Whateverを望むアメリカ人。
久方ぶりのnote。
「ただいま!」って言って、「おかえりー!」と返事しながら書いてみることにしよう。
去年の春から事務の仕事も始めつつ、書のお仕事も続けているのであるが、外に出てみると様々な人がいることを改めて肌で感じた一年だった。
「芸は身を助ける」などと祖母がよく言っていたが、私は「自分で創り出す作品でお金を稼ぐ」という暮らしが長くなるうちに、随分と世の中の人の感情に鈍感になっていたのだと思う
。
誰もが様々な事情を抱えていること。
当たり前だけど、人と接する日常の中に身を置かなければわからない細やかな襞のようなものを忘れかけていた自分に気がついた。
例えばだけど「細かいことにとても拘る人」がいるとする。
以前の自分なら「面倒くさい人」で切り捨てていた。
必要以上に細かいことに拘る人が苦手なのは今も変わらないが、そうしたタイプの人が、何故「そんなことまで⁉︎」とこちらがビックリするくらいピリピリしているのかということをじっくり観察してみると。
他人に細かく言う分、当然周りからの視線は厳しくなり、自分へのハードルは上がっていくわけであるが、他人に厳しい細かい人とて完璧ではない。
失敗しては上司にこっ酷く怒られたりする。
ならばそんなにやいやい他人に細かく言うことを止めればいいのにと思うが、どうしてもやめられないような様子を見ていると、あっと気づく瞬間がある。
「この人はたぶんこうした環境で育てられた人なんだな。」
いい悪いは別にして、育った環境で備わった感覚というのは千差万別で、急に変化したり、順応することは出来ないのだということ。
個人としての人格がおかしいだとかいうような、そうした次元で取り扱うこととはちょっと違うことなんだということを知る秘密部屋の鍵を見つけたような感じだ。
いやいや、なんの話をしたいのだっけ?
そうそう。
昨年末アメリカの方からの書のオーダーを頂いたのであるが、きっかり1か月かけてやり取りを繰り返し、ようやく納得いただいた経緯があった話。
「Whateverを漢字で表現してほしい。」
中国人で今は日本で暮らしている学生さんが私のお店でカスタマーサービスを担当してくれているのであるが、彼女に依頼された件を相談してみると。
「先生、どーでもいいよ!みたいなニュアンスの言葉、漢字で書けます?」
どーでもいいってねぇ、、、
「あんまりマイナスな言葉を書くってのもねぇ、、、。」
そんな返事をお客様に返してもらうとこんな返事が返ってきた。
「ボクの相談役であるオーナーの彼女はとても思いやり深い優しい人なんだ。彼女はね、まだまだ、、、もっともっと!みたいな気持ちでWhateverを漢字で表現してほしいって言ってるんだ!」
なーるほど。
マイナスではなくプラスの意味でのWhatever。
「無限とか多とかいった漢字でいこうか?」
一気に気持ちが和らぎ、制作する気持ちが湧いたのだった。
マイナスの言葉をプラスで表現したい人もいれば、言葉通りマイナスはマイナス‼︎と顔をしかめる人もいるのが世の中だ。
悪に隠した善、一見善に見える悪。
「一を聞いて十を悟る」に至るまでには人生の修行が必要なんだとしみじみ。
何気ない一言や、パッと眼に入る印象で、他人を計り知ることは出来ないのだということ。
粘り強くコミュニケーションを重ねることで知っていけることもある。
これを忘れないようにしていきたい。
Whateverの捉え方は人それぞれなのだ。
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