見出し画像

蓄えられる会話と消費の場

「たくさんの人とわいわい過ごすことで元気になれる」「ひとりで過ごすことで元気になれる」さあ、あなたはどちらのタイプですか?

なんていう質問がある。内向的か外向的かの判断などで見られる質問だ。毎回、わたしはこの手の質問に「どちらともいえない…」と選択していた指を止める。

強いていえば「ひとり」かなあと思ってみては、「いやいや、ひとりだと鬱まっしぐらになりかねなくない?」とも思ってみたり。グレーの選択肢があれば、「どちらかというとひとり」を選ぶのが一番しっくりくるけれど、それも“正解”ではないなと思う。

人が好きだ。人と話すのが好きで、人の話を聞くのが好きだ。

特に好きなのは、話していて相乗効果が得られる会話。そうした会話ができる時間は、ひとり時間のよさを凌駕する。

思考を飛躍的に深められる感覚があって、所詮ひとりで考えられる範囲には限界があるんだなあ、なんてしみじみ思う。相手の脳を借りることで、より広く深く考えられるようになる感覚。できれば、相手にもそう思ってもらえる人間であればうれしい。

こうした会話は、大勢ではできない。一対一、多くて四人くらいがちょうどいい。大勢で集まるのも楽しいけれど、小グループごとに会話が盛り上がっている場であれば、少人数のときと似た感覚が味わえる。

わたしにとって「みんなでただただ一緒に盛り上がる」場は、楽しいけれどエネルギーが増えるものではなく、使うものなのだろう。だから、たまに楽しむのはいいけれど、頻度が高いと疲れてしまう。

ああ楽しいなあと感じられる会話からは、思考を深めるきっかけのほか、感情体験も得られる。抽象的だけれど、「ああ、いいなあ」「好きだなあ」という感覚だ。話し手本人が「いい」「好き」と思いながら話している熱を受け取れるのだろう。そして、それはとてつもなくいいエネルギーになる。

友達との会話では「わああああ、いいよねえええええ」と語彙力を失った頭空っぽのリアクションをしてしまう。取材やインタビューでは、さすがに相槌をうったり言葉を返したりするけれど、内心はやはり「あああああ、いいですねええええ」だ。たぶん、その気持ちはダダ漏れになっている、気がする。

メンタルが下降気味のときも、こうした会話であれば楽しめる。むしろ、元気になれる。ひとりよりも人と会う方がいいのではと思うのは、こういった自分がいるからだ。

頭と感情をフル稼動させながら交わす会話は、いつだって本当に楽しい。

お読みいただきありがとうございます。サポートいただけました暁には、金銭に直結しない創作・書きたいことを書き続ける励みにさせていただきます。