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日記653 クリスマスが好きです

クリスマスの雰囲気が好きなのは、なぜだろう。前々から「みんな資本主義やってるなー」などと思っていました。というのはつまり、みんながクリスマスの風景になりたがる(ように見える)からではないかと、今朝の洗濯物を干している時間にぼんやりと思いました。ご近所宅の電飾も消えた朝のとき。

12月25日まで、街ぐるみでひとつの「クリスマス」という記号へ向かってゆく。いや、もう世界ぐるみかもしれない。先進国ぐるみか。まさしく都市は風物そのものになる。人間も嬉々として、「クリスマス」という寸景そのものになろうとする。資本主義らしいカキワリのごっこ遊びが際立って前景化する。その薄っぺらさが好きなのだ。「クリスマス」が命じる資本の論理に身をやつす。この時代の人類がかわいいのだ。

わたしもなんだかんだでプレゼントを買う。かわいい時代の人類として、クリスマスの一員によろこんでなる。くだらないことをしていると思うけど、くだらないことがたのしい。スーパーの店員さんが、サンタクロースの帽子をかぶっている。コンビニのレジ打ちも、ピザの宅配もコスプレをしている。人間が個人ではなく記号になってゆく。それもあからさまに。ひとつの日付に向かって。わたしには壮大なごっこ遊びに見える。資本主義はゲームだ。それもとびきり酷で、たのしいやつ。

こんなことを書くと皮肉屋だと思われそうだけれどちがう。ばかだなーと思いながらも、ほんとうにたのしいんです。わたしがわたしじゃなくて、クリスマスになれる。もうここのところはずっと、外に出れば自分がクリスマス状態です。ミスター・クリスマスです。わたしもクリスマスの景色の一部として街を歩く。反意をあらわす人も、関係ないような駅のホームレスも、等しくこの街の記号になる。有無を言わせない。だってそうなっている、そういうものだから。自然現象のような乱暴さがある。信仰にも似た。というかもともと宗教的な日。記号たちのうごめく夜がまた、やってくる。

「ちょっと早いけどメリークリスマス」と芸人のマキタスポーツさんがラジオで1年中おっしゃっていた気持ち、わかります。ギャグとしてではなく、文字通りの解釈としてわかります。早くクリスマスになりたいもの。クリスマスまで待たせないで。もちろんギャグとしてもおもしろいのです。1月に「ちょっと早いけどメリークリスマス」と言えばおかしな人になるけれど11月、12月あたりだとそうはならない。ボケだったことばが日を追うごとに通常の挨拶へと変化する。時期に依存した意味のグラデーションがたのしめます。

クリスマスから年始にかけては、幼い頃から疑問だらけのふしぎな時間でした。「メリークリスマス」も「あけましておめでとう」も意味がよくわからない。どのへんが聖なる夜なのだろう。元日のなにがおめでたいのだろう。日を1日またいだだけなのに。特別なことなんか、ひとつも起きないのに。「そういうものだからそういう儀式をしている」以上の根拠はないように思う。こんなこどもの疑問が、年齢を重ねたいまでも抜けません。

でもこの問いは、ずれています。主体的に考えすぎているのです。こどもっぽい自己中心性がある。自分がそこまで問える主体であるはずがないのです。わたしは、“なんか知らんがこの世に招かれた客人”としても人生を歩んでいます。自分より古いクリスマスというおおきな日付にとっての、ちいさな客体なのです。この受動性をみとめてからが、現実のお話の始まり。街が勝手にクリスマスになる。年が明ければ、みんなおめでとうとなる。日付がやってくることの受動性からはどうやっても逃れ得ません。

クリスマスはわたしが客となり「クリスマス」という記号の価値を授けてもらえるひとときでもあって、新年は無条件におめでたくさせてもらえるひとときでもあるのです。自分が客体でもあることを忘れてはいけません。かといって主体的な意識を捨て去ることもできない。「でもある」です。主客の均衡をうかがいながらものごとは考えたいもの。自分は主人公なんかじゃねーよタコ。アレルギーで食えねーんだよタコ。

「クリスマスの雰囲気が好き」なんてほざきつつ、クリスマス感覚ゼロな写真ばかりを撮っています。なんだこの暗くて寒そうな夜道は。ひたすら暗い。暗い人生劇場です。そういえば神保町に「人生劇場」という店名のパチンコ屋さんがあります。絶妙なネーミングだと思う。そこでは誰もが人生という舞台の演者であり、お客でもあるのです。でもたぶんほとんどの人はお客として搾られます。人生を。

なんでもいいけど、もっとキラキラでビカビカのパーリーピーポーな写真を撮りたい。そうだなー。たとえば、もし人生が劇場であるならば、演者でも客でもなく大道具さんあたりを希望します。カキワリをつくる人。いや、劇にはいっさい関係したくない気もします。外のロビーで座っている人がいい。素知らぬ顔で、静かに座りながら本でも読んで。ゴドーを待ちながら。「でもじつはそこがあなたの舞台なんですよ!」なんて言われるとたまらない。移動したくなる。出口なしだ。お気に召すまま雰囲気のある死体にでもなっておくか。

さいきんなぜか腹痛になりやすいです。
キャベジンを飲みまくります。
いまも痛い……。

にゃん