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さよなら夕刊UNI

今回で100回目を迎えた夕刊UNIである。
100回記念で全文公開致します。

約5か月で100個のお話をマガジンに収めることができたのは、ひとえにご支援いただいた皆さんの存在のおかげである。

昔から本を読むことは好きだったが、こんなにたくさんの文章を書いたのは初めての経験であった。ほぼ毎日書き続けるという作業が自分に出来たなんて信じられない気持ちである。

日記なんてつけても3日坊主どころか、1日坊主だったし、遠い昔、大好きな彼に編みかけた手袋だって片方しか仕上がらず、実家の鍋つかみになったというほど根気がなく、本来飽き性な自分がである。

先日押入れから発見されたのは、なんと120㎝サイズの編みかけのカウチンセーターであった。

ドカ弁が保育園のころ、何を思ったのか大量に高級なカウチン用の毛糸や棒針を買い込んだまではよかったが、途中で放り投げてしまったのであった。

我が子のためにやろうと決めたことさえこんな状態のずぼらな自分が、ここまで書き続けることができたのは、やはり自分の作品が誰かの目に止まり、売れたという実感があったからだと思う。

”お金を払ってまでこんな自分のひとり言のような文章を読んでくださる方がいらっしゃるのだ!”

仕事としての姿勢とでもいうのか、使命というのか、そんなものが自分のうちに湧き上がるのを感じた。夢のような5か月であった。

noteをはじめた頃は、投げ銭という制度みたいなものがあった。
シャレで買ってあげるよ!という空気みたいなものが流れていた。

しかし、マガジンという機能が導入されてからは、投げ銭の空気は無くなったように思う。相互フォローのような、相互購入のような、義理の買い物が消えたのである。

この人の作品だから欲しい、お金を出して買ってもいいという姿に変化していき、ステージが一つ進んだように感じた。

この時点でコンスタントに作品を産み続けることができるか、できないかという岐路に立った人は多くいるのではないだろうか。辞めて行かれた方もたくさんおられる。

そこを乗り越えて今もnoteで作品を作り続けている方や、さらには販売も成功させている方は、才能だけではなく、本当に苦しみ、努力を重ねてきた人ばかりであると感じている。

初期の頃からいらっしゃる方々の作品を見ていると、皆、試行錯誤を繰り返し、独自の感性がさらに研ぎ澄まされた作品に変化している様子がわかる。

どの方の作品も駄作なんて一つもありはしない。

買う、買わないはその時のタイミングもあるだろうし、一概に言えないが、現在、売り物として販売されている作品に関しては、買って損するものなど存在しないと自分は心の底から思っている。

本日をもってこの夕刊UNIは、100作目になり、マガジン掲載の上限に達しました。

「さよなら夕刊UNI」・・・。









そして明日からは新連載!
「帰ってきた夕刊UNI」でお楽しみいただきたいと考えております。

引き続きご贔屓いただければ嬉しく思います。

写真は4歳くらいのunimam。
となりの男の子はこうちゃん。右がunimamです。

アカレンジャーに夢中な女の子でした。


紅一点のモモレンジャーには全く興味を示さず、ただ強くて男前な正義の味方、アカレンジャーに憧れていました。

この感性のまま大人になったのがunimamです。

回りくどいことは苦手で直球勝負を好み、痛い目にも合ったし、人も傷つけてきました。

失敗した分、今の自分は昔の自分よりも、人の気持ちを推し量る術を学んだように思います。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

                                          unimam

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