うにょらー「手乗りサイズ」のサポートページ

このページに訪れて頂き、ありがとうございます。

こんなクソみたいな私ですが、現在は子どもにも恵まれ何とか生きています。


いつまた再発するかわからない。


「再発しない」と希望的観測をするよりは、「再発する」そう思って行動することにしました。

今はまだ元気でも、明日どうなるかはわからない。



今動けるうちに、少しでも家内と子どもにお金を残したい。



次仕事を辞めることになった時に、少しでも収入を得られるようにしておきたい。

そう思い、ブログを始めました。

ブログ「手乗りサイズ


今回、こちらのnoteにはブログでは規約上書けない内容


・双極性障害になってからの具体的な精神状態
・家族との関係


それらについてより深く書いておこうと思います。

もし興味を持っていただけたり、頑張れと応援していただける場合は購入(支援)頂けると嬉しいです。

そのお金で、子どもに絵本を買わせてもらおうと思います。



頑張った結果、心が折れる


双極性障害(ソウウツ)を発症したのは、今から5年ほど前。

社会人になって3年ほどの時でした。

パワハラ、モラハラ、アルハラ、暴力の蔓延するホームセンター。

そこが私の職場でした。

入社して半年で、



ここはダメだ。



そう見切りをつけたはずでした。

そう、はずだったんです。


退職を申し出ても、退職願をそのままシュレッダーにかけられること数回。


パートさん達からはひたすら同情される毎日でした。

それでもお客さんに非はなく、こんな店でも買いに来てくれる人のためになろう。

上からのプレッシャーもあり、休日出社やサービス残業は当たり前。

日によっては私服のまま接客するなどという、あり得ない状況でした。


後輩が入社する度に、

こんな思いを、後輩にはさせたくない。


善人などでは決してないですが、人並の良心として後輩を早めに帰す。

結果としては自分のサービス残業する日も時間も増えました。



自分の体の異変


自分のことなのに、人ごとに感じる。


それが最初に感じた違和感でした。

きっとこういう時、悲しいと感じるんだろうな。

こんなことされたら、普通は怒るんだろうな。

自分が当事者なはずなのに、そうとしか思えなかった。

もしかしたら、自分の身体が自然と心を守ろうとしていたのかもしれません。


そんな日々もある程度たつと、ガラッと変わります。

感情が抑えられないのです。


あいつ死ねばいいのに。

ふざけるなよ?クソが。


なんでもないはずのことなのに、そういった思いが抑えきれないのです。

当時交際していた人が遊びに来ても、何も楽しくなく、むしろイライラしっぱなしでした。

相手にも本当に悪いことをしたなと思います。

結果別れることにもなりました。


それでも止まらないイライラ。

何とかお客さんにあたることだけは回避しても、他の店員には我慢がなりません。


いつものように売り場でパワハラを働いてくる人間にも、口答えをしてしまいます。

よりひどくなるのは目に見えているのに。


そんな日々を数か月。

何度か退職願を提出しても受理されない日々を過ごしていた頃、ある程度イライラが落ち着いてきます。

そのころです。

今の家内に出会い、精神的に更に落ち着きを取り戻せたのは。



少し落ち着いていた、というのも大きいですが、

すがるもの
守るもの

がある、というのが私を再び奮い立たせてくれました。



そんななか、私に異動の話が出ます。

社内的には栄転です。

上の人間の言うことに従順で、サービス残業もしてくれる。

しかも客受けも悪くない。

そんな扱いやすい駒だったからでしょう。



しかし名目上は、

やる気に満ち溢れており、もっと大きな売り場で自分を試したいと言っているから



ほんの数日前に退職願を提出したにも関わらず、です。

本当に頭がわいているとしか言いようがありません。



そして異動。

新しい環境。

新しい人間関係。

今までと違う商品。

心機一転頑張ろう。



そう思った私も頭がわいていたとしか言いようがありません。

職場が変わった程度で、何が変わると思ったのか。

結局は人間なんてすべてクソです。

生きているのなんか、何も楽しくない。

そう教えてくれる環境でした。

このころからでしょうか。

死にたい
死んで楽になりたい
もうなにも考えたくない

そう思うようになったのは。

ただし、私には守るものがあります。

何とか、何とか…と踏ん張り、仕事を続けます。

そんな日々も数か月。

くるべくして、限界がきたという感じでしょうか。

再びのイライラ。

完全に自分では制御できないほどの。

人と会話しても、二言目には

は?死ねよ。


最近のキレた若者みたいな状態ですね。


こんな状態でも働かされる。

異常な職場だということがお分かりいただけるかと思います。


労働基準監督署も味方ではない。そして壊れる。


人に迷惑をかける前に、仕事を辞めたい。

そう思ってすがるように掛けた、労基署への電話。

何度退職願を提出しても、受け入れてもらえない状況を必死に伝えたつもりでした。



「私たちからは何もできないですね。」



私の中でなにかが終わりました。

そこからのことは、正直あまり覚えていません。

覚えているのは、


・数分前のことすら自分が何していたのか思い出せなかったこと

・夜寝付けず、ふらふらと10km以上徘徊していたこと


家内には本当に心配、迷惑をかけたと思います。

そして最後。


働いていて、息ができなくなりました。


なんとか家内に連絡し、精神科で診察を受けます。

先生が状況、エピソードをうまく聞き出してくれた結果、

私は双極性障害者になりました。

先生が診断書として3ヵ月の療養が必要と書いてくれたので、それを職場に持っていきます。



受け入れてもらえませんでした。



「療養で引きこもっている方が、俺は悪くなると思うな」

「先日まで元気に働いていたじゃないか」


再び息ができなくなります。

私は診断書を置き、逃げるようにその場を後にしました。


それから数ヶ月は家の中で過ごしました。

起きて、寝る。

ただそれだけ。

私にはそれが精いっぱいでした。


そんな中、職場と本部からかかってくる状況確認の電話。

本部にも、「退職届が受理されない」という連絡は入れたはずなのに、依然として私が攻め立てられます。



もう私には生きている価値がない。

家内にはこんなハズレくじを引かせて申し訳ない。

私が死ねば、家内だけでもやり直せるんじゃなかろうか。

ただの離婚ではなく、死別ならば家内の経歴にも傷はつかないだろう。

死のう。


私の面倒をみていた家内。

私に引きずられて、どんどん疲れていく家内を見ていたらそうとしか考えられなくなりました。

そんなときでした。

私の両親が、「家内に元気がない」「様子がおかしい」と数百キロ離れた私の家まで来てくれたのは。

双極性障害にかかった
仕事を休むことになった

そんなことを堂々と言える息子だったなら良かったのでしょうが、そんなことを言える私ではありませんでした。


親は訪ねてきて、初めて私が壊れていることを知りました。


明らかにおかしく、会社からの電話におびえる息子。

それを支え、疲れ切っている嫁。

私たちは実家に連れて帰られました。


この段階で、貯金はもう残っていませんでした。


傷病手当などを利用すればよかったのかもしれません。

しかし、そんなことを調べる余裕などがあるはずもありませんでした。


実家に帰ってからは会社からの電話も親が出てくれました。

情けない話ですが、それらのおかげで少し精神的に回復していきます。


そんな中、家内の家族に私の状況が知られます。


大事な娘を嫁に出しているのです。

それはそれは心配でしょうし、「こんなのと一緒にいさせていいのか」と思うでしょう。


落ち込むのも、イライラも誰にでもあることだろう。
甘えているのではないか?


私は再び息ができなくなります。


ある種のパニック状態といえるのでしょうか。

息もできず、今後生きていくことも考えられず、「逃げたい」「死にたい」とだけ思っていました。

しかし、あてもなくどこかに行くことも、死ぬことも止められます。


今だから思えます。

大事にされていたのですね。


その当時は、なぜこんな地獄のようなところから逃げさせてくれないのか

そう本気で思っていました。


無謀にも再就職活動


処方された薬を服薬し、何とか生き延びる日々。

しかし、言われなくとも感じる家内の家族からのプレッシャー。

家内を娶った責任を果たさねば、と転職活動を始めます。

しかしながら頭は働かず、面接に何度も耐えられるような状況ではありませんでした。


私の親や家内の協力を得ながら、なんとか入社できそうな会社を探し、応募します。

何度かの選考を突破し、面接に臨みました。

面接自体は客商売をしていた甲斐もあってか、笑顔を崩さず乗り切ることができたと思います。

しかし、心には負担がかかっていたようでした。


この会社に受からなかったら、死んで家内を解放してあげよう。


帰りながらそう決意しました。

結果としては、何とか内定をもらい、生き延びることになります。


入社が決まったことの安心感。

入社まで数か月猶予があったこと。


それらのおかげか、以前よりも精神的に安定することができました。



そして入社。

新しい環境で負担はかかるものの、回復しつつあった結果、以前のように自分のことを人ごとのように感じられ、乗り切ることができました。


その時思い知りました。

私は躁状態のとき、「絶対にやらない方がいい」そう思うはずのことも、人ごとのように感じられ行動してしまうようなのです。



再就職し、子どもを授かる。そこからの再発。


そうしてしばらく経った頃、子どもができます。

守るべきものが増える。

それは私にとってプレッシャーでもありましたが、活力にもなりました。


そのころ会社内の実務研修も終わり、別部署に配属になります。



再びおかしくなったのはそこからでした。



そこの部署の上司はパワハラで有名な人間で、すでに3人ほど鬱に追い込んでいました。

当残のごとく暴言を吐かれる日々。

入社前の面接がうまく行き過ぎていたらしく、上層部に変に期待され、

大丈夫だ!
何とかできる!


周りからはそんなクソみたいな励ましだけで、なにも変わりませんでした。


そりゃあ…再発…しますよね…。


子どももこんな親の元に生まれたいはずがない。

私の子どもなんて、それだけで不幸になる。

鬱と躁のはざまで、ネガティブなのに行動的になった私は再び糸の切れた凧のように飛び出そうとします。


それも力づくで押さえつけられ、阻止されます。




つくづく、生きている価値がない男です。



家族の存在により、考えを改め再始動。


それでも、家内から必要であることを何度、何度も言われ、

生きなきゃ
生きたい

少しずつでもそう思えるようになりました。


そしてなにより、

仕事でおかしくなっても家族のためにはならない


そう考えを改め、部署異動を申し込み、実現できました。

暴言を吐かれたり、陰口を言われることは未だにあります。

そんな状況ではいつまた再発するかわからない。


「再発しない」と希望的観測をするよりは、「再発する」そう思って行動することにしました。

今はまだ元気でも、明日どうなるかはわからない。

今動けるうちに、少しでも家内と子どもにお金を残したい。

次仕事を辞めることになった時に、少しでも収入を得られるようにしておきたい。

最初にも書きましたがそう思い、ブログを始めました。


世界にとって、私ほど不要な人間はいないと思います。


それでも、家内と子どもには「必要な存在」と言ってもらえています。

こんな私を必要と言ってくれ、今まで愛想をつかさずに支えてくれた家内。

こんな私の元に生まれてきてくれて、元気に大きくなってくれている子ども。

私にできることなんてたかが知れていますが、少しでも恩返しできるよう、今日も頑張ろうと思います。

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