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眠られぬ夜のために

不眠を避けるのに大切なことは、まず第一に、興奮や不安のたねになるような考えごとを抱いてではなく、むしろなるべく静かな、よい思想と心の平安をもって、夜の休息に入ることである。

カール・ヒルティ『眠られぬ夜のために』(第1部)14頁(岩波書店 / 岩波文庫、1973年)


眠れぬ。
ベッドの上で輾転反側すること彼此2時間。

台風による暴風雨の轟音のせいか?
自分でもよく分からぬが、眠れぬならば何も持たぬ中年独身異常弱者男性の自分語りをしよう。どうせ誰も読んでいないであろうから。

さて、2年ほど前に診療内科にて鬱病と診断され、労働が多忙であったことからこれを1年放置した挙句、遂にベッドから起き上がれず、そのまま休職と相成った。

そこから更に1年を経過したところで、勤務先会社の就業規則とやらで退職扱いとのことである。

もともと何かと気に食わない点が多々ある職場であったので上記診断前から辞表を提出するつもりであった。むしろこれ幸いということにしておく。

42歳で無職となり、晴れて「無敵の人」デビューをしたわけだが、確かに失うものは多くはない。せいぜい飼猫と趣味のドールくらいか。しかし、人が怖く、社会が怖く、労働も怖い。無敵どころか弱々である。

なんにせよ、国家からの僅かな恩恵(私傷病手当)と僅かな貯蓄で書籍代、安酒代、行きつけのメイド喫茶代を捻出せねばならぬ。

国民の血税で賄われる恩恵でメイドなど何事かと思われることは予想されるが、というか、既に「仕事もしてねーくせに云々」とSNS上で謗られもしたが、生来の怠惰極まりない「クズ」であることに加え、担当ドクターにもなるべく外出するよう申し渡されている。

何より、メイドさんにしろお人形さんにしろ猫ちゃんにしろカワイイものに囲まれて過ごすことについては精神衛生にたいへん優れていることが医学的にも証明されているに相違ない(多分)。言わばセラピーのようなものではないか。

これらがなければ病状は悪化の一途を辿ることは容易に想像がつく。日がな一日引きこもっていても余計に気が滅入るだけであろう、読者諸賢ならばこのあたりの情勢はご理解いただける筈である。

もし、読者のうちそれでも得心がゆかぬという方がおられたら、私ではなく会社に非があるので勤務先会社の連絡先をお教えする故、クレームはそちらに入れていただきたい。

そんなことでベッドの上で次から次へと浮かんでは消える何ら生産性の無い無益な思考に苛まれている。

例えば、早世が惜しまれる破滅の無頼派作家、西村賢太氏のような文才の一万分の一でもあれば日銭くらいは稼げるのではと夢想するが、すぐにそれが皮算用であることを自覚してしまい、そのような妄想が馬鹿々々しくなってくる。

だいたい、学生の頃から今でいうところの「陰キャ」で、小心翼々とこれまで生きてきた身には西村氏のような逞しい生き方は到底真似できぬ。

生来の気弱な性格で思い出すのは学生時代の無神経な担当教員による「ハイ、◯人一組になって〜!」という無理難題である。この狡猾なやり口に対し、いつも最後まで相手が出来ず、結果あぶれてしまい、大変閉口した。人間誰しも得手不得手があろうに、あたかもそれが人として欠陥があるかのように担当教員は叱責などする。この仕打ちにはある種のトラウマを植え付けられ、積年に渡りフラッシュバックなどして苦しめられている者も多かろう。コミュニケーションに苦心するが故に、これが上手くできぬ者には将来にわたって十字架を背負わせるのである。

ベッドの上でそんなことを考えては暗澹たる気持ちになる。

心の平穏と熟睡のために別のことを考えよう。

そうだ、メイドカフェに行きたい。メイドカフェへ行こう。メイドさんならたとえ仕事とはいえ、無力なおじさんの苦悩、後悔、自責の告白にも耳を傾けてくれる。

お人形さんでも黙ってはいるが、一応は聞いてくれる。




猫ちゃんは聞いてくれない。


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