見出し画像

今日が折り返し地点なのだとしたら

自分が何歳まで生きるのか、考えたことはあるだろうか。どんどん平均寿命が延びていくこの国の人たちだけれど、それはあくまでも平均なのだから、自分はもっと短いかもしれない、そのことを考えてみたことはあるだろうか。

三十路の年が終わろうとしている。年が明けたら、居ぬ・逃げる・去るのセットで3ヶ月が過ぎていき、わたしが31歳を迎える日がやってくる。

そんな最近、思い起こすことがある。今のわたしと同じくらいの歳だった両親が何度か言っていた、「人生の折り返し地点」という言葉だ。

父も母も、30代に入った頃から、「そろそろ人生の折り返し地点にいる可能性だってあるんだもんなあ」と口にしていた。

どういう話の流れだったのかは憶えていないのだけれど、悲愴的なものではなく、ごくふつうの会話の中で出た言葉だったことは憶えている。

当時のわたしは、その自然な口ぶりに「ふうん」と思っていただけだった。けれど、その言葉を今何度も思い出すのだ。

わたしの祖父は数え年で還暦の年に亡くなった。突然死だった。父は、きっとそんな自分の父親の没年齢を思ってその発言をしていたのだろう。もし、わたしが祖父と同じくらいの寿命なのだとしたら、わたしはもう人生の半分を生きてしまったことになる。

もちろん、そんなことを言っていて、実際には90歳まで生きるかもしれない。でも、それは誰にもわからないことだ。

もしかしたら、今の地点が人生の折り返し地点なのかもしれないという思いは、これから常にどこかにへばりついたまま離れないだろう。そんな歳にわたしはなってしまったのだ。

だからといって、何が変わるわけではない。ただ、今を生きていくことに変わりはないのだ。

しかし、「さあ、後半戦どう生きたい? どんな目的地に行きたい? どうやったら行ける? どんな自分になりたい? どんな風に人生を終えたら幸せだったと思える?」というような問いは、わたしの中に静かにたゆたっている。

生き急ぐ気はないけれど、しっかり考えて歩いていきたい。加速度的に一年が早くなっていく中で、本当に心底そう思う。

そうして、死にたがりだったわたしに言ってやるんだ。人生なんか、死にたいなんて思わなくても、あっという間に終わるんだよって。

さあ、ゴールがやってくるその日まで、どこに向かって歩いていきたい?


#エッセイ #コラム #考えていること #思っていること #思考 #生きる #生き方 #人生 #時間の使い方


お読みいただきありがとうございます。サポートいただけました暁には、金銭に直結しない創作・書きたいことを書き続ける励みにさせていただきます。