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宛先のない手紙

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真っ白な手紙を誰に届けよう ありったけの想い込めて 言葉綴った、 「宛先のない手紙」 短文、詩、つぶやきのようなもの。 気が向いたときにさくっとお読み頂ければ、うれしいです。
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記事一覧

それは、たとえば恋のお相手のように

それは、たとえば恋のお相手のように

誰にでもできるかもしれないけれど、その人にしかできないものは、やっぱりある。そう思った一日でした。

はじめて、きちんと自分の写真を撮ってもらいました。ふだんは母親だということもあって「撮る側」ばかり。メインで撮ってもらう側に立つことは、恐らく結婚式以来だったのではないかな。

もともと写真映りはあまりよくありません。自然に写ること自体苦手なのだけれど、ご縁をいただいたことで飛び込んでみたのでした

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当てになる直感と彼の目

当てになる直感と彼の目

昔のバイト先に、おだやかで素敵な男性スタッフさんがいた。学生バイトにも人気が高くて、仕事もできる人だったのだけれど、唯一「残念だ」と話にのぼるのが、「人を見る目がない」ということだった。

バイトを雇うときに面接をするのが、マネージャーの女性か、この男性スタッフさんだったのだけれど、マネージャーが採用したバイトは総じて仕事ができたことに対し、彼が採用した人は、仕事面でも人間面でも首を傾げざるを得な

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言い切るときの主語は誰ですか

言い切るときの主語は誰ですか

曖昧な発言は、良しとされないことが多い。

自信がなさそうに捉えられてしまい、それが信頼感の欠如にも繋がるからだろう。

方向性をずばり指し示してくれる、言い方は悪いけれど「口が上手い人」は、多くの支持を得ることが多いように思う。

昔でいえば、小泉元首相だとか。政治家でも起業家でも、「言い切る」ことができる人は、周りに安心感を与えるのか、人気に火がつくことが多いように感じる。堂々とした様子に、「

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わたしの浅瀬は誰かの深みかもしれない

わたしの浅瀬は誰かの深みかもしれない

人との関係性において、わたしはひとりで空回ることが多々ある。

相手の態度が何となく冷たく感じたり、連絡が途絶え気味になったりすると、「何かやらかしちゃったかな」と考え込むクセがある。

たいがい、それはわたしの勘違いであることが多い。突然解決をして、「あ、また考えすぎだったんだな」という結論に至るのがほとんどだ。

高校生のとき、大好きな友人との仲が1年半こじれたのも、結局はわたしの考えすぎが原

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毒になり得るマニュアル

毒になり得るマニュアル

ある人たちには役に立つ情報でも、ある人たちには役に立たないどころか、下手したら毒になる可能性すらあるものがある。

……という話をした。

世の中にはさまざまなマニュアルがあふれている。ハウツー本の類がたくさんあるのも、ウェブ上でそうした記事が多いのも、需要がそれだけあるからだ。

情報弱者という言葉があるけれど、情報は「知っておかなきゃ損をする」と思わせる力があるのかな。

とにかくマニュアルに

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井の中の蛙、裸の王様

井の中の蛙、裸の王様

「井の中の蛙になるな」

父親によく言われてきた言葉だ。

わたしは四月生まれだということもあってか、幼い頃はクラスで「できる」ことが多かった。言語能力の発達が早いタイプだったから、先生との意思疎通もスムーズだったし、言われたことの飲み込みも早かったのだろうと思う。同級生に教える側に立つことも多かったし、「頼りにしてるね」と先生に言われることも多い、いわゆる「優等生タイプ」の子どもだった。

もし

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想像力を働かす手間を省かない

想像力を働かす手間を省かない

ひとには想像力がある。想像力は人間特有の能力だと思っている。

想像力があるから、わたしたちは誰かに寄り添えるし、誰かと親しくなれるし、理解しようとできる。

ひとは、どうしたってひとりだ。誰かと本当の意味でわかりあえることなんてない。「このひとのことはなんでもわかる」なんていう思いは傲慢だ。そう思ってしまった時点で、そのひととの関係性はストップしてしまうのだと思う。

「わかりあえない」が前提に

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“誰か”なんて関係ない天使じゃない子どもたち

“誰か”なんて関係ない天使じゃない子どもたち

子どもは天使だ。

……という気はない。子どもは天使なんかじゃない。子どもは人間だ。当たり前の、ひとりの人間でしかない。

ずるいことだって、嘘をつくことだって、たった5年しか生きていなくても勝手に覚えてくる。

長男が小さかった頃、仲の良いママたちと、1歳半を過ぎた頃くらいに「あ、目が濁ってきたね」と冗談交じりで話していたことがある。

これは本当で、赤ちゃんの目の輝きと2歳に近づいた子どもの目

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ペースを落とす、一球

ペースを落とす、一球

「ハイキュー!」というマンガが好きだ。わたし自身はスポーツをすることはおろか、スポーツ観戦にも不向きな人間なのだけれど、バレーボールを描いている、この作品が好きだ。

別に今日は「ハイキュー!」について語るわけではない。今週号で読んだシーンが唐突に頭に浮かび、今の自分と重なったから、そのことについて書こうと思う。

それは試合の終盤、ラリーのテンポが速まっていく様を描いているシーンだった。拮抗した

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意識を低く長く走る

意識を低く長く走る

持久走が嫌いだった。

冬の寒い中、半袖ハーフパンツで校庭をぐるぐる走り回らなければならない理由がわからなかったし、メリットもわからなかった。

「体力増強のため」「持久力のため」という教師の言い分を肯定するとして、じゃあなんで半袖ハーフパンツでなければならないのか、と寒がりのわたしは常に不服だった。教師に「先生は長袖じゃん」と言ったとき、「先生は大人だから」と返されたことをはっきりと憶えている。

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食べることは、生きること

食べることは、生きること

たとえば、「今食べているものが、未来のあなたの身体を作っていくんです」とか。

「食べることは生きることだから、大切にしたいんです」……とか。

「食べること」って、イコール「ていねいな暮らし」に繋げられることが多いと思う。繋げられるというか、「ていねいな暮らし」をしているひとは、もれなく食生活が豊かである、というか。

食生活を丁寧に送っていることだけで、「ウケる」コンテンツになることだってある

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失敗は成功の素というけれど

失敗は成功の素というけれど

失敗すること、ミスをすることが、わたしは怖い。

誰しもある程度の怖さはあると思うけれど、たぶん、わたしのそれは度を超えているのかもしれないな、と思うことがある。

これは今に始まったことではない。わたしは、かなり幼いころから失敗が怖かった。

「やってしまった」と気づいたときの体の冷えかたは尋常ではないし、食欲もなくなるし、呼吸も浅くなってしまう。

そうしたこともあって、わたしははじめての職場

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ものが書けないとき

ものが書けないとき

「書けないときには無理に書かなくてもいい」

そういっていたのは、高校時代の先生だった。文芸部の顧問で現国の教師だった先生が、部員にいっていた言葉だ。

その言葉通り、部員たちは毎月発行される部誌で、「書けないときは書けない」を実践していた。……わたしは、高二の終わりになし崩し的に入部したことになっているらしい幽霊部員に過ぎなかったから、詳しいところまではわからないのだけれど。

最近、思うように

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年の功は印籠じゃない

年の功は印籠じゃない

年長者は敬うべき、という考え方がある。年の功ともいわれるその考え方自体を否定はしない。

けれど、自ら「敬え」といってしまうのは、なんだかちょっと好ましくないな、と感じた。

確かに、そのひとは年長者だった。わたしはそのひとに対して、別段失礼な態度を取っていたわけではない。むしろ、親しいわけではない間柄だったので、ふだんよりも丁寧にしていたはず、だと思う。

ですます調ながらフランクなノリできた文

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