見出し画像

さて、どっちにしようか?

悩むこと、多くないですか?

例えば、昼休みに食事に出た時とか、少し大きめな文具屋に行ってなんてことない赤ペンを買うときとか、ちょっとばかり気の利いた店に飲みに行ったときに頼むものとか。

僕、定食屋に行って日替わりが2種類あろうもんならいつまで経っても決められないし、ただの赤ペンを買いに行っただけなのに同じ価格帯で違うデザインで何種類もあると決められないし、何人か飲みにで行ったら、まぁ、最初の一杯は仕方なくビールかな。。。。とか、そういうの。

ただ、今回は、よく他所でみかける「選択を迫られたときは、楽しそうな方」とか「最初にピンときた方」とか、そういう話をしたいわけではなくて、もうちょっと、内なる話というか。

選択できない、あるいは選択のしようがないことってあるんじゃない?という疑問。

いつものことといえばそれまでだけど・・・

生まれも育ちもマージナルで、思考も言葉もポリリンガル、名前はひらがなだけど顔はカタカナな感じの僕なわけですけど、何かというとその事実を思い知らされるわけで。

たとえば、閉店間際の文具店でお店の人に「ないんおくろっく、くろーず」って時計を指差しながら言われたり、急な発熱で駆け込んだ救急医療センターで問診票を書こうとすると妻の方に渡されたり、飲み屋で自分にだけフォークが出てきたり、英会話スクールが意地でもティッシュくれなかったり、駅員さんに出口を聞こうと思ったら、わざわざ人を交代して英語でお案内してくれようとしたり、ファーストフードで商品持ってきてくれたときに「クォーターの方ー!」っていわれてぎょっとしたり、スープとチャーシュの組み合わせが選べるラーメン屋で、出来上がったラーメンを「濃いめのハーフの方ー!」って持ってこられて、どういう顔をしていいのかわからなくなったり、まぁ、そういうの。

何をいまさら、なんだけどもさ

この手の事柄は物心ついた頃から「いつものこと」なので、相当に失礼な感じでない限りは目くじらを立てることは、まず、ない。
とはいえ、やっぱり膝から崩れ落ちそうになるときもあるわけで。

そんなようなことを、たまに出来ては気になる口内炎ぐらいの位置づけで日々を過ごしている次第ですが、最近だとバスケやテニスの関連とか、妙にタメ口でアホっぽい役回りを演じてるタレントとか、その辺りを扱ってる報道とか番組とかを見ちゃうと、口内炎を噛んじゃったみたいな気持ちになるのよね。

慣用的用法だとしてもなぁ。。。。

幼い頃は、自分も周囲も不躾で、投げかけられる質問が「あいのこ?」「ハーフ?」等々、文章ですら無いことが多かったのよね。思い返すと。
少し長じて、「どこか外国の血が?」とか「日本語うまいね」とか、多少オブラートに包んだ感じに。

言われた側からすると、結構そのオブラート、濡れて破れてるぜ?って言いたいこともしばしばではあったけども。
この辺の話はいくらでもあるし、別の観点から言いたいことは色々あるんだけど、まぁ、それはそれとして。

よくよく考えたらハーフって嫌な表現だよね、って思うのだけどもさ。
だからといってダブルとかって言っちゃうのも違うと思っていて。
特に当事者が言ってるのを聞くと、僕とは相容れないと思ってしまう。
言われつくされたことかもしれないけど、何をもって1として倍あるいは半分なのかと。

出自は選べんやろ・・・

法的な議論とは別のところで。
本人が本人であることのアイデンティティって、本人が決めることだと思うのよ。そういう意味では、半分も全部も倍も無いはずなのでは?と。

そもそも、「どっち」って選べるものじゃないでしょって。
ましてや、周囲が決めることじゃないでしょって。




ま、しらんけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?