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日記472 袋のまま電子レンジできます!

「袋のまま電子レンジできます!」。そう、袋のままできる。あなたにはずっと、袋のままでいてほしい。袋のままで。いつまでも。そうしていたかった。電子レンジできるのに。電子レンジしようよ。あなたと、電子レンジがしたい。したい。させてよ。もっとしたいよ。袋のままでしたい。安西先生、電子レンジがしたいです。安西先生と電子レンジがしたいのです。袋のままでOK!とここに書いてありますから。ほら見て。書いてある。だからそのままにして。すべては袋のままに置いて、なにもかも放りだしていいよ、あたためて。レンジでチン。レンジでチンさ。チンをしようよ。してよ。くれぐれも袋からは出さないでください、おねがいです。袋のまま、そっとしておいて、温度だけを高めて、それ以外は、いらない。なにも出さなくていいんだ。袋のままだよ。いいかい。わかったね、先生。淡い夢とともに差し込む朝のやわらかな微光も、深く暗い毒のなかのまどろみも、眉根に皺となって巣食う哀しい痛みも、わたしたちの裸の弁明も、袋に詰めて、あたためよう。そこらじゅうすみずみまでマイクロ波にさらして、熱が帯びる。なにも外には出さないよ。袋に傷はつけない。きれいにパックするよ。中身は傷だらけでも、これでわからない。傷ついていいよ。あなたの深奥で静かに沈む振動子を、わたしの微細な波長ですくいあげて破裂するまで激しく揺動させてあげる。水分が飛んでパサパサになるまでぐんぐん熱をあげて、ずっと袋のままで、わたしたちの袋は破裂しないようにできているから、この中でいくらでも弾け飛べばいい。そう思ってた。いまも、思ってる。あしたも、ずっと。あなたはとつぜん現れて、わたしのためらいがちな歩みを、確かなものへと変えてくれたはずだった。その確かな瞬間を袋に詰めて永遠にしたかった。でも、袋には詰まらない。詰めても詰めても袋から身を乗り出して、どこかへいってしまう。溶けだした時がわたしをすり抜けて過ぎたあとのかすかな空気に、あなたの匂いがしみていた。確かな時をうしなうたびにわたしはまた、艶めいた香気を放ってあなたを誘います。何度も誘います。手を引いて、抑えつけるの。あきらめたくはない。いつしか香気が色褪せたって、あらゆる理由がついえたって、喉がちぎれたって叫ぶことばには困らない。わたしはじぶんの黒い傷口から歩み出た孤独な聖者に恋をした。それがあなただった。うつくしい音楽を眼底からまなざすように、聴覚をふるわせて観る絵画のように、わたしの五感をそっとひらいて秩序を撹乱するように導いてくれたものがこの世にあった。あなたの生きている次元に存在するはずの渾沌たる秩序に身を捧げたいと願った。甘美な酩酊、そして惑乱。殺されたってかまわない。首を絞めながら、あたまをなでてよ。笑いながら怒ってよ。竹中直人のように。いくらわたしが好きだとささやいても、叫んでも、あなたには自信がないのね。こたえは本の中にはないの。顔をあげて、こっちを見てよ。そうすれば、きっと。もう魔法はとけたから。馴染みのいいわけも、むなしく響くとき。まなざしはわたしにしか向けないで。いじわる言って、やさしくずっと。この街にいくつもある、ここだけの場所で、ほら、袋のまま電子レンジできます。それができるのに、なぜしないの。してくれないのですか。あなたと出会う以前にあったわたしの日々の芝居は、もう、うしなわれました。あたらしい脚本をください。台詞がわからないんだ。ことばはいつもかすかな息遣いとなって消える。すれちがう行き過ぎたひとびとの声と交雑し、色彩が均され透明になる。ここはひとが多すぎる。どいて、うるさい、じゃまだ。なんにも聞こえない。天国はもう満員。あなたは死者に夢を見させようとするけれど、この世界は死者の見ている夢なんだ。わたしたちはいつも夢に見られて目覚めるしかない。どこにも出口はない。寝覚めの悪い猥雑な人間たちの声の渦中にある錯乱の交響曲、第四楽章。混じりけのない孤独なうつくしい旋律は遠ざかる。路上の喧騒だけがここにはある。それが音楽として世界にとどろく。ノイズの残響を拾って、ことばが生まれる。誕生とは、あがないのゲシュタルト。赤子は、生ける者どもの裸の弁明に過ぎない。いい加減にやめよう。恋する者たちは彼方へと死んだ。解かれるのを待っているなぞなぞのような下心とともに。死ねとひとこと言ってほしい、おんな心じゃないの。カスパー・ハウザーみたく閉じ込められた、哀れなあなたに。なにもかもを強いられ、殺された孤児。それはわたしたちの姿そのものでしょ。まあ、いやだとも、疲れたとも言えるうちが花よね。そのあいだも否応なくときは進むけれど。いまも。進む。進む。進んだ先にはなにもない。かなしい。でも、空はうつくしいから不幸ではないよ。独りで眠られぬ夜の時間も、静寂がうつくしいから不幸ではない。いつまでも袋のままのわたしだけがここにいる。電子レンジはしない。さようなら。ひとりの病者が、なみだにくれながらあがく。ふるえる手で、慎重に握りしめていた一枚の紙切れを、力尽きたようにゆっくりと指から離し、路傍へ落とす。冷たい空気が鼻の奥に刺さる、真冬の白昼だった。まだ手のぬくもりが残る紙片から、ことばが飛び立つ。

「袋のまま電子レンジできます!」。






にゃん