TIMES』が発表される。このアルバムは様々な人々のアイデアを刺激し、そのアイデアから、また新しい何かが生まれようとしていた。いてもたってもいられなくなった人々は、分断された世界から真夜中のストリートに飛び出し、それぞれの冒険に夢中になった。

“scratch”

2057年、年老いた男のもとに、君や僕によく似た「誰か」が訪ねてくる。どうやら、昔話を聞きにきたらしい。年老いた男はマリファナをボングで吹かしながら、当時のことを振り替える。どこからか音楽が流れてくる。懐かしくもあるが、不思議と古さを感じない音楽、40年前に発表されたアルバム『MODERN TIMES』だ。年老いた男が訪ねる「どうだった?久しぶりに聴いたら。今でもそれなりに聴けるだろ?」聞きたいことは山ほどあるが、そろそろ帰る時間だ。あの時代と今はどう違うのか。「なにも変わってない。若い世代が新しいものを作り、老いたものは見守るの繰り返しだよ。誰かが作れなかったものを次の若者が完成させる。」どうやら時代は繰り返すらしい。そして、いつだって大事なのは現在で、これからどうするかーー 

“noise”

コミック『ウォッチメン』(1986年)に登場する超人“Dr.マンハッタン”は原子を自由自在に操れるため、時間に対する認識も特殊で、彼は「過去・現在・未来」を同時に認識するキャラクターだ。彼にとって過去は未来であり、未来は過去でもある。だから、私たちにとっての未来が見えたとしても、彼にとってはすでに起こってしまった過去でもあるので、未来は変えられない。恋人と出会った時も、うまくいってる時も、喧嘩になった時も、そして別れる時も、全ては現在、同時多発的に起きていて何も変えられないし、もう、決められているというワケだ。私たちにはDr.マンハッタンのように時間を認識する力はないが、芸術作品は時間や空間を歪める。もちろん、音楽もそのひとつだ。

DJはフロアに流している曲を聴きながら、次に流す曲をもう片方の耳で聴いて、そのタイミングを調整する。右のターンテーブルには現在が、左のターンテーブルには未来が広がっている。やがて左は現在に、右は過去となり、すぐにまた未来になる。DJは時間を操り、過去と未来を行き来しながら、現在 = 現代(Modern Times)を鮮やかに映し出すのである。そして、人々はその瞬間を捕まえて踊るのだ。

【新しい文化は、過去と未来を前後に巻き込みながら、渦になって進んでいるように思えた。歴史の環(ループ)、環(ループ)としての歴史は、コール・アンド・レスポンスをしながら、飛び跳ね、スピンし、更新されていくのだった。その環(ループ)の中には、始まり(アルファ)と終わり(オメガ)、そしてその間にはターニング・ポイントがある。そのつなぎ目は消え去り、永遠の動きの中に紛れ込むと、新たなロジックを露にする。世界観が回っていくのだ。】(※2)

Chapter2: 押し入れの冒険よ続け

カニエ・ウェストとジェイZのコラボアルバム『Watch The Throne』(2011年)に収録されている“Otis feat Otis Reading”。この曲はオーティス・レディングの“Try A Little Tenderness”をかなり大胆にサンプリング、チョップ(切り取り)して並び替え、ループさせている。その他のアレンジはサブベースを入れているくらいで、非常にシンプルだ。そんなトラックの上でジェイZとカニエ・ウェストは「ベンツを乗り回す!」「プライベートジェットで飛び回る!」とセルフボーストラップを展開する。MVでは高級車のマイバッハを強引に改造して、後ろに女を乗せながらド派手に乗り回すことが「名曲をサンプリングしてラップする」ことのメタファーとして、この曲の「ヒップホップのサンプリング(引用)ミュージックとしての暴力性」を見事に映像化している。

ヒップホップ(ひいては芸術)のオリジナリティは、言うなれば「服を選び、着こなす」ところに宿る。「0から生み出す」という発想は幻想に近い。なぜなら、全てが互いに影響しあう世界において、私たちはその歴史や文脈から離れることは出来ないからだ。ゆえに、私たちはその歴史と文脈から「選び、組み合わせ、新たな文脈を与える」ことで、オリジナリティを獲得するしかない。

【俺自身が選んで組み合わせる。そこに自分らしさが生まれるってもんだろ?ブランドがどうこうなんて関係なく、本当にイケてると思ったものだけしか身に付けない。何よりも俺が着こなしてることに意味があるんだから】カニエ・ウェスト『The College Dropout』(2004年)のライナーノーツより引用。

PUNPEEの1st『MODERN TIME』を聴くと、カニエ・ウェストの1st『The College Dropout』(2004年)を思い出さずにはいられない。“Lovely Man”と“ We Don't Care ”、“ 宇宙にいく ”と“ Spaceship ”、テキーラの飲み過ぎで死にかけたことをラップした“夢のつづき”と交通事故で死にかけたことをラップした“Through The Wire”、“Oldies”と“Family Business”……そして、カニエ・ウェストのキャリアはプロデューサーとして、ジェイZの『The Blueprint』(2001年)をはじめ、様々なアーティストへの楽曲提供から始まったワケだが、PUNPEEのキャリアもそれに近いものがある。

PUNPEEは2009年、弟のS.l.a.c.k(現5lack)と高校の同級生のGAPPERとのグループであるPSGとして『David』を発表。翌年の曽我部恵一との“サマーシンフォニー Ver.2 feat.PSG”もありつつ、ソロとしては2010年に『Mixed Business』、2012年に『Movie On The Sunday Anthology』などのミックステープを発表。とくに『Movie On The Sunday Anthology』に関しては2000枚限定でしか発売されなかったにも関わらず、作品評価は凄まじく、現在では入手困難な名盤として伝説化している(ちなみに神保町のレンタルCDショップ「ジャニス」では貸し出しされている)。その後も数多くの客演仕事をこなし、RHYMESTERのアルバム『Bitter, Sweet & Beautiful』への参加、宇多田ヒカルとのネット番組『30代はほどほどに』での共演、“光 ーRay Of Hopeー MIX”の発表、さらに加山雄三との“お嫁においで 2015”と、ある意味、日本の音楽シーンの歴史とあらゆる角度から繋がる活動をしたのち、TBSのバラエティー番組『水曜日のダウンタウン』の音楽監修も務め、お茶の間進出まで果たした。

PUNPEEとカニエ・ウェストはプロデューサー活動で注目を集め、1stアルバムの完成をものすごい期待値で待たれていた2人と言えるだろう。その期待に応えるべく、作品をギリギリまでブラッシュアップして、発売日が延期されたところまで同じである。カニエは「大学中退」、PUNPEEはSF映画のように「未来から現在を振り返ること」をテーマにしたコンセプトアルバムで、ヒップホップ的方法論を基調にしながら、曲をポップに展開させていくセンスや遊び心も共通している。結果的にこの2枚のデビューアルバムは、その時代のヒップホップシーンの流行りを刻印したものではなく、各自のオリジナリティを強く反映させた、タイムレスな作品になっている。

オリジナリティは「歴史」のクローゼットから、どんな服を取り出し着こなすか、で決まる。もしかしたら、PUNPEEにとって、それはクローゼットではなく、押し入れだったのかもしれない。『MODERN TIMES』には、そんな押し入れから引っ張りだされたお宝たちが、ホコリをはらわれて並べられている。オマージュやサンプリングによる引用の数々は、新しい文脈を与えられて蘇る。このアルバムにはPUNPEEが製作したトラックだけではなく、USからはNottzとA$AP P on the Boards、ドイツのプロデューサーのRascal、国内からはDJ MAYAKU、BudaMunkなどのプロデューサーたちもトラックを提供しているが、そのトラックもPUNPEEの手によって、ひとつの世界に収まっている。カニエとPUNPEEの1stを通した邂逅は、押し入れとクローゼットを介して、自分なりの「着こなし」を追及し、新しい音楽を生み出そうとした結果だろう。そして、過去を手繰り寄せ、拾い集める過程において、そこには不思議な力 = スピリットが宿っているように思える。

Chapter3: Sing About Me, I'm Dying Of Thirst.

現在「世界一のラッパーは誰か?」と聞かれて、ケンドリック・ラマーと答える人は少なくないだろう。なぜ、彼がそこまで優れたラッパーなのかと言えば、ライミングによってどうリズムをつけるか?どんなフロウ(訛り)をつけるのか?そして、それらをどういう音程で成立させるのか?(ラップにも音程はある)、その選択の全てが音楽的快楽に繋がるという、ラップという歌唱法を扱う「シンガー」として一流だということは大前提として、同時に「ストーリーテラー」としても一流なのがその要因だろう。

① メジャーデビュー作品となる2ndアルバム『Good kid,m.A.A.d city』(2012年)は「A SHORT FILM BY KENDRIC LAMAR」の表記のとおり、まるで一本の映画を鑑賞するような音楽体験を味わえる。「グッドキッド」であるケンドリック・ラマーが、地元の「マッドシティー」ことコンプトンで、様々ないざこざに揉まれながらも、コンプトンを代表するラッパーとして立ち上がるまでの物語を、聴き手は、本作の重要なアイテムでジャケットにも描かれている「車」に乗せられ、その窓からコンプトンの街を眺めるように、真実味をもって体感することになる。ケンドリック・ラマーが実際に見てきた風景を、彼自信による見事な再構築 = ショートフィルム化によって、個人の人生が普遍的なドラマとして完成するのは、間違いなく「ヒップホップ」アルバムの傑作と言っていいだろう。

② つづく、3rdアルバム『To Pimp A Butterfly』(2015年)は、2ndアルバムが評価され、セールス的にも成功したケンドリック・ラマーの「スターゆえの苦悩」が描かれる。前作同様に、そのスターの苦悩は個人的なところに終止するのではなく、一連の「ブラック・ライブズ・マター」運動と共鳴しつつ、アメリカ社会に搾取され続けるすべての人々への問題定義になる。その問題定義と、そこからいかに抜け出すか?が、現行ジャズシーンで活躍するサンダーキャット、カマシ・ワシントン、テラス・マーティン、ロバート・グラスパー、フライング・ロータスなどのミュージシャンによる、ブルースから始まり、ジャズやファンク、そしてヒップホップに至るまでのブラックミュージックの歴史を総括するサウンドと、アルバムを通して少しずつ完成していく「一遍の詩」とともに紐解かれていき、ラストでケンドリックはその詩を持って、死んだ2パックのもとに会いに行く。神のような存在であり先輩でもある2パックに、あれこれ質問するのだが……神は沈黙し、答え合わせなんて出来ないのだ。

③ 4thアルバム『DAMN.』(2017年)は、マイク・ウィル・メイド・イットの起用も含め、前作のようなブラックミュージック史総括とは異なり、2017年の音楽シーンを強く意識した文脈の中で、いかに最高の作品を作れるか?キングは誰か?をハッキリさせるためのアルバムだったと言えるだろう。①の「ヒーロー誕生譚」から、②の「ヒーローの苦悩」といった前作からのわかりやすい繋がりは本作にはないが、見方次第では、前作のラストで2パックと話した場所 =「パラレルワールド」に迷い込んだ物語と見ることが出来るかもしれない。このパラレルワールドには弱さと強さ、”HUMBLE.”と“PRIDE.”、”LOVE.”と“LUST.”、イーストコーストとウエストコースト、ゴッドとヤハウェ、ブラッズとクリップス、まるで灰色の世界が黒と白に分断され、また1つに戻っていくような流動がある。極めつけは1曲目から14曲目へ、14曲目から1曲目へ、聴く順番を変えることで「父親に育てられ、偉大なトップラッパーになるケンドリック」と「父親がいないまま育ち、ギャングスターとして、最後に銃で撃たれて殺されるケンドリック」という、まったく正反対の2つの物語が浮かび上がる構成になっていること。「偶然」の積み重ねで人生の可能性は無限に広がっていき、あったかもしれない世界が無数に展開されていく(もしくは隣り合わせで存在する)。となれば、このパラレルワールドへの言及は「すべてのニガーはスターだ」という②のオープニングのメッセージにも帰結するのではないだろうか?そして、そのメッセージは繰り返しケンドリック・ラマーが語っているテーマにも思える。

時代の変化とともに、私たちと音楽を巡る環境も変化し、それは作品の内容にも関わってくる。2017年はストリーミング時代の音楽作品の在り方をそれぞれが模索し始めた1年だったように思える。リリースの早さと多さを象徴するフューチャーの2週連続アルバムリリース(2作とも全米1位)、シングル単位での需要が増えたことに象徴されるフランク・オーシャンのラジオ『Blonded Radio』でのシングル4曲発表、そして、カルヴィン・ハリスのアルバム『Funk Wav Bounces:Vol.1』に収録されている全10曲がシングルのベスト盤のような内容だったこと、さらにドレイクの新譜『More Life』がアルバムではなくプレイリストという位置付けだったことーーつまり、2017年の音楽シーンにおいてアルバムという単位は、その意味を新しく探している過程にあると言える。そして、前述したケンドリック・ラマーのアルバムの異様な完成度の高さは、アルバムの存在価値がわからなくなった時代に対する反動とも言えるだろう。

PUNPEE『MODERN TIMES』の完成度の高さも、こうした時代の流れと不可分で、それは前述したケンドリック・ラマー作品の要素が、本作に全て含まれていることからも伺える。SF映画のような物語進行で、自身の表記を「Scripted by PUNPEE」にしている点は①。物語の発端が「宇多田ヒカルと共演してから生きる気が死んだ」や「こんなに売れてるって信じられる?実は死んでるのでは?」などのスターの苦悩であり、2057年の自分に神の視点を与えているのは②。そして、パラレルワールドへの言及や、2057年から現在を振り替えるという時間芸術に対する挑戦という点で③。さらに、アルバムを通して見ると、この2人にはラッパーとしての「あるアティチュード」が共通していることもわかる。①に収録されている“Sing About Me, I'm Dying Of Thirst.”の歌詞を紹介しよう。

See, all I know, is taking notes
On taking this life for granted 
Granted, if he provoke

俺にできるのは、
命を軽視されたヤツらのストーリーを
書き留めることだけ、
怒りに燃えた時に

そして、これは②に収録されている“Mortal Man”の、ケンドリックと2パックの会話である。

Kendric Lamar [ In my opinion, only hope that we kinda have left is music and vibrations, lotta people don't understand how important it is. Sometimes I be like, get behind a mic and l don't know what type of energy I'mma push out, or where it comes from. Trip me out sometimes ]

2pac [ Because the spirits, we ain't even really rappin', we just letting our dead homies tell stories for us ]

ケンドリック・ラマー「俺たちに残された希望は、音楽とヴァイブレーションだけだと俺は思ってて、ほとんどの人たちはそれがどれだけ重要なのか理解してない。俺はマイクの後ろに立っていると、時にどんなタイプのエネルギーを押し出そうか、それがどこから来るのかが分からなくなるんだ。気が狂いそうになるよ」

2パック「それはスプリットだからさ、俺たちは実はラップしてるんじゃなくて死んだ俺らのホーミーたちのストーリーを、俺たちのために語ってもらってるだけなんだ」

芸術を生み出す時、誰もが思うことだろう「このアイデアはどこからやってきたのか?」自分が作り上げた作品は、人智を越えた場所にある時間感覚を内包し、永遠にも近い時の記憶が刻まれている。これが出来るまでの間に、多くの名も知れぬ命がバトンを繋ぎ、自分もそのサイクルの一部になる。それはどんな些細なことでも構わない。例えば巷に溢れる無数に似たような曲の一曲を、洗濯物を干す際にベランダで口ずさむ、そんな光景でさえ、尊い時間の流れの一部にあり、革命の力が潜んでる。もちろん、ディアンジェロの『Voodoo』を聴く方がてっとり早くそのことがわかるかもしれないが、たしかに大いなる力があることを、私たちは芸術作品を通して感じることができる。今、目の前にあるこれは、はたしてほんとに「自分」が作ったのだろうか?

実は昔Heroはこの世に実際居て
でも色々あってどこかに消えた
僕らは記憶を消され かすかな記憶達が
コミックになり残った
この曲は唯一それを覚えてた
PUNPEEから君に送るメッセージさ
偉い人に化けた異星人が
想像力を惰性で流そうと目論んでる!ってまた。。。
あの芸術家達もあの戦争に行ってたら死んでたかも
あの戦争の犠牲者の中にも
未来の芸術家が何人居たろう?
きっと彼らのアイディアは空気を伝って
僕らが形にしてるこぼさずに
灰色の世界にひらめきを
夢のような暇つぶしを
つくりだそうぜ Hero

PUNPEE - “Hero”より引用。

リズムやフロウ、発声、音程の合わせ方など、歌唱としてのラップ技術の高さだけでなく、ケンドリック・ラマーは声色を変えることで、様々な感情や人々の声を模倣する技術にも長けている。PUNPEEも同様に、ラップや声色のアプローチが多彩で、様々な“別名義”を持っているラッパーだ。“ローラースケーツ・バイオレンス No.1”に登場する「Heavy TOMO」や、“バサラップ(basarapsody remix) ”に登場する「MC 吟遊詩神」など……その中で一番有名なのは“Renaissance”でもサビを担当している「sugbabe」だろう。ちなみに『Movie On The Sunday Commentary CD』のPUNPEEによると、sugbabeは「とあるレコード会社で、秘密裏に行ったオーディションで採用した自分の声に似た人物」なので、正確には“別名義”ではなく“別人”なのである。このPUNPEEの表現におけるオルターエゴの存在の中でも、一際謎に包まれているのが「今夜が田中」だろう。

謎のツイッターアカウント「@konyagatanaka」(以下、田中)は、ヒップホップへの造詣の深さから、ヒップホップ界隈では話題のアカウントになっていた。そんな彼を誘き寄せるパーティーとして「田中面舞踏会」が開会される。このパーティーはインターネット世界で、それぞれが仮面を被り表現活動をする現代における新しい形の仮面パーティーであった。2014年秋に第5回でフィナーレを迎えるまで(その後、復活もするが)、パーティーの規模は大きくなっていったが、最後の最後まで「田中」は誰にもその正体を明かすことはなかった。田中のために用意されたDJタイムも、コインロッカーなどを経由して受け渡されたミックス音源がフロアに流されるだけで本人は登場しなかった。誰もいないDJブースを眺めながら踊る時、田中はあくまでフロアにいる観客の「誰か」として存在していた。2014年10月6日「カモフラシーズン」とのツイートを残して@konyagtanakaの更新は途絶えている。

田中の正体を巡り、様々な憶測が飛び交い、その1人にPUNPEEの名前も挙がったが、当の本人は「自分は田中じゃなくて高田(本名)だ」と、わざわざ“Who is Tanaka?”という曲を製作してまで否定をしていた。しかし、田中に引き付けられた者たちで結成され、田中面舞踏会の主宰も務めていた集団「T.R.E.A.M.」が2016年に発表したコンピレーションアルバム『LIFE LOVES THE DISTANCE』に収録されている田中が提供したトラックにPUNPEEがラップをしている“Last Man Standing (I am Tanaka?)” で驚きの真実が明らかになる。なんと田中の正体は2037年の荒廃した地球に住んでいる未来のPUNPEEだったのだーー

「PPPちゃんは田中さんじゃない」なんて
20年前 確かに言ってたな
こちらAD2037 空は枯れ果てて
月は太陽に変わっちまった
自分の糞を肥料にして
DNA組み替えたWeed畑だけが楽しみ
地球に俺一人 誰もなんも言わない
誰ともなにひとつマジ分かち合えない
セク山さんも、shakke-n-wardaaも、
mistadounut、仮雄も死んじまった
俺に才能加えてくれたあの女すらも救えなかった
月の紫外線が生んだタキオンが偶然、
過去とインターネットを繋げた
壊れたキーボード、使える文字は
「t」と「n」と「k」と「a」
Damn…まさか俺が…

PUNPEE - “Last Man Standing (I am Tanaka?)” より引用。

インターネットの世界はまるで宇宙のように広がっている。そこにはいくつもの私たちがうごめき、ビッグデータの一部として、数字や情報に変換される。そこにある物語を数字や情報ではない形で、救い上げてくれる人はいないのだろうか?私たちのくだらない物語を……。もし、私たちの世界が枝分かれを繰り返して、無数のパラレルワールドを生んでいるとしたら、誰もが犯罪者で、誰もが偉大なラッパーだ。「sugbabeはPUNPEEか?」「田中はPUNPEEか?」その答えはYesでありNo、実際はどうでもいいこと。PUNPEEはここにはいないダチ公(Absent Friends)の物語を拾い上げてくれている。それは私たちにだって出来るはずだ。語り手と聴き手、双方のクリエイティビティの衝突が物語を紡いでいく。

現在「世界一のラッパーは誰か?」と聞かれて、ケンドリック・ラマーと答える人は少なくないだろう。でも、ほんとのところ「世界一のラッパーは誰か?」って、それは君や俺のことなんだ。

【俺にはヒップホップが「ありのままの姿でやって来い」と言っているように思える。俺たちはファミリーだ。セキュリティや派手で高価なアクセサリー、銃の性能や200ドルのスニーカーなんて話は、ヒップホップの真髄ではない。お前よりも俺の方が上だとか、俺よりもお前の方が上だとか、そういう話でもない。ヒップホップとは、お前と俺のこと、人と人とがつながるということなのだ。だからこそ、世界に通用する魅力がある。ヒップホップは、あらゆる場所に住む若者たちに自身の世界を理解する方法を与えてくれた。】(※3)

Chapter4: お行儀よくちゃつまらない

【「こういったアートが犯罪だというのなら、神よ、それを続ける我々を許したまえ」。グラフィティ・ライターは、能率や進化を象徴する地下鉄列車に違法でグラフィティを描いていった。小さな反乱は街中で四六時中起こり、警察当局は、この行動を社会の礼節に対するゲリラ戦だと考えた。彼らは正しかった。かつて北部行きの列車は自由の象徴だったが、脱工業化して衰退した街において地下鉄は、会社に使われるだけの人々が一日の始まりに乗り込むものにすぎなくなったと、アイヴァー・ミラーは記している。「地下鉄は、企業国家アメリカが国民を仕事に向かわせるための手段にすぎない。企業のクローンを運ぶ物体として使われているんだ。そして、地下鉄自体もクローンと言えるだろう。列車はどれもシルヴァー・ブルーで個性もなく、帝国主義と支配の手段となっている。俺たちはそれを奪うと、まったく別物に変えてしまったのさ」とリー・キニョネスはミラーに語っている。グラフィティ・ライターは、列車に関する循環論を、自らの論理に置き換えてしまった。】(※4)

トラップのリズムが音楽シーンのスタンダードになった2017年にピッタリのハイハットが、時計の針のように刻まれる“タイムマシーンにのって”。人が「時間を戻せたら……」と思うとき、そこにタイムマシンの存在がちらつく。この曲は「過去に後悔があるなら、タイムマシンに乗り込んじゃいなよ!」と歌う。これは後ろ向きなメッセージだろうか?

新しいテクノロジーが生まれた時に、軍や政府、大企業が、そのテクノロジーを「目的」のために使用すればろくなことにならない。なぜなら、そのテクノロジーには魂がないから……いつだって新しいテクノロジーに命を吹き込むのはアーティストなのだ。例えば、16世紀の英国において「英語」は発展途上の、みんながうまく使いこなせない新しいテクノロジーだった。そこに舞台芸術を通して、命を吹き込んだのはシェイクスピアだった。彼は芸術を通して「英語」を発展させる重要な役割を果たしたのだーーこれはアーティストに限らずだが、我々の「遊び心」こそが、テクノロジーに命を吹き込む。

タイムマシンという最新テクノロジーに遊び心で命を吹き込もうとする“タイムマシーンにのって”のアティチュードは、黒人音楽の歴史とも重なる。クラシックで補助的な楽器だったサックスをメインの楽器にしたジャズや、音楽を聴くための道具だったターンテーブルを楽器にしてしまったヒップホップのように、新しいテクノロジーは、そのテクノロジーを作った創造主の思惑を簡単に超えて、予想不能な間違いと遊び心で生まれ変わる。

【ーーすなわち、進歩は極度の奇形の結合による、およそ対蹠的なものの不調和な合併から生じる】

イラストレーターのサム・ギルビーが描く『MODERN TIMES』のジャケットに漂う2冊のコミックーー『LOBO ポートレイト・オブ・ア・バスティッチ』の主人公“ロボ”は「平和と愛と穏やかな喜びの楽園で、夢見る者すべての夢が叶う場所」であるザーニア星出身の「完璧なる」種族ザーニア人なのだが、ザーニア星に住む最高の賢人たちもわからない謎として、ロボは生まれた瞬間から悪魔的な才能を光らせていた。その結果、 今までザーニア星には存在しなかった「警察、刑罰、刑務所」の設置を巡り、熱い議論が行われたが、その健闘虚しく、ロボはザーニア星にいるすべてのザーニア人を殺し、最後のザーニア人となる。彼はこの漫画の中で、軍隊も警察もいない安全なリゾート地である“レヴェル7”という星を混乱に陥れたり、敵に殺されて行った天国で暴れまくり受け入れ拒否になった結果、生き返ったりするほどの凶悪さを発揮している。ザーニア星、レヴェル7、天国と、ロボは徹底的に楽園の存在を否定する。なぜ、ロボはそこまで楽園を否定するのか?E・トリブの論文に興味深いことが書いてある。ロボは自分でバンドを組むほどのロック好きだった。そして「かつてザーニア人がロックと呼ばれる音楽に興味を持ったことはなかった」と。

『ウォッチメン』の超人“Dr.マンハッタン”はある事件をキッカケに人類に絶望してしまう。しかし「あるキャラクター」の出生の秘密に向き合うことで、その考えを改めることになる。そのキャラクターは不倫の末に出来た子供で、しかも、その相手は母親をレイプした男。母親は自分をレイプした男に好意を持ち、その後、再び関係を持ってしまったのだ。その事実にDr.マンハッタンは驚嘆する。レイプや不倫といった道徳的に間違った行いの積み重ねで、新しい命が生まれたことに。Dr.マンハッタンはずっと熱力学的奇跡 = 酸素が自然に金へと変成するような奇跡を見たいと思っていたが、実は人間こそが、それに匹敵するほどの奇跡だったことに気付く。

【「地球上のあらゆる人間が奇跡だ。ただ、人間の数があまりにも多く、奇跡があまりにもありふれているため、誰もがそれを忘れてしまう。私も忘れていた。見慣れすぎたせいで、感覚が麻痺していたのだ。だが、少し…ほんの少し視点を変えて見つめ直せば、全てが新鮮で、驚嘆に値することがわかった。」】コミック『ウォッチメン』より引用。

ヒップホップは間違いから誕生した。レコードを2枚買って一番盛り上がるブレイクビーツだけ流すなんて、オリジナルの楽曲に対する冒涜だ。それをするためにレコードプレーヤーを2台並べるなんて、説明書には書かれていない。ブレイクビーツに合わせてラップやダンスをするなんて、今まで見たこともない。地下鉄に描かれたグラフィティも、街の景観を台無しにする。あのニューヨーク大停電の時に音楽機材を盗んだ人々もそうだ。窃盗はもちろん犯罪ーーしかし、その数々の間違いのおかげで、私たちは大きな野外ステージで、真夜中のクラブで、一人の部屋で、踊ることが出来ている。私たちは、たくさんの間違いの上で踊っている。

『MODERN TIMES』を完成させるのは聴き手だ。このアルバムを作り手の想像を超える作品にするのは我々、聴き手の「遊び心」や「間違い」という働きかけだ。だとすれば、このアルバムを作り手の思惑通りに、お行儀よく聴いていてもつまらないのである。最後に2011年3月13日にYouTubeにアップされたS.l.a.c.k.、TAMU、PUNPEE、仙人掌による“But This is Way”のPUNPEEのヴァースの一部を紹介しよう。2011年3月11日、東日本大震災のことをまだ覚えているだろうか?

最近腹いたの病気になって 
薬飲んでお水で洗い流した
俺らは地球の病原菌かい?
でも菌でもそれぞれ役割はあるんだ

最近腹いたの病気になって 
薬飲んでお水で洗い流した
俺らは地球の病原菌かい?
でも病原菌の愛も捨てたもんじゃないぜ
(※1) (※2) (※3) (※4)『ヒップホップ・ジェネレーション』ジェフ・チェン著より引用。

Chapter5: このアルバムに「騙されている」すべてのPUNPEEたちへ

よくぞ、ここまで読んでくれた。しかし、残念ながら、君が読んでいた文章はすべてーー

もし、君がこのアルバムを聴いて、なにかをわかった気になっているとしたら、残念ながら、その態度は『MODERN TIMES』にふさわしくない。たしかに気持ちはわかる。私もそうだった。『MODERN TIMES』のCDを購入して再生ボタンを押す。あのPUNPEEの1stアルバムだ。最高に決まっている。期待以上の音楽と、2057年のPUNPEEが語る言葉に勇気づけられ、あっという間に君はHeroだ。実に気分がいい。この感想を誰かにつぶやき、共感しあうのもいいだろう。そして、満足した君や私はふりだしに戻る。VRの世界の中の満員電車に揺られながら、はやく目的地に着くことを祈る。もちろん、その電車に反逆のアートは描かれていない。

私たちは『MODERN TIMES』でさえ、いとも簡単に消費してしまう。映画『モダンタイムス』の冒頭、大量の羊と重なるように、地下鉄から出てくる人々と同じ。私たちは家畜のまま、芸術はただのエサで、一時の満腹感を得るだけの慰めものに成り下がる。このままでいいのだろうか?いいわけがないが、このシステムは中々手強い。黙っていようが、声を挙げようが、何も変わらないかもしれない。しかし、それでもなお、このアルバムはそんな現状に対しての僅かな抵抗として、ある仕掛けを用意している。君はこのアルバムの隠しトラックを聴いただろうか?

このアルバムには隠しトラックが存在する。1曲目“2057”を巻き戻すと、メーターは0秒からマイナスにまで突入して、そこには「よくぞ見つけてくれた」という語りから始まる、約40秒ほどの真のオープニングが姿を現す。私は戦慄してしまった。なぜなら、この真のオープニングは、私がこのアルバムを「何も聴いていなかった」ことを暴くものなのだから。

これは全く驚くべきことです
我々の暮らしてる世界は
人工的な仮眠状態にあります
貧困な階層が増えています
人種の尊重も人権も存在しない
抑圧された社会を彼らは作りあげ
我々は知らずに共犯者になっている
彼らの目的はみんなの意識を無くすことです
無我の状態へ誘いこみ
ちがう人間になったと思いこませるのです
欲に目のくらんだ人間にします
しかも彼らはいつも隠れて
正体を見せません
彼らは中産階級を骨抜きにしており
貧しい人々が増えています
我々は牛であり
奴隷として飼育されているのです

映画『ゼイリブ』劇中の海賊放送より引用。

1988年、N.W.Aが『Straight Outta Compton』を発表した時代に映画『ゼイリブ』は公開された。この映画の主人公は不思議なサングラスを手に入れ、世界の本当の姿を知ることになる。そのサングラスをかけて街を歩くと、いつもの風景が一辺する。何気ない広告や看板には「OBEY(服従せよ)」「CONSUME(消費せよ)」の文字が並び、雑誌のページをめくれば 「STAY ASLEEP(眠っていろ)」「NO IMAGINATION(想像力を働かすな)」、紙幣には「THIS IS YOUR GOD(これは神だ)」などと書かれている。そして、誰かを蹴落としながら、裕福な暮らしをしている高いスーツ姿の男や、ドレスを着た女の正体は、みんな醜い顔をしたエイリアンなのである。地球はこのエイリアンたちが発信している特殊な電波により、一種の催眠状態に陥っていて、その電波を遮るサングラスをかけないかぎり、このからくりには気付けないというわけだ。

つまり、アルバム『MODERN TIMES』の「隠しトラック」は『ゼイリブ』のサングラスなのだ。そのサングラスをかけてから、2057年のPUNPEEの声やトラックに耳を傾けてみてほしい。なんて穏やかな未来なんだ、あの日、私たちが夢見た素晴らしい未来の実現だ!「飽きるのは簡単だ。楽しむこと。」ああ、そうかそうか!たしかにそうだな!と君や私は大満足。しかし、このセリフもサングラスをかければ、そこから聴こえてくるのは「STAY ASLEEP(眠っていろ)」だ。「彼ら」の目的はそこにある。もっともらしい答えを与え、わかった気にさせて、考えるのをやめさせることだ。せっかく2017年のPUNPEEはラップしているのに!

皆がただの歯車になり狂わぬように
果てない“?”を頭の上に

PUNPEE - “Oldies”より引用。

『MODERN TIMES』は現代に生きる私たちを冒険に駆り出す最高のポップミュージックだ。ポップミュージックは羊のエサのことではない。壁をこわして、扉を蹴破り、おもいきり、わけのわからない場所に身を委ねることだ。出会ってすぐに結婚をして、死体の山を築きながら、車を走らせハネムーンに出かけることだ。社会が押し付ける正しさや幸せに背を向けながら、2人で手を繋いで歩いていくことだ。

しかし、悔しいが「彼ら」が見せてくる2057年は魅力的で、私たちはそれに甘んじてしまう。たしかに「飽きるのは簡単」で、大事なのは「楽しむ」こと。耳障りの良さとは裏腹に、これがすごく難しい。何度も言うが、楽しむことは「わかった!」と理解することではない。興奮と衝撃にくらくらしながら、もしくは全く未知のものに頭を抱えながら、思索を続ける過程にこそある。だから、ブックレットに記されているとおり、このアルバムには7つのイースターエッグが隠されている(「彼ら」にバレないように)。隠しトラックもその1つだ。私たちはこのアルバムに向き合うとき、頭の上に“?”を掲げながら、楽しむことになる。そして、それこそが「彼ら」との闘いに勝つ方法だ。未来の自分はアドバイスなんかしてこないし、私たちはあがき進んでいくしかない。それでも、もし、このアルバムになんらかの時空の歪みが生じているとしたら、未来のPUNPEEが語った最後のメッセージは「大事なのはこれからだぜ」だったのかもしれない。

このアルバムの隠しトラックはCDプレーヤーなどで、CDを巻き戻すことでしか聴けない。私はこの隠しトラックの存在をツイッターで知ったものの、自宅のパソコンでは再生出来なかったため、わざわざ購入したCDを持って、近所のTSUTAYAに行き、そこの試聴機で聴くことになった。この時代になんて不便!と思うが、音楽を「能動的に楽しむ」というキッカケを、こういうところでも演出しているのだ。スポティファイやアップルミュージックなどの音楽ストリーミングサービスでは、この隠しトラックは聴くことは出来ないし、CDを購入した人の中にも存在を知らない人も大勢いるだろう。もしかしたら、この隠しトラックは語り継がれない歴史になるかもしれない。そうなれば「彼ら」の思うツボだ。私たちはこのアルバムを消費して、隠しトラックのような未来に突き進むことになるだろう。

『MODERN TIMES』は冒険を忘れた、しかし、たしかに世界を変える力を秘めている偉大なるPUNPEEたちへ宛てられた手紙だ。その手紙の表紙には赤い文字で「CONFIDENTIAL(機密)」とあり、その中には世界のすべてが書かれている。ある日、見た目も中身もまぁ覇気がない、男か女かもわからない、君や私によく似たPUNPEEは、大量のゴミの中から、この手紙を見つけ出す。差出人はそいつのことを信じて「全部お前に任すからな」と言い続けてくれている。きっと40年後の未来でも。

I leave it entirely in your hands.

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