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音楽と人生はいつだってワンセット【#音楽の履歴書】

「音楽の履歴書 かぁ。楽しそう!だけど、わたし、書きはじめたら収拾がつかなくなるんじゃないか?」と思うほど、わたしにとって音楽は人生とセットだ。

だけど、最近全然note書いてないしね。再開のきっかけがつかめなかったしね。
書きやすいこのテーマを拝借して、久しぶり書こうかな?そんな気持ちに徐々になってきたので、書きます!

(ささいな笹さん、きっかけをありがとうございます…!)

※父の仕事の都合で、日本各地を転々としてきました。なので、その区切りで辿ってます。

幼少期(川崎)

3歳からピアノを習っていました。指番号どおり弾くのが苦痛だったなぁ。
だけど、この経験があったから、そののち、ほかの楽器も抵抗なく移行することができたし、絶対音感も身についたし、今となっては続けて良かったんだと思う。

家に童謡のカセットテープ集があって、しょっちゅう自分でセットして聞いていた。今でも娘たちが童謡を歌っていると、ほぼほぼいっしょに口ずさめるのは、この時の記憶かな。

音楽との出会い(小6/熊本)

ジャニーズにもアイドルもハマれなかった小学校時代(このころのことは、#30DaySongChallenge の記事にも書きました)。

そんな私を音楽の世界へ引きずり込んだのがプリンセスプリンセスとの出会い。小学校6年生のとき。

友達がくれたカセットテープに入っていたプリプリの「19growing up」を聴いて、初めて心の底から「好き!」と思える音楽に出会った。

女性歌手=アイドルしかいないのかと失望していた私にとって、女性だけどバンドで、「かっこいい」の形容詞が当てはまる存在がいたことがとてもうれしかった。

初めて行ったライブはもちろんプリプリ。カセットテープをくれた友人の高校生のお兄ちゃんが保護者となり、私と友達を連れて行ってくれた。ライブ翌日まで続いた耳鳴りが誇らしかった。


洋楽との出会い(中1〜中2/熊本)

中学に入り、「私は本当は日本人じゃない、私の血はアメリカ人。」と豪語する奇妙な子に部活(テニス部)で出会う。部活で二人だけ左利きということで意気投合。音楽好きの彼女の布教の影響で、洋楽も聴くようになる。

まずはNew Kids On The Block。アメリカの大人気5人組ボーイズグループ。日本のアイドルには興味がなかったくせに、彼らには夢中になった。

歌詞カードを見ながら、英語の歌詞をノートに書き写し、英語の勉強代わりにしたり、ミュージックビデオを観てから学校へ行ったり。私の「推し事」の原点はここなんじゃないかしら。

それ以外にも彼女の影響をモロに受けて、Bon Jovi、Guns N' Roses、SKID ROW、Nelson、Warrantなど、見た目ロン毛、タトゥーのハードロックバンドもよく聴くようになる。二人でMTVでミュージックビデオを観まくってた。

ラジオにハガキを投稿していたのもこのころ。彼女と二人で、熊本のAM局の音楽番組に毎週ハガキを送っていた。おそらく届くハガキが少なかったんだろう、高確率でハガキを読んでもらっていた。
(その仲の良かった彼女はその後、いろんな国を転々とし、今は帰化してアイルランド人。)


熊本にいた中学時代、もうひとつ、その後の人生に絶大な影響を与える出会いがあった。
私の洋楽好きを知っていたクラスメイトが「まこちゃん、ビートルズ聴いたことある?」って声をかけてきた。もちろんビートルズの名前は知っていたけど、じっくり聴いたことはなかった。そしたら彼女は、「近所のお兄ちゃんがダビングしてくれたからあげる」と毎日1本ずつビートルズのアルバムが入ったカセットテープをくれるようになる。(これがきっかけでビートルズ(特にジョンレノン)が好きになり、大学3年の時の語学研修先は迷わずイギリスをチョイス。彼らの故郷リヴァプールにも行ってきた。)


バンド活動時代(中3〜大3/沼津)

中3になる前に父の転勤で熊本から静岡、沼津へ。めちゃめちゃ自由だった熊本の中学校から、「男子は全員坊主頭」のひと昔の前の時代の沼津の中学校に絶望する。
それでも希望はあって、その後親友となるクラスメイトとの出会いがあった。高校受験を終えたあと、私はギター、親友はボーカルでバンドを結成。ここで女の子バンドに憧れ続けた夢をようやく実現。

最初はプリプリのコピーから。その後オリジナル曲を作るようになる。同時並行でコピーしていたのは少年ナイフ、noodles、クランベリーズなど。

高校時代はほとんどの時間をバンドに注いだ。放課後、週1〜2回スタジオ練習。月イチくらいでライブ。
スタジオでとなり合わせたりして、MAD BUTCHER(のちのGOOFY’S HOLIDAY)というバンドと仲良くなる。激しい、重い、大音量の彼らのサウンドと人間性にハマり、週末はしょっちゅう親友とMAD BUTCHERのライブに出かけていた。

彼らは、静岡の小さなシーンにとどまらず、全国規模で活動し、静岡にさまざまなインディーズバンドを連れてきてくれた。Hi-Standard、BRAHMAN、Husking Bee、SHRBET、Kemuri、GREEN GIANT、SNAIL RAMPなどなどなど。90年代の勢いのあったインディーズシーンを目の当たりにすることができたのは、GOOFY’S HOLIDAYのおかげ。未熟な私たちに音楽や人生のいろんなことを教えてくれた。


それと時を同じくして、また衝撃が訪れる。
BLANKEY JET CITYとの出会い。

当時のGOOFY’S HOLIDAYのドラマーの人が「よく聴いている」というから聴かせてもらったら、今まで聴いたことのない類の音楽で、なにこれと。

ヒリヒリするような疾走感と衝動、なのにボーカルの声が少年みたいで唯一無二の存在に思えた(なんと形容したらいいんの?だれか教えて)。

ブランキーのことがもっと知りたくて読むようになったのが「ROCKIN’ON JAPAN」。
毎回ブランキーのインタビュー記事は同じ人が書いていて、他誌とは記事の深みが明らかに違った。そのインタビュアーの核心をついた記事に惚れていた。
そのインタビュアーというのは、現ROCKIN’ON JAPAN編集長の山崎洋一郎氏。


ライブとフェスとアラブ音楽(大4〜出産前/東京)

父の転勤で今度は東京へ。バンドは私の東京行きと就活とベースの子のアメリカ留学が重なり、区切りよく終了した。

あらゆるエンタテインメントが集まっている街、東京。私の音楽を求める行動力が加速する。

あるときROCKIN’ON JAPANの1色印刷のページに小さな記事を見つけた。山崎さんがDJをするクラブイベントを高円寺でやるという告知だった。
え?高円寺?自転車で行ける距離でしかもあの憧れの山崎さんに会えちゃうの?これほど東京に住んでいることに感謝する日はなかった。
そこから私と音楽とのかかわりは、月イチこのイベントに行くこととフェスが中心になる。

高円寺のこのイベントでたくさんのかっこいい曲やバンドを知ったことをきっかけに、単独ライブにも行くようになる。
Radiohead、Rage Against the Machine、Primal Scream、Weezer、Coldplay、BEN FOLDS FIVE、Super Furry Animals、Underworld、GOING STEADY、the HIATUSなど。
チケット代は生活必要経費。お金がかかってるという感覚はまったくなかった。

フジロックは2001年〜出産前の2011年まで毎年参戦。出演アーティストによってはサマソニ、ロックインジャパンにもちょいちょい参戦。
これで、だいたい私の音楽キチガイ具合はお分かりいただけたと思う。

結婚後は、友達のベリーダンスの発表会を観に行っことがきっかけにアラブ音楽に魅了されるようになる。


その土地だから生まれてくる独特のリズムやメロディが心地よく、まだ自分が知らない楽器や音楽があることがうれしくて、未知なるワールドミュージックを積極的に求めるようになる。
このころは予定調和じゃない即興演奏こそが音楽の真髄でしょう!くらいの心持ちだったな。

子どもが生まれてからは、音楽を聴きたい欲も不思議なくらい湧かず、ラジオから流れてくる曲を聴くくらい。
だけど、ベリーダンス仲間つながりで誘ってもらい、アラブパーカッションを習い始めた。楽団にまぜてもらってライブも何度か経験。結局は音楽に帰結するんだわ、私の人生。


再始動(現在/東京)

去年、菅田くんの「まちがいさがし」に衝撃を受けてからまた音楽を能動的に聴くようになる。

最近は、菅田将暉、King Gnu、藤井風、SIRUP、Sen Morimoto、Creepy Nuts、そして誰というわけではないけどLofi HIPHOPをよく聴いてる。

藤井風くんは先日武道館ライブに行って涙してきた。
そして今月はKing Gnu…!


なんかラインナップに節操ないな、私の音楽の履歴書。だけど音楽に節操は必要?必要ないよね。心の赴くままでいい。

人との出会いに音楽あり。音楽との出会いが私の行動の原動力。

このnote書くために、ザザッと自分の人生を振り返ってみたけど、私、いつも誰かしらにハマってる人生だ。
「好き」があって、ハマること。これって私の精神安定剤なのかもしれないわ。

記事になるような、おいしいコーヒーやめずらしい調味料を買います!