3月っぽいやつ

 出版業界の片隅で職人として生きていくという新たな目標のために、アルバイトを辞めた。在学中から、大学卒業後に資格取得を経て新たな職に就くまでのあいだ、生活のための費用はこのアルバイトで得る賃金に依拠していた。振り返るともう3年と2ヶ月もの長きにわたって同じ職場にいたことになる。
 ひとつの職を何十年もつづけているような人からみれば、3年ごときのなにが長いものかと思われるだろうが、私にとってはこれが同一職の最長勤務記録だった。そして個人事業主として生計を立てることを決めた私にとって、もしかしたらこれが生涯で最後の、職業集団への正式な所属だったのかもしれない。
 退職に際して寄せ書きの色紙なぞというものを贈られてしまった。小学校卒業時に流行っていた「サイン帳」なるもののやりとり以来、そんな経験が一度でもあっただろうか、いやない。色紙にメッセージを書いてくれた人の数をいま数えたら24人だった。途中で辞職を見送った人などもふくめると、仕事の上でかかわった人の数はゆうに30を超えるだろうと思われた。そう考えるとなんだかおそろしい。
 営業準備と営業とを同時進行でこなさなければならない私の仕事は、まあ入社してしばらくたってからわかったことだが私のようなマルチタスク無理型の自閉症者にはもっとも向かない作業だといっていい。思い返せば、日々の仕事をどうすれば不足なくこなすことができるのかさっぱりわからずいつも右往左往していた多くの日々が、遠いかなたの記憶としてよみがえる。向いていない仕事を3年もつづけるあいだに、いつしか私は、向いていないなりに状況に慣れ、独自のセオリーや手法を見いだし、ついには漠然と「自分の持ち場の範囲ではいつどんなことが起きても対応できる」という感じまで抱くようになっていた。この私が。予定外・想定外の事象にめっぽう弱く、家でだって「冷凍のごはんがまだあるかと思ったらもうなかった」とかその程度のことでフリーズして泣き崩れたりしていた私が。
 しかしともかく「どんなに切迫した状況でも絶対に自分の決めたラインを超えてクオリティを下げられない」という自閉症由来の強迫的な取り組み方のためか、スピードや効率に問題を抱えながらもひとつひとつの作業の完成度については一応の信頼を勝ちえていた私だが、それもしょせんはアルバイト程度の仕事だから、この道のプロとして通用するほどの技術を身につけたとはいいがたい。なんらかの実績をのこしたといえるようなことも、なにかを習得したということもない。その意味では3年間、ただそこにいただけだ。その場にいる忙しそうなひとびとを少し手助けしながら、そこにいただけだ。

 寄せ書きをもらって、集合写真を撮ってもらって、上司は退勤まぎわになって急に愛用の仕事道具の新品ストックを「よかったら家で使って」などと差し出してき、別の上司は「駅前で衝動買いした」だとか言い訳しながら餞別がわりの和菓子の袋を無造作に放り出してき、最後の日に会えなかったアルバイト仲間にいたっては私の内面的な本質(そんなものがあるとすればだが)を讃え幸福を祈る手紙をよこした。ちょっとやめてよそんな急にあんたら。今までそういう感じじゃなかっただろ全然。どうすればいいかよくわからないじゃないか。
 実績にしても技術にしてもとくに実ることのなかった私が3年間で築いたものは、もしかすると、関係だったのかもしれない。それは、だれかにとって身近な存在になること。目に見える場所で生きていることがあたりまえの存在になること。数日おきに顔を合わせて、なにかを話し、それをわかったり、わからなかったりしあうような存在になること。それが私にとって、かれらにとって、日常であるようになること。そのような事態を築いてきたのかもしれない。ただそこにいるだけだった私は、3年もただそこにいるうちに、知らないあいだにそれをやっていたのかもしれない。それを思うとなんだかとほうもない気持ちになる。
 まるで意気投合したかのように話が弾んで笑いが止まらないことも数え切れぬほどあったかと思えば、なんの気なしに言ったひとことで相手の気分を害して関係が悪化したことも幾度となくあった。それは私が自閉症者で一般的に言われているようにズレた感覚のコミュニケーション手法をもちいるからなのかそれとも誰にでもよくあるちょっとした行き違いなのかはわからない。とにかくそのようなことをくりかえすうちに、私は職場でかかわった人たちのひとりひとりについて、話すときの互いの声のトーンやことばの速さ、相手との物理的な距離感、目線の高さ、表情や顔色の変わり方、しぐさの傾向など、それぞれに固有の情報を強烈に記憶してしまっていた。なんてことのない無数のエピソードと、ひとりひとりについての膨大な情報とが、幾百も幾千も折り重なって、時間の経過とともに硬化した地層のようなものが、ずっしりと肩にのしかかっているようだ。地層の重さは私の身体の重さとして加わり、私はもうこの重さと別れることができない、二度と。
 だから数日前まであたりまえにやっていたように、なにかを見聞きしたときや感じたときに、もしこれを見たらあの子はこんなおかしな反応をしそうだなとか、ここにあのひとがいればこんな顔をして嫌がるだろうなとか、そういうことを無意識のレベルで想像してこれからも暮らしていってしまいそうな気がする。この強すぎる記憶が刻みつけられた新しい重たい身体として、これから先の何十年もの時間を生きていくことになるのだ。なんという仕打ちだろう。私に、なんと決定的で不可逆なことをしてくれたのだ、思い出というものは。

 自分がもうあの場所へ足を踏み入れないことや、作業用の衣服にきがえたり、手をべとつかせたり、強い火の前に立ったり、すすやほこりをはらったり、慎重な手つきで切り込みを入れたり、幾種類もの異なる匂いの渦の中を突っ切って歩いたりしないことを、理解したつもりだけどまだそのことを考えるとぼんやりする。私は悲しいのだろうか? その気になれば誰にでも、いつでも会えることがわかっていて、その方法もわかっていて、それでもなお今までとちがうこととはいったいなんなのだろう。取り返しのつかないことをしてしまったような、取りもどせないものをなくしてしまったような、取りのこされたようなざらざらした気持ちだ。しかし、この気持ちも時間が鞣して手触りを変え、軽くなめらかなつやつやした対象として、手に取ることができるようになるのだろうか。いつの日か。