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ヴァルネラビリティ(Vulnerability)

 ヘレンたちとの別れから立ち直るには、何年もかかった。いや、実際には、決して完全に立ち直ることはなかった。心が引き裂かれたように感じただけでなく、体調のバランスも崩した。体にはできものができ、目がかすむようになり、眼鏡をかけなければならなくなった。
 その年の冬は彼女たちのいるバークレーを避け、サクラメントで過ごした。私は人生で初めての寂しさを知った。喪失感と絶望感にさいなまれた人間は、自分がどこから来たのか、そしてどこへ向かっているのか、わからなくなるものである。歴史を失うのだ。

E・ホッファー 「エリック・ホッファー自伝 構想された真実」 
株式会社作品社 2002.6.5 p112


気圧の影響なのかあるいは他の原因なのか知る由もないが、メンタル不調による連日の動悸である。

鬱を患っていることは前に述べた。生まれて初めてのことであり、戸惑うことが多い。鬱は身体を動かさなくなるので一般的に体力が落ちるとされており、その通りだとは思うが、それ以上に精神的な「防御力」が落ちていると感じる。
スーツを着て相応に労働に励んでいた時は、喩えれば精神の鎧や盾を装備して戦っていたように思われる。対して、疾病後の現在、装備は布の服のみということになるであろうか。
大きな騒音、多数の人が密集している場所、職場を連想させるエレベーター、スーツ姿のサラリーマン等これらに対して未だに恐怖を覚える始末である。

まさに、「脆弱性」(Vulnerability)と呼ぶに相応しい。

そんな状況で私は推しを失うという経験をした。いつ何時行っても、もう居ないということがまだ信じられずにいる。当たり前の光景だった筈なのに。

思い出してしまう、ふとした瞬間。仕様もないボケに突っ込んでくれたこと、世代の違うおじさんを何度も笑わせてくれたこと、何気ない会話……。
今でも鮮明に覚えている。回顧すると頭が混乱し、呼吸は乱れ、締め付けられるような胸部の痛みと動悸が襲う。

気を紛らわせようとやめていた煙草に火をつけたが、一層陰鬱となるばかりである。

もう少し笑わせたかった、もう少し痩せ我慢をさせてほしかった。もう少しカッコをつけさせて欲しかった。「粋」を貫かせて欲しかった。

襤褸のように篦棒に弱り切った状態であるが、そのためか自分ではない誰かの苦しみを引き寄せ、シンクロしていることに気づく。どうせなら、そんな迂遠なことをしないで推しの苦しみを全部引き受けられたらよいのにとすら思う。

少しでも気分を変えようと髪を切った。しかし、想いは切れない。

とても美しい人だった。
気が向いたらで良いから、明日も生きて欲しいと願う。



夏も過ぎ去り、やがて秋が到来し、そして、枯葉が散る。
脆弱なわたしは、いつか受け止められる日が来るだろうか。

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