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日記690 白いもの

暗闇の境で地球は白を通過する。やがてあたりは黒くなる。たぶんこの世界にある境目という境目はことごとく白い。善と悪の境も、過去と未来の境も。白にはすべてがあって、すべてがない。そこで人は視力を失う。そんな色のように思う。ことし初めに読んだハン・ガンの小説『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳, 河出書房新社)を思い出す。

 もしかしたら私はまだ、この本とつながっている。揺らいだり、ひびが入ったり、割れたりしそうになるたびに、私はあなたのことを、あなたに贈りたかった白いものたちのことを思う。神を信じたことがない私にとっては、ひとえにこのような瞬間を大切にすることが祈りである。p.185

さいごにある「作家のことば」より。

白は滞留しない。すべてのものたちのあいだにあって、一瞬で通過してしまう。ひらりと過ぎ去り、またべつの色に染まる。眼窩を突く紫電一閃を境に世界が反転する。昼と夜のあいだ。現と夢のあいだ。イエスとノーのあいだ。あなたとわたしのあいだ。生と死のあいだ。

種々のあいだにある、白い一瞬の通過だけが祈りを捧ぐ契機となる。だから、それを逃さないように。注意深く境界をまなざす。ゆっくりと歩きながら。

祈りの契機とは、出会いの契機だ。わたしたちは「祈り」という瞬間の走路で出くわしていた。それが祈りのかたちであるとは知らずに。いずれまたすれ違うための祈りの中にいた。どれだけひとりきりでいても、深い暗闇の底に沈んでも、大丈夫であるように。いずれ、また。


5月25日(土)


友人に誘われ、六本木へ行く。早めに到着して、気の向くままに歩き回っていた。夏日のなか、晴天のもとでほっつき歩いていると、六本木ガレリアの付近で若い男女に話しかけられた。日本ではないアジア系の、外国の方らしかった。英語で「写真を撮ってください」と。男性に、銀色の渋いカメラを渡される。「OK!」と笑顔を見せたら、向こうも微笑んでくれた。

すごくかわいいふたり。横に並んで、背の低い女の子が男の子の肩に頭を置く。立ったまま、首をかたむけて。そんな写真を撮らせてもらう。渡されたのはデジタルカメラではなく、フィルムカメラ。その場で確認はできなかった。いい写真が撮れていますようにと願うのみ。

あのふたりのつづきを知ることはきっとない。写真を撮った、短い時間の記憶だけが残される。自分はほんの束の間、あいだに登場した第三者。たとえばこんな出会いも祈りの契機かもしれない。

未来がどうなるか、写真がどんなふうに仕上がるのかさえわからない。でもあなたたちは、この世界におけるとてもいとしいものに思えた。少なくともあの瞬間は。わたしはいとしいものたちの、いとしい状態をフィルムに写すことができた。無作為な出会いによって、そのシャッターを切らせてもらえたことに感謝したい。不可知の白さに目を伏せる。

「人は思い出すとき、見えないものが見えるようになる」と、山崎佳代子の『ベオグラード日誌』(書肆山田)にあった。5歳の男の子のことば。もう目の前にない、いとしいひとときを思い出すこと。何を見ても何かを思い出す。見えるものから、見えないものへと飛躍する。出くわして、いなくなったあとの、静かな光に身を捧げること。

「ベリグー!センキュー!ラブリー!」と親指を立て、カメラを返した。あまりにデタラメな英語だった。勢いあまってなぜか「ミキティ!」と言いそうになり、こらえた。向こうは照れたように笑っていた。

わたしはひとりでいると、大胆にふるまう傾向がある。群れの中では肩を小さくすぼめて控えめになる。ふつうは逆だろうか。ひとりなら、責任の範囲がはっきりしているから。自分だけの基準で、自分だけが楽しければいい。シンプルに割り切って、気持ちを大きく振り切れる。

とっさに口走った英語は、思っていたよりずっと拙いものだった。でも臆さず堂々と話せたから、それだけはよかった。上々な感情の雰囲気だけでも受けとってもらえていれば良い。かわいらしい、異国のふたり。わたしとすれ違ってくれてありがとう。

 日暮れ前、水気を多く含んだ雪が降りついだ。歩道に触れるとすぐに溶ける雪、驟雨のようにたちまちに降りやむ雪だった。
 灰色の旧市街地が、あっという間に白さに隠れていく。いきなり非現実的に変貌した空間の中で、行き交う人々は、すり切れた自分の時間に手当てをほどこしながら歩いてゆく。彼女も立ち止まらずに歩いてゆく。消えてゆく――消えている――美しさの中を通過しながら、もくもくと。p.135

『すべての、白いものたちの』は冬の描写が多い。真夏のように暑かった5月25日。すり切れた自分の時間に手当てをほどこしながら太陽の白さの中を通過した。美しい日暮れにも都市は平然としている。多くの人は立ち止まらない。ただ夜へと移動するだけだ。いつもと同じ。しかし、いまはもう思い出すことしかできない時間を通過した。


「さいきんどう?」


友人からそんな質問を受けて、「変わらないかなー」なんて安直に言う。あんがい変わっていることもあるのかもしれないけれど、かんたんなこたえを選んでしまう。同じ質問を投げ返すと、親指を立てながら「グー!」とこたえてくれた。いいね。こっちまでうれしい。いっしょに親指を立てた。この日、2回目の。

夕食のお好み焼きがおいしかった。ゆるく禁酒中のためビールは我慢してジンジャエールをもらったけれど、途中でやっぱりビールが飲みたくなり頼む。誘惑に負けても、おいしかったから、いい。食べ終えてお店を出ると、すっかり暗い。夏の日の夜の匂いがした。深呼吸をして、この夜を通過する。歩いてゆく。ときおり立ち止まりつつ。




にゃん