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おっさんが10年ドールにハァハァし続けた結果www

1.はじめに

 2014年の5月21日に初めてドール(ドルフィードリーム、略してDD)の身体パーツや衣装等一式が揃い、その日からドールオーナーとなった。2024年が明け、いよいよオーナー歴10年目に突入した。ドールはこの10年で40cm以上のものだけで7体増えた。
 ここで、わたしのドール歴を一度総括してみたい。

2.写真

 お迎えする前からドールオーナーの写真を見ては自分も早くドールオーナーになりたいと興奮していた。オーナーの中には写真が上手い人(「写真が上手い」という表現は日本語として不正確な気がしないでもないが、分かりやすいので以下、この表現を採る)が沢山いて、当初は感動しきりであったが、オーナー歴10年目ともなると正直見飽きてしまっている。どれだけ写真が上手い人でも矢張り写真に偏りが生じる。無論、それが個性であるから、写真が似てくるのは無理からぬことである。だとしてもドール写真が同じように見えてしまうのは私の芸術的感性の乏しさによるところが大きい。
 上手い人ですらそのように見える有様であるから、10年近くドールを撮り続けながら上手くなる努力もせず、ほぼ何も進歩のない私の写真などは誰の感動も齎さない。要は、カメラにそこまでの関心を持てなかったということだろう。

3.承認欲求

 初めてのドールをお迎えした当初、これまで全く興味のなかった、むしろやや嫌いであったカメラに興味を示すようになった。ドールを可愛く撮りたいのはドールオーナーなら大抵考えることだろう。御多分に洩れず、わたしも父から安物の一眼レフカメラを無償で譲り受け、ドールを撮り始めた。定年退職後の趣味として購入したようだが大して響かなかったようでこれ幸い。
 折角撮ったドールの画像データをなるだけ多くの人に見てもらいたいと考えるのはオーナーの性だろう。お迎えしてすぐにTwitter(現X)も始めた。SNS特有の承認欲求に目覚めたのもその頃であるが、当初から「RT」はおろか「いいね」もつかず気を揉んだ。確かにオタク受けするドールでもなく、写真も下手だから当然である。
 しかし、あの承認欲求はどこへやら、数年経つと大して気にならなくなってしまった。
 これは適度な諦念と前述のとおりカメラに関心が薄れてきたことによるだろう。やはり好きなことでないと承認欲求は満たされないのだ。他方、昔から文章を書くことが好きで、現在はこうしてドールに関する記事を執筆している。そして、それを読んでくれる人がいることが一番嬉しい。
 ここで、唐突だが思い切り自慢及び宣伝させてもらおう。人生で初めて「お迎えセレモニー」を体験し、あまりに興味深かったので素人ではあるが文化人類学の見地からこのセレモニーについて批評めいたことを書いた。
 「お迎えセレモニー」はSD(スーパードルフィー)をフルチョイスした者だけが受けられるVOLKS社特有の儀礼であり、サービスである。note掲載のためにVOLKS社の許可を取得しようとメールをしたところ、数日後に返信を頂いた。いきなり奇怪なメールを送りつけられて無視されても止むなしと思っていたが「素晴らしい内容であったため、弊社代表の重田や天使の里スタッフにも共有させていただきました。」とのこと。恐悦至極、これ以上の幸福はない。
 確かに、映像や画像は文章表現に比して訴求力が圧倒的に勝る。しかし、文章でしか表現できないドールの魅力があるはずと信じる。私の記事は殆ど読まれることはないが、今後も執筆を続けたい。

観覧車デート

4.ドールオーナーをやめるとき

 最近、Xで「いいね」が貰えなくて熱が冷め、ドールオーナーを辞めるというポストが流れてきた。
 他人様の趣味にわたし個人がとやかく言うことではないのは勿論であるが、SNSが原因でドール趣味まで辞めるというのは勿体無い気がする。
 Xにおいて、1000RTを超える作品が量産されるイラストやコスプレ等とは異なり、ドール界隈ではせいぜい30RTもいけば良い方である。100RTなどレアケースであろう。だいたいバズったところで、1週間もすれば皆忘れる。反応が薄いからと言っていちいち気に病むことではあるまい。
 それよりも、承認欲求に負けない「おたく」メンタルが必要と考える。「誰も知らない、俺だけがこんな崇高な趣味を持っているぜ、ククク……」と悦に入るのが真の「おたく」の姿である。ドール趣味などその典型ではないか。ドール趣味はドールをニチャァと見つめ、その愛くるしさに恍惚となるのが本来のあり方だからだ。写真をXに掲載することなどオマケに過ぎない。
 むしろ、誰からも「いいね」されない方が良いのだ。もとよりSNSは馴染まない趣味なのである。

5.人間関係

 「いいね」が貰えないことよりも重大な問題がある。それはSNS特有の人間関係の難しさである。あらゆる界隈で人々が罵り合う姿をXをやっている方ならばお分かりいただけるであろう。人間関係に傷つき、疲れ、Xから去っていったドールオーナーを何人も見てきた。
 わたし個人としてもこの10年で出会いがあり、別れもあった。最初に知り合ったオーナー達とは完全に関係が切れてしまった。ここでは到底書けないような内容の誹謗中傷を受けたこともある。
 もとより生来の「一人好き」で群れるのがあまり好きではない。家で読書や執筆に励むこともあれば、一人でふらりと旅に出たりもする。このような面倒な性質故に付き合いが悪いと感じる人も多かろうと思う。
 それでも、ありがたいことに長年交流のあるオーナーがいてくれる。決して多くはないが良縁に恵まれたと思う。

6.さいごに

 ここ最近では、仕事が原因で鬱を患ってしまった。彼此3年近くなる。何をするにも億劫ですぐに疲れ果ててしまう。かつて興味のあったことが薄れてゆく。おかげでここ数年ドールを出す機会がめっきり減ってしまった。
 けれども、ドールそのものに対しては些かも興味は衰えない。ドールを見つめる。そうすると、ドールもこちらを見つめていると思えるときがある。見つめ合うことで互いの存在を規定する。
 ドールを失わない限りドール趣味をやめたことにならない。ドールは「今、ここ」に存在すれば良いのだ。
 時間が空いてもいつでも始められる。ドールは半永続性を持った高尚な大人の趣味なのである。

以上

いつかまたお出かけしたい

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