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失ったものねだり

職場近くにあるよく行くカフェに、気になる女の子の店員がいる。その子がいると、なんか嬉しくて盗み見してしまう感じ。気になりだして半年間くらい経つ気がする。大学生くらいのカフェ定員なんてごまんといるのに、何故あの子が気になるか最近気づいた。

あの子は昔の私に似ている。

上半身に肉がつくタイプで顔も丸いが足は細く、顔から連想する体型と相違がある。一つに束ねた黒い髪の襟足には、少し離れてもわかるような濃い産毛が生えている。笑顔は子どもみたいなのに、言葉には少し緊張感があって、くだけきれてない接客をする。これは勝手な想像なのだが、少し自信なさげで、自分に満足していない感じと、大人の社会(バイト)にまだまだ慣れてない感じ。

私があの子くらいの時は、コンプレックスだらけだった。今思うと普通なのだが、特に当時はアムロちゃん全盛期で、痩せている事が美しさの大前提だと思っていた。上半身デブが際立つタートルネックやぴったりとしたニット、膨張色もご法度で、街で見かけるデコルテをおもいきり出したニットやシャツを着こなす大人の女に嫉妬するほど憧れた。顔もぱんぱんで、うなじの産毛が濃く、一つに結ぶことは、下着を見られるのと同じくらい恥ずかしい事だったり、よくわからない美へのこだわりが若いころの私にはあった。あの子がそんなコンプレックスがあるかどうかまではわからないが、昔の自分と重ねてしまっている。

今は歳を重ね、胸の位置が下がりデコルテを大きくあいた服を着てもおかしくなくなった。顔の肉も減り輪郭もはっきりしている。うなじは全身永久脱毛をした時に処理をして、一本たりともなくなった。あの時抱いていたコンプレックスは全てなくなった。外見に関してはたぶん、あの時の私が憧れた大人になったんだと思う。

でもどうしてだろう、今、あの子がとても美しく、輝いて見える。はじけてしまいそうな溌溂とした顔と身体。濃いうなじの産毛でさえも、可愛らしく思える。

失って初めてわかる、自然のままの若々しい美しさ。あの頃の私に会えるのなら、そのままでも可愛いよと伝えてあげたい。

でも、あの当時の私なら聞く耳持たず、顔痩せエクササイズや無謀なダイエットに励んでいたんだと思う。人生って失ってはじめて気づくことだらけ。そして変わらないのは、達成しても新たなコンプレックスが生まれて、それに囚われるという事。

5、60代の私は今の私になんと声をかけるのかな。。ふと、今持っているものの価値にも、気づいてあげないと、更に歳を重ねた未来の私に怒られるかなと思った。





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