脳みそは当てにならない

脳みそは当てにならないなあ、と思う。

わたしの頭がとっ散らかっているからだろうか。思考を深めることが好きなのだけれど、深めながらも左右に広がっていってしまって、途中から全然違うものについて考えていることなんかザラだし、ふだんも無意識に思考の内容はコロコロ移り変わっている、気がする。

意識していても、していなくても、脳みそは流動的で、固定されないものだ。……固定化されてしまう方が、困る事態なのだろうけれど。


自分の都合のいいように解釈してしまうのも脳みそだ。意識していなくても、自分のことを守ろうとしている考え方になってしまっていることは、多々ある。意識して、ようやく「いや、ここはわたしが悪くて、ここは悪くない」となれているような。逆に何でもかんでも「自分が悪い」という思考回路の人もいるけれど、それもまたそう思うことで、それ以上責められるということから己を守っているのではないかな、と思っている。


思い込みも、脳みそには多く起こる。思い込みだったのか本心だったのか、わからないようなものだってある。

わたしの場合、昔多かったのが恋愛だ。友達から恋愛感情になるパターンばかりだったので、必ず間には「あれ、これ“ライク”じゃなくて“ラブ”なんじゃ?」と迷う時期があった。そこで悶々としている間はどっちつかずなのだけれど、「好きな人いる?」という女子同士の会話などをきっかけに、「あ、好きだ」とはっきり(脳内でも)言葉にしてしまえば、一気に「あー! 好き!」と文字通り恋に落ちていた。(のめり込むタイプ)

これは、果たして「好き」であったのか、自分の言葉で催眠でもかけてしまったのか。実は、わからないのではないかなあ。

まあ、恋自体が壮大な勘違いっていうけれどね。


恋と同じく、自分で自分を言いくるめたり、洗脳したり、誘導したり。ざっくりいい言い方で言うと、「夢を叶える」ためには、流動的な脳みその中から、カタマリを作ってしまうことが大切なんだろうな。

「夢は発信していれば叶う」「ノートに書いたら叶う」「言い続けていたら叶う」

そんな文言がSNSでも、その他ネットでも、自己啓発本でも見られるけれど、これは要するに、脳みそからカタマリを作って目に見える形にしてしまえ、ということなのかな。

言葉という枠に当てはめてしまうことって、思っているよりも脳みそに与えるパワーがある。

「あ、こういうことをわたしは考えていたんだな」「こんなことをやりたかったのか」

自分のことなのに、はじめて自覚することだってある。

だから、やりたいことがあれば発信しろっていうのかな。……いや、発信していればどこかで叶えるための誰かとつながれるっていう側面もあるんだろうけれど。


……そんなことを思った、ノオトさんのライター交流会での一幕でした。

(新年の抱負を紙に書き、声に出して発表するという一幕)



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卯岡若菜

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真っ白な手紙を誰に届けよう ありったけの想い込めて 言葉綴った、 「宛先のない手紙」 短文、詩、つぶやきのようなもの。 気が向いたときにさくっとお読み頂ければ、うれしいです。
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