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「わたし」と「あなた」を区別する

「よそはよそ、うちはうち」

子ども時代に、こんな印籠を親に見せられたことはありますか?

わたしは「みんな持ってるんだよ!」という子どもの説得あるあるセリフを吐いたことが、おそらくありません。だから、そのセリフを親に言われた記憶もありません。当時から、レッツゴーマイロードな子どもだったので。


ただ、子どもの頃に教えられる(諭される)、この「よそはよそ、うちはうち」という感覚って、大切なのではないかなあ、なんて思います。


わたしはわたし、あなたはあなたであるという当たり前のことが見えなくなっている。そんな人がたくさんいるように思うのです。

わたしの正義は、あなたにとっての正義ではないかもしれない。

あなたの正義は、わたしには許せないものかもしれない。

わたしの価値観とあなたの価値観は違うもの。

そんな当たり前のことが「常識」という一言でひとまとめにされて、ばらまかれている。

「常識」の枠組みに入れない人は「間違っている」という烙印を押され、一気に糾弾してもいい対象にされてしまう。


そんなことが、まかりとおってはいないかなあ。


もちろん、法的なルールは必要です。でも、そうではない部分に関しては、過度に差別的な言動をしているなどといったことがないのなら、「わたしはわたし、あなたはあなた」なのではないかなあと思うのです。

相入れなくて当たり前です。だって、あなたはあなただから。それで人間関係が築けないなら、それはそういうことですし、そこ以外はOKなら、認め、折り合い、付き合い続ければいいだけのこと。


多数派が正しいわけではないし、偉いわけでもない。多数派に染まることが必ずしも正しいことではありません。

よその家のルールに従わなければならない道理は、相手に何かをするわけではない限りないと思う。それと同じく、家に入ってきたわけでもない相手に、自分の家のルールを押しつけるのもどうなのかと思う。


わたしはわたしの家のルールで過ごしています。あなたの家には、そんなルールがあるんだね。おもしろいね。

そんなことじゃダメなのか。そう思います。


自分の家にいるのに相手の家のルールを意識しすぎる必要性なんてないし、相手が自分の家にいるのに、「そのルールはおかしいでしょ!」と口を挟む権利もない。


同じ価値観に揃えなければならない理由なんて、一体どこにあるんだろう。

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