見出し画像

コンカフェヲタとかいうやつwww(前編)

一、はじめに


 私が初めてメイドカフェに行ってから彼此20年ほど経つ。長年のブランクはあったものの現在も好きでマイペースに通っている。
 さて、「コンカフェオタク」という言葉がある。20年前には無かったが最近は人口に膾炙した言葉となっているようである。メイドカフェに通う身としては「コンカフェオタク」とはどういう人間を指すのであろうか、という疑問が当然に湧く。
 そこで、本記事では「コンカフェ」と「オタク」を区別し、まず「コンカフェ」とは如何なる店舗かを分類し、次いで「オタク」の社会性(他者との関係)及び志向性(自己との関係)を分析する。その上で、「コンカフェオタク」の本質に迫りつつ、「コンカフェオタク」なる者が果たして実在するのかを検討する(1)。
 それでは以下、詳述する。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(1)
 私が男性であることも踏まえ、本記事での「コンカフェ」は女性がキャストのカフェを想定し、近年よく耳にする「メンズコンカフェ」は含まない。「コンカフェオタク」も専ら男性を主体として想定している。もっとも、基本的な部分では女性の「コンカフェオタク」も本記事では妥当するものと考える。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

二、コンカフェとは

1、カフェとは

 まず、「カフェ」は食品衛生法施行令第35条の「飲食店営業」の許可を受けた営業形態であり、酒類の提供及び調理全般が可能で、この二つが不可能な「喫茶店営業」とはこの点で異なる(2)。
 メイドさんがいる店舗も「メイドカフェ」と「メイド喫茶」の二つに分類されるが、殆どの店舗でアルコールを提供している実態も踏まえ、ここでは区別する実益は乏しいと判断し、便宜上「メイド喫茶」も「メイドカフェ」として統一することとする。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(2)
 ただ、店名として「飲食店営業」の許可を受けても「喫茶」と名乗ってもよく、逆も然り、「喫茶店営業」しか受けていなくとも「カフェ」とは名乗れることに注意を要する。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2、コンカフェとメイドカフェ

 では、コンカフェとは何なのだろうか。メイドカフェとは何が違うのか。
 「コン」はコンセプトの略であるから何らかのコンセプトを持ったカフェであることが分かる。
とすると、メイドカフェも「メイドさん及びメイドさんがいそうなお屋敷」というコンセプトがあるからコンカフェに含まれることになりそうであるし、実際こうした見解も多い(3)。
 他方、一部ではあるがメイドカフェとコンカフェを区別する見解も認められる。
 一例として、前者は飲食重視で後者はキャストとのコミュニケーション重視であり、システムも給与体系も異なるため両者は異なるとする見解がある(4)。 
 また、メイドカフェもコンカフェの一部とする通説的見解とは逆にメイドカフェからコンカフェが誕生したとして、コンカフェをメイドカフェの一部とする見解もある(5)。
 このように、メイドカフェやコンカフェを巡る分類は錯綜しており、加えて、秋葉原、日本橋、名古屋及びその他地方でも呼称が異なる場合もあり更に複雑化している(6)。また、店舗形態も多様化しており、例えば「コンセプトの無いこと」がコンセプトのコンカフェすらある。
 このような状況の下ではコンカフェを普遍的なものとして語ることは困難を極めるが、メイドカフェもコンカフェの一つとするのが容易な理解であり、一般的でもあるだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(3)
全国コンカフェマップ「コンカフェって何?メイドカフェとの違いを解説!」
https://concafe.jpconcafe_maidcafe_diff/

concafenavi「コンカフェとは?初心者にもわかりやすく解説」
https://concafenavi.com/what-is-a-concafe/

wikipedia 「コスプレ系飲食店」
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/コスプレ系飲食店

など外多数。

(4)
HARAJUKU POP WEB 江崎ビス子たん「コンカフェとメイドカフェは現在もはや別物?その違いを解説!&原宿コンカフェでファッションスナップ割り引き開始!」
https://harajuku-pop.com/63897/

(5)
やん(外神田7丁目のキセキ) 「秋葉原のコンカフェの歴史を振り返る」https://note.com/skd7/n/n0908ff816a93 ) 
 この見解は、猫カフェ、古民家カフェ、ハンドメイドカフェ、絵本カフェ、探偵カフェ、予言カフェ等何らかのコンセプトを持った「コンセプトカフェ」と「コンカフェ」は似ているようで異なる概念であるとしつつ、「メイドカフェ」は「コスプレカフェ」から、「コンカフェ」は「メイドカフェ」から誕生したとして、上記の四概念を分類する。そして、「コンセプトカフェ」が「コスプレカフェ」を、「コスプレカフェ」が「メイドカフェ」を、「メイドカフェ」が「コンカフェ」を包括する上位概念と規定する。図に表すと以下のようになる。
コンセプトカフェ⇒コスプレカフェ⇒メイドカフェ⇒コンカフェ
 かかる見解は、極めて少数説ではあるが、コンカフェをメイドカフェの歴史的経緯から詳細に分類している点で説得力を持つ。

(6)
真夏の夜の萌え旅人ベール 「メイドカフェってなんだ?」kindle版 2017   p5
 秋葉原や日本橋ではコンカフェのことをメイドカフェと呼び、名古屋の大須・栄及びその他地方ではメイドカフェはメイドカフェと比較的言葉通り呼ぶ傾向にあると指摘する。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3、まとめ

 さて、私のような偏屈な人間はメイドカフェといえばまず池袋の「ワンダーパーラーカフェ」に代表されるようなメイドさんとのコミュニケーションが少なく、凝った内装とロングスカートというクラシカルなカフェを想定する。そこまででなくとも相当程度カジュアルでも問題ないが(7)、これらとは全く異なるほぼガールズバー化した「キラキラ☆シャンパンタワー」的なコンカフェと同列に扱うことに抵抗がある。
 不十分を承知で一応の整理をすれば、まず、猫カフェや古民家カフェ等の類はコンカフェに含まないとした上で、メイドカフェは飲食重視、コンカフェはコミュニケーション重視の相違で分けることが出来るだろう。物理的に見ても、対面でのコミュニケーション重視のコンカフェではカウンターや個室が設けられているのに対し、メイドカフェではテーブルが設けられているという差異がある。ややこしいが、メイドさんがいてもカウンターでコミュニケーションを取るタイプの店舗ではメイドカフェではなく、コンカフェということになる(8)。
 いずれの立場を採るにせよ、「コンカフェオタク」なる概念が成立するか否かはオタクなる者の解釈次第で相対的に決せられる。即ち、「コンカフェ」と「オタク」を接続させる以上、前提として店舗に「オタク的要素」が認められることを要する。そのため、「オタクとは何者か」という視座が重要になる。
 最大の関心はーーーーー複雑にして怪奇であり、極めて厄介な存在ーーーーーそう、「オタク」である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(7)
 秋葉原の「HoneyHoney」等飲んべえのおじさんが好みそうなお酒のアテが豊富でクラシカルの対極にあるような店舗もあるが、これらも充分にメイドカフェである。

(8)
やん(外神田7丁目のキセキ)・前掲
コンカフェの特徴として
・対面でのコミュニケーションを重視
・キャストドリンクという実質的な指名制度
・補足でアルコール
を挙げる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

三、定義の困難性

1、問題点

 ここまでは、完全とは言えないが複雑な現代のコンカフェの特徴を捉えてきた。ここからはいよいよオタクと呼ばれる人間の正体について掘り下げていきたいところではあるが、実は容易ではない。
 オタクの普遍的な理解は90年代に論壇で盛んに争われ、未だ解決を見ない難題である。
 東浩紀も経験上、「オタクとは何者か」という問いについて一元的に結論を出すことは不可能である旨指摘する(9)。
 この原因は、オタクについての普遍的な共通理解を定立させることの困難性にある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(9)
東浩紀 「動物化するポストモダン オタクから見た日本社会」講談社現代新書 2012 p9〜
 東は「各人のアイデンティティを賭けた感情的な遣り取りしか出てこない」と言及している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2、構造的原因

 まず、一定の問題提起を行い、これを論ずる前提として対象となっている語句があるとする。その語句の共通理解の方法として「定義」づけを行うというのが論としての基本的態度であるが、その際、定義そのものの構造上の問題が生じる。
 例えば、諸説あるものの「死」の定義は「自発的呼吸停止、心拍停止、瞳孔拡大・対光反射喪失(三兆候)のほか、脳波平坦、脈拍喪失、体温低下、血液循環停止 等々」であるとされる。これは定義であるものの、死の実体を捉えたものではなく、「死」の判定方法に過ぎない。定義にはその性質上、多分に測定的要素が伴うのであり、「測定的定義」と「実体的定義」の区別が認められるのである。
 「死」の実体的定義は我が国では古来から「黄泉の国から帰ってこないこと」即ち、「蘇らないこと」とされてきた。これが非科学的で不満だと言うなら現代的に「不可逆性昏睡」としてもよい。
 このように、測定的定義は実体の全てではない。極めて稀であるが、三兆候が認められても蘇生するケースがある(10)。
 繰り返すが、定義とは共通認識のためある特定の抽象概念についてのより具体的な説明であるから、その説明で「全部」を捉えねばならない。つまり、特定の抽象概念とその定義が意味内容としてイコールでなければならない。測定はその「一部」に過ぎない。
 このような性質から、測定的定義だけでは本来含まれない対象もこれに含まれてしまうという齟齬が生じる。他方、これを回避するため条件を増やし、「特徴Aかつ特徴Bかつ特徴Cかつ……」と絞り込むと、一つでも該当しない場合、本来含めるべき対象が除外されてしまうというジレンマが生じる。
 オタクに関して言えば、まんがやアニメ、ゲーム、アイドル等特定分野に没頭する人、それらの知識が豊富な人、それらにのめり込むあまり社会性に乏しい人等は実体的定義ではない。これらはオタクの特徴、つまり測定的定義である。
 例えば、90年代にエヴァンゲリオンが流行した時のようにあれこれ批評するのがオタクであるとする。しかし、これも測定的定義である。当時、普段アニメを視聴しない学者外、批評家等もエヴァの批評を頻繁に行っていたが、彼らはオタクとは言えないであろう。
 オタクは人の死のように長い歴史の中で科学や伝統として普遍的かつ統一的な認識が確立していない。そのため、ある特定の立論の前提として社会学、経済学、心理学、世代論などあらゆる立場からそれぞれ異なる定義が可能である。それでも敢えてすべて包括し普遍化する形で定義づけようとするなら極めて抽象度が高くなり、共通認識の形成という定義としての機能は果たせなくなるだろう。
 ここに、オタクの普遍的な共通理解の困難性が認められるのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(10)
加藤尚武「脳死・クローン遺伝子治療 バイオエシックスの練習問題」PHP新書 1999
p51〜
 「死」に纏わる「実体的定義」や「測定的定義」等の議論は以上を参照した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3、まとめと対応

 この困難性を理解した上で、それでもコンカフェオタクなる者はこの社会においてどのような人間であるのか、アプローチを試みるのが本記事の基本的立場である。
 そのためには、オタクの特徴を精査した上で、それらを集積することにより傾向を把握し、実態に迫ってゆくという方法の外なかろう。
 コンカフェオタクという比較的新しい概念についてはまだ十分に解明されておらず、検討する余地がある。

四、「オタク」と「おたく」

1、二つの記載

 前置きが長くなったが、以上を前提に、まず辞書を繙いてみよう。

おたく
特定の分野・物事には異常なほど熱中するが、他への関心が薄く世間との付合いに疎い人。また広く、特定の趣味に過度にのめりこんでいる人。「アニメ―」

広辞苑 第七版 岩波書店 2018

 見ての通り、「また広く」という文言を挟んで前段と後段部分に分かれている。両者の違いは「世間との付合い」の有無であろう。後段には「世間」、即ち、自己の外部として措定される人間関係ーーー社会性ーーーについては触れられていない。

2、前段

 では、何故このような二つの記載がされているのか?二つの記載をしなくてはならなかった根拠は何であろうか?
 ここで、2004年に出版された大塚英志の著書、「『おたく』の精神史 一九八〇年代論」での著者コメントが大いに参考になる。以下、引用する。

「おたく」なる語が「オタク」と片仮名に書き換えられるあたりから文部科学省や経済産業省や、ナントカ財産の類がちょっとでもうっかりするとすり寄ってくる時代になった。ぼくのところでさえメディアなんとか芸術祭という国がまんがやアニメを勝手に「芸術」に仕立て上げようとするばかげた賞がもう何年も前から「ノミネートし ていいか」と打診の書類を送ってくるし(ゴミ箱行き)、そりゃ村上隆や宮崎アニメは今や国家の誇りってことなんだろうが、しかし「オタク」が「おたく」であった時代をチャラにすることに加担はしたくない。国家や産業界公認の「オタク」と、その一方で見せしめ的な有罪判決が出ちまった「おたく」なエロまんがはやっぱり同じなんだよ、と、その初まりの時にいたぼくは断言できる。国家に公認され現代美術に持ち上げられ「おたく」が「オタク」と書き換えられて、それで何かが乗り越えられたとはさっぱりぼくは思わない。だから「オタク」が「おたく」であった時代を「オタク」にも「おたく」にも双方にきっちりと不快であるべく本書を書いた。
(以下、省略)

 このコメントからは、「おたく」と「オタク」が区別されている。その起源は80年代に生息していた「おたく」であるが、90年代に入ると徐々に「オタク」へと変化していったことが分かる(11)。
 大塚は、ロリコン漫画の編集に携わった自らの体験を基に80年代おたくの精神性を分析している。同書では明確な定義づけは行ってはいないが、ーーーあくまで個人的な解釈と断った上でーーー私見を述べれば、大塚は「おたく」を「自己の関心のある分野以外での主体性を自ら積極的に放棄することによる社会的未成熟」と捉えているように解される。広辞苑との関係では前段に対応するだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(11)
宮台真司「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」幻冬社文庫 kindle版 2014    位置No.1345

 宮台は96年頃から所謂オタク(おたく)系の差別の解消が進み、救済されていったと指摘する。
 宮台によれば、かつて呼ばれた「新人類」は性愛ブームの下、現実を虚構化(演出化)する「ナンパ系」とこれに馴染めない虚構を現実化(異世界化)する「オタク系」に分化した。「オタク系」は差別され、コミュニケーション強者の「ナンパ系」が優位であったが、性愛ブームの凋落により96年頃から「オタク系」の救済が始まったとする。
 そして、この頃を境に現実は虚構よりも重いという感覚が麻痺し、現実の虚構化と虚構の現実化の区別が曖昧になったことで、「ナンパ系」も「オタク系」も関係なく「総オタク化」したと指摘する。
 一つの解釈としてこの頃から「おたく」から「オタク」へ移行したと考えてもよいだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3、後段

 では、広辞苑後段については何故上記のような広範な記載になったのであろうか。
 この問いに応答するには、辞書の本来的な性質、即ち、世相を反映して意味が生成されるという事実を把握しなければならない。辞書に記載される語句は世相の変遷によってその意味も移り変わる。つまり、辞書への記載は世相に対して常に後行することになる。ここで、10年前の第六版の広辞苑を見てみよう。

おたく
特定の分野・物事にしか関心がなく、その事には異常なほどくわしいが、社会的な常識には欠ける人。

広辞苑 第六版 岩波書店 2008

 10年前は「社会的な常識に欠ける人」とネガティブな語句であったが、10年後の第七版では肯定的な表現となっている。このような変化からして社会の認識がオタクを決めるということが分かるだろう。
 オタクはかつての被差別対象ではなくなり、特に、昨今のアニメブームともあいまって言葉のみが一人歩きしている印象が強い。健康オタク、ダイエットオタク、歴史オタクなど、猫も杓子もオタクと名乗られるようになった気さえする。後段はそのような世相を反映して記述されたと言えよう。

4、まとめ

 以上を摘要し、図示すると以下のような対応関係になるだろう。

おたくー本来的ー80年代〜90年代ー広辞苑前段
オタクー過渡的ー90年代〜現在ー広辞苑後段

 広辞苑後段の理解では、語義の範囲が広過ぎるあまり、趣味人、専門家、愛好家、好事家、ファン等の言葉と大差ないように読め、果たして記載する意義はあるのかという疑問が生じる。
 コンカフェについても「コンカフェに足繁く通っている人」であれば誰でも「コンカフェオタク」となってしまう。
 それが世相であり、社会共通の認識である以上、一向に構わないと言ってしまえばそれまでであるが、それでは相対的に意義が乏しくなり、希少性という観点からも望ましくないだろう。「おたく」は「おたく魂」とでも呼べるような、たとえ「キモい」と罵られようが「我が道を行く、潔く粋な心性を持つ者」と肯定的に評価したい身としてはこのように「乱発」されるのはやや不満が残る(12)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(12)
岡田斗司夫・宮台真司 「僕らがバトンを受け取る日」宮台真司『宮台真司ダイアローグI』イプシロン出版企画 2007    p291〜332

 岡田も差別されてきたことへの怒りが「おたく」の創作への意欲となってきたが、ネガティブなイメージから救済されたことによりそのような意欲は喪失したと指摘し、「オタク」には否定的である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

※後半へ続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?